人間風車

2006/06/30(金)
好きな仕事と得意な仕事

某社の元社長さんのお言葉です。
「おれは経営(という仕事)が好きなんやない。得意なんや」
どーゆーわけだかというか、
当たり前なんだけど、
好きな仕事というより得意な仕事をしている人の方が、
うまくいっていることが多い。

どんな仕事が好きか、今の仕事が好きか、
それは本人が一番知っていることなんだけど、
どんな仕事が得意なのか、今の仕事は得意なのか、
このあたりは本人には意外とわからなかったりする。

好きな仕事と得意な仕事、
どちらがやるのが幸せかということは一旦置いておいて、
ここいらで
得意な仕事というのを見つけないかんなー>おれ


2006/06/27(火)
体格差

2年に一度(Wカップとオリンピック)しか
サッカーを見ないので、
サッカーのことはよくわからないんだけど、
なんだかサッカーって結構格闘技だなぁと思った。
ボールを扱っているだけじゃなく、
プッシュ、タックル、エルボー、ローキック、頭突き
と結構格闘技要素も多いんだなぁと今大会を見て気がついた。
(もっとも上のいくつかは明らかに反則なんだろうけど)
そーなると、やっぱり、
ジーコが言っていたように体格差ってのが
大きな問題なんだろうな。

いくら最近日本人の体格もよくなったとはいっても、
190cm台がざらの西洋人みたいにはすぐにはならないだろう。
かといって、アルゼンチン、ブラジルみたいに
超天才がポコポコ生まれてくるってわけにもいかなさそうだ。
となれば、
これはもーU20みたいに、
体重別Wカップを提案するしかないかもしれない(笑)


2006/06/21(水)
大げさな遊び

いつからゲームは、遊ぶのも作るのも、
大袈裟なものになってしまったのか。
作り手側になったのはほんの10年前だったので、
すっかりゲーム作りは大げさなものになっていたから、
どういう経緯でかはわからないけど、
(っていうか、単純にハードの進化に合わせた結果か)
ともかく、
さっさと遊んだり作れたりするものから
遠ざかってしまっている気がする。
変な例だけど、寿司と同じような気がする。
江戸後期に発展したいわゆる江戸前の寿司は、
さっさと食べられる庶民のファーストフードだったらしい。
それが今では財布に自信がないとなかなか入れない、
じっくりゆっくりゴージャスにたしなむ料理になってしまった。
それはそれで悪いっていうつもりはないけど、
少しもったいないというか、
違うなーという気がしないでもない。
回転寿司なんていうのは、
きっとその反動から生まれたものなんだろう。
ゲームは再び庶民の手に戻るんだろうか(笑)
今流行っているツール系のソフトを見ていると、
そんな兆しがあるような気もしないでもないけど、
変な言い方かもしれないけど、もっとゲームゲームしたもので、
カジュアルなものが出る、そして受けるじゃないと
復権とは宣言しがたい気がする。

という自覚症状はあるので、
ともかく軽く作ろう、作ろうと思っても
どうも重く厚く濃くなってしまう。
重く厚く濃いほうが
ちゃんと考えて作っているように見えるし、
ユーザーが求めているモノを
たくさんプレゼントできるような気もするし、
ゲームとはそういうものという妙な既成概念があるからだろう。
ここらで
「ゲームって(よく知らないけど)
もっとさくさく作れて遊べるべきものじゃないの」
と自分たちに言い聞かせたい。



2006/06/19(月)
通販にもの申す

どこのとかは言わないけど、
感覚的に言って
雑誌系の通販コーナーで買い物をすると失敗が多い。
それに対して
『通●カタログ』で買った物ってあまり後悔がない。
誤解を恐れずに言うならば、
あるいは
(買った)自分のことを棚の上に置かしてもらって言うならば、
雑誌ならではの無責任さがあるんじゃないかなという気がする。
他の記事と同様、そのときその瞬間、
読者の好奇心を刺激すればいいと言う
(雑誌としては当たり前の)価値観みたいなもんが、
紹介しているアイテムに対しての責任感を
少しなくしている気がする。
それに対して、
『通●カタログ』は通販が全てなわけだから、
紹介するアイテムについては、とても気を遣っているはずだ。
どーも、その差があるような気がしてならない。
ただ、
『通●カタログ』もネット通販のシステムが弱い。弱すぎる。
ネット通販のシステムとしては今のところ、
やっぱり『a●azon』が一番いい気がする。
同じネット通販系でも『●天』はひどい。
弱いと言うよりひどい。
なにがひどいって、検索エンジンだ。
このアイテムのどこがキーワードにひっかかったのか、
逆に見てみたくなるくらい、意表をつくアイテムがヒットする。
他ごと(テレビ局の買収とか)より、
まずはこちらを充実させてもらいたいもんだ。

商品に対する責任、通販のシステム、料金などのサービス
残念ながら、
ここで十分という通販会社にはまだ遭遇していない。
どうして、他のネットサービスはよそ様のをうまく模倣してるのに、
通販だけはそれができないんだろう。不思議だ。
以上、
今日のクロアチア戦を見てのやりきれない気持ちを
日頃お世話になっている通販会社に
八つ当たり的にぶつけてみました。

PS
負けないことと勝つことは違うでしょう。
望みを残すことと延命は違うでしょう。>事ー故さん


2006/06/14(水)
この程度のしょんぼりなんて

視聴率から察するに、
おそらく5000万人くらいの日本人が
がっかりしたことでしょう。
でもこのくらいのがっかり感、
巨人ファンならここ数年、毎年50回はしてますよ(笑)
どんなに大量得点してても、
8回裏になると押さえが打たれて逆転負け。
あと1イニングなのに、あと1アウトなのに、
という悔しい思いを毎年50回くらいします(笑)
今だって7連敗だし。

それはそうと、
サッカー競技場のカラフルな観客席を見ていると、
つい『まきがめ』を想像してしまって
(あ、あそこ、ごそっと取れる)
と思ってしまうのはぼくだけでしょうか。

某ゲーム会社の人のなげき?ぼやき?w
「DSはハードもソフトも好調みたいに見えるけど、
サードパーティーのソフトって売れてないんですよね」
たしかに、
脳ドリル的なソフトの大ヒットで見えにくくなっているけど、
サードパーティーのソフトでミリオンって
『たまごっち』くらいなんでしょうかね。
どうしてサードパーティーのゲームは売れないんだろう。
っていうか、
従来からのゲームらしいゲームが売れていない?
サードパーティーがツール的ゲームの発売に出遅れた?
理由はよくわかりませんが、
たしかにそー言われればそういう気がするし、
その理由に頭を抱えるその人の気持ちも
よくわかる気がします。


2006/06/12(月)
余分に描いてしまう

あるピクドグラムの作家の言葉。
「(わざと)小さな絵を描くんです。
大きく描くと余分に描いてしまうから」
なかなか、含みのある言葉だ。
絶対必要量に納める、とどめるというのは、
実はなかなかむつかしい。
きっと何か描いたり作ったりしている人は
みんなそう感じていると思う。
時間的空間的容量的予算的余裕があると、
つい、
描きすぎる、作りすぎる、入れすぎるたりしてしまうものだ。
そのほうが受け入れ口が広くなりそうな気がしたり、
努力した感があったりするからだ。
でも付け加えて良かったという経験はあまり多くない。
圧倒的に逆のことの方が多い。

次世代マシンもまた高スペックだ。
とくにPS3は。
「ゲーム機と呼ばないでほしい」ということなので、
ゲーム機として高機能どうのこうのという指摘は、
不適切なのかもしれないけど、
こうゲーム機のスペックが大きくなっていくと、
つい余分に作ってしまうってことが多くなりそうだ。
気をつけねば。


2006/06/06(火)
ダウンロード・サービス

例の村上ファンドの件について、
ジャーナリストや知識人が
「法律を破らなければ金もうけしてよいのでしょうか 」
「いつから彼は金儲け主義に走るようになったのでしょうか」
とまじめな顔をして言うのには、
正直ビックリしてしまう。
彼の犯した(であろう)罪は、インサイダー取引であって、
法律を遵守した金儲けも、
金が儲かることを会社の目標にすることも、
金儲けを生き甲斐にするのも、
決して犯罪ではない。
間違った生き方や価値観だとも言えない。
そういう生き方が幸せなのかとか、
金を儲けてどうするのとか、
そういう論議の中で語られるのならわかるが、
インサイダー取引という罪と同列、同質で
そういうことを語るのはどうなんだろう。
そこらのおばちゃんが話しているのなら、
それはそれで良いでしょうと言えるけど、
ジャーナリストや知識人がそういうアングルで語るのは、
ちと恥ずかしいんじゃないだろうか。

任●堂が自社のゲームセミナーの受講生が作ったDSのソフトを
ダウンロードするサービスをしているそうだ。
ソフトのダウンロード販売自体もおもしろいけど、
予備軍の発表の場として使うっていうのは、
さらにおもしろいと思った。
たとえ商品化を目標としていなくても、
第三者に見てもらうというだけで、
ずいぶんと気合いが入るものだし、
伝えるとか主張するとか共感を求めるとか、
そういうことの意味というか大切さみたいなものが
リアルに感じられるだろう。
と偉そうな意味で興味を持ったというよりは、
ワン・アイデアものもこういう形で発表できたら、
反応がわかったり、リクエストを得たりできるから、
商品化への説得材料になったり、
改善すべき点などが見えてきたりするのではないかと思う。
というわけで、
プリプロダクトの仕組みとしていいかもと思ったわけだ。
つまり、
自分がそういうのを出したいのだ(笑)


2006/06/01(木)
生息密度

インドのハヌマンラングールの番組をやっていた。
ハヌマンラングールは子殺しでも有名なサルだけど、
平和主義者のサルとしても有名だ。
で、その平和はどうやら
生息密度と関係あるようだという番組だった。
自然界では、
1匹あたりに十分な広さの縄張りがあるが故に
平和主義者でいられるというわかりやすい話だった。
逆に寺では、
人間がエサをくれるためにたくさん集まってきて、
生息密度が非情にたかくなる。
そうなると互いの緊張感を増して、争いごとが増えるのだそうだ。
不思議なのは、
人間がたくさんエサをくれるので、
エサがたらなくなって争うのではないという点だ。
エサは余っているのに、なお争うのが不思議だ。
そういえば、群衆バッタっていう凶暴なバッタも
エサがなくならなくても、
普通のバッタ状態で
あたかも仲間と擦れ合っているように
歯ブラシなどでこすり続けると
群衆バッタに変身するという話を聞いたことがある。

平和とは生息密度と無縁ではいられないのかもしれない。
となると、
東京の病んだ事件の原因なんてのも
そういうもので、
根の深い、やっかいな問題なのかもしれない。




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