人間風車

2006/07/31(月)
植えてすぐ刈るでいいのか

いつだったか、
綾小路きみまろの特番かなんかで、
彼がデビューするにあたっての
自分の芸を売り込む方ってのがとてもおもしろかった。

遅咲きの彼は、顔が売れていたわけではないので、
テレビやラジオに出演するとか、
雑誌に出るとか、
キャンペーンをするとか、
そういうリッチな方法で売り込めなかった。
そこで彼が考えたのは、
バスガイドさんに自分の話芸が入ったカセットテープを
無料で配るという方法だった。
バスガイドさんは、話疲れたときやネタにこまったときに、
バスの中でこのテープを流したようだ。
これがバスの乗客に受け、
やがてそのおもしろさが、
口コミで世間に広がり、一気に人気が出たそう。

バスの乗客を最初のターゲットにしたあたりも
すばらしいけど、
バスガイドさんに無料で配ったという戦術もすばらしいと思った。
バスガイドさんはそういうアイテムをほしがっているはずだ
とかいうくらいなら思いつくかもしれない。
でもたいがいの場合は、
そこで、彼女らに売ろうと思ってしまう。
そして、
その数があまりに小さいので意味がないと思ってしまう。
てな流れになるだろう。
仮にバスガイドさんには試聴品として配るとして、
バスの乗客には売ろうと思ってしまうだろう。
しかし、バスの中の乗客には観光という大目的があるので、
観光地となんのゆかりもないアイテムなんて
たぶん買わなかっただろう。
そして、売れなかったね→人気がないね。
という流れで決着が付けられてしまっただろう。
それを、
バスガイドさんにも無料、
聞くのもタダにしたのがすばらしい。
かといって、
自分の芸を楽しんでいただければ、お金なんていらない
という素人くさい感覚でなかったのもすばらしい。

認知やプレゼントが種まきだとしたら、
買ってもらうということ(時点)が収穫(時期)となる。
どのタイミングで収穫するかで、収穫量が大きく変わる。
バスガイドに売るというタイミングは
最も収穫が小さかっただろう。
バスの乗客というのは、
収穫は小さめだけど確実性があるといえるかもしれない。
一方、口コミで広がった後というのは、
収穫が一番大きくなる一方、収穫ゼロというリスクもある。
どのタイミングをとるかは難しい問題だけど、
植えてすぐ刈るという戦術が一番辛そうだ。
確実性という名の下に、
1個植えて1個刈る。
蓄えはいっこうに増えず。
そんな自転車操業を余儀なくさせられるからだ。
急な天災が来たらそれでアウトだ。
もっとたくさん実らせてから収穫するというのが、
最終的には一番得をしそうだ。

今、ゲームの世界を見ていると、
すぐ刈れる種ばかりまく、植えてすぐ刈る、
そんな戦術ばかりに見えてしまうのは
気のせいだろうか。


2006/07/28(金)
カジュアルゲーム

『カジュアルゲーム』という言葉が
だいぶ浸透してきたみたいだ。
直訳すると、
何気ない、さりげない、砕けた、普段どおりのゲーム
っていう感じか。
つまり、裏返してみれば、
それだけいわゆるコンシューマーゲームが、
特別な、大それた、仰々しいゲームになったということか。
テレビゲームというのは本来、
カジュアルな遊びであったはずだし、
そうあるべきだと思うんだけど、
いつの間にか、そうでないゴージャスな遊びになってしまった
ってーことっすね。

以前、
早く「ゲーム」に代わる言葉を見つけるべきだ
みたいなことを書いたけど、
この「カジュアルゲーム」というのが、
それに当たるのかな。
まだなんかもう一つ違うって気がしないでもないけど。
なんていうか、
もう少し略せる言葉がいいと思うんだけど。
「カジュゲー」じゃゴロが悪いし、
プチゲーや軽ゲーじゃ、チープ感が漂いすぎだし、、、

「カジュアルゲーム」も安かろう悪かろうの
代名詞にならないようにがんばってもらいたい。
(と、まるで他人事のように書くけど)
小さいボリュームと安易な内容とは、
シンプルな遊びと単純な遊びっていうのも違うはずだ。
(老舗の和菓子が小さいからといって、
決して質が悪いわけでないように)
そのあたり、気をつけないと
すぐカジュアルゲーム=ダメダメ
みたいなイメージがついてしまうので、
がんばってもらいたい。

もうそろそろ、
今やっていることを言いたいなーと思っているんだけど、
まだ解禁されていないので、
ちゃんとがんばってます。
懲りずに作ってます。
とだけお伝えさせていただきます。


2006/07/26(水)
ネットゲー

もう二度とネットゲーを作ることはないと豪語していたけど、
いくつかの理由で、
また少し考えても良いかなと言うところまで
軟化?してきた。
理由の一つは、辛かった記憶が薄れてきたこと。
人間はどうして痛みの記憶が鈍化してくるのか。
困ったものだ。
(ま、だからこそ生きていけるんだろうけど)
もう一つは、従来のネットゲーの方式じゃない方式、
課金システムとかサービスのありかたとか、
クライアントソフトの提供の仕方とか、
そういうところに新しい仕組みというか理解がでてきたこと。
もう一つは、
そういうゲームを作ってほしいと依頼を受けたこと。

ただ、やっぱりまだどっか腰が引けているところがある。
ようし!考えよう!作ろう!というところまで
テンションが上がりきっていない。
以前にネットゲーを作ったとき、
大きなトラブルとなった上のような問題は、
解決の道もほんのりとありそうなのだけど、
それでもなお、
ネットゲーの制作には、
やっかいな問題はまだまだたくさん残っている気がするからだ。
例えば、
ゲームの運営を続けることと、
新規のサービスを提供し続けることが、
イコールで語られてしまうこと。
サービスを提供し続ければ、
参加者と維持費のバランスが崩れ、
必ずどこかで採算割れの時が来る。
勝ち逃げする方法がまだはっきりとしない。
また、
多くの参加者があればあるだけいいと言うシステム。
どんなゲームであれ適正な参加者数というのがあるはずだが、
そのあたりもどう調整したらいいのかよくわかっていない。
なによりも、
だいぶ痛みが消えたと言っても、
ちょっとまじめにゲームの仕組みを考えただけで、
じわ~っとイヤな汗をかいてしまうくらいの
記憶がまだまだ残っているのが難だ(笑)


2006/07/25(火)
毎日ゲーム

毎日ゲームを発表できないかなと思っている。
毎日1本、年365本。
前もって十分な数のゲームをストックして、、、
では意味がないので、
原則1日1作、、、はさすがにムリなので、
3,4日に1作のペースでゲームを作る。
つまり、
同時に3プロジェクトくらいを平行に立ち上げておく。

ブログですら毎日続かないのに、
何を気が狂ったことをと言われそうだが、
かなり真剣に考えていて、
かなり実現可能なところまで、
頭の中ではアイデアが固まりつつある。
もちろん、それでも
かなり無謀な考えであることには変わりがないので、
自分の中で
「やるぞー」とテンションが120%に上がらない限り、
始められるようなことではないけど。

この計画をもっと現実可能なライン、
例えば月1とかにすると
かえって考えが「濁って」しまう。
毎日だとできることを極限まで絞らなければならない。
それでいて、楽しくなければ意味がない。
というあたりを真剣に考えなければならないが、
月イチだとjavaやFLASHで作れば、
今までの常識、価値観のままでも
作れてしまえる可能性がある。
こうした「余裕」がフォーカスをぼかしてしまう。
毎日だと今までのゲームの常識、方法論みたいなものを
いったん全部捨てて、
ゲームに必要な根っこは何か?
1から考えなおしさなければできない。
月1だと捨てきらないで進めてしまえる可能性があるわけだ。

このゲームの常識、原則みたいなもの
(本来、遊びにそんなものあるわけないはずなのだが)
1から見直す作業が今とっても大切であり、おもしろい
と思っていたりする。
(少なくとも自分にとっては)


2006/07/24(月)
豪雨

現地の人はとても気の毒だけど、
うっかりしていると、
豪雨とか土砂崩れは見慣れていてそうは驚かない。
しかし、今回のは、
いつもの台風でも大型の低気圧の時の災害じゃなくって
単なる?梅雨時の雨だというのが、
いつもと全然違うところであり、
ぞっとするところだ。

温暖化、とくに日本の場合は海水温の上昇は、
こういうことなんだとだんだんとわかってきて、
さすがに怖くなってきた。
こんな梅雨は今年に限ったことじゃないだろうし、
秋の台風もなんだかイヤな予感がする。
しかもおそらく日本だけじゃないだろうし。
毎年、豪雨によって数億、数百億の資産が失われていくという
恐ろしい時代になったのかもしれない。

たまにはおもしろかった本などの紹介を。
small planet
一見するとタダのジオラマ写真集のようだけど、
いやいやこれが全て実写だという。
と知って改めてみてみてもやはり不思議。
遠景、俯瞰、極端なフォーカス、
それだけで現実の世界もジオラマに見てしまう
人間の目って不思議だ。
是非、現物を見てもらいたい本です。

石田徹也遺作集
こういう足場の安定を奪っくるような>絵は大好きだ。
この作家は31才の若さで他界してしまったが、
死ぬまでの10年の間に大きな絵を180枚も描いている。
絵の不思議さというか力も相当なものだが、
こんなに短期間にたくさんの絵を描けるエネルギーが
いったいどこから生まれてきたのか、
それもまた不思議であり驚異である。


2006/07/21(金)
アメリカで売る

知り合いがプロジェクトのハードが代わったと言っていた。
P●3用に開発していたのを36●用に開発し直すのだという。
ゲーム機の発売台数などに詳しい人は「えっ」と驚くだろう。
(おれも驚いた)
たしかにP●3はまだ未知数だけど、
36●の日本での発売台数は惨憺たるものだと聞く。
ゲームの売れる数は、ハードの普及台数に影響を受ける。
単純計算すれば、
分母(ハード)が大きければ大きいほど、
分子(ゲームソフト)も大きくなるからだ。
じゃー、なぜ小さい「分母」を選んだのか。
1つには開発のコストの問題があるようだ。
P●3の開発負荷は大きいという噂が聞こえてくる一方、
36●の開発負荷はとても小さいと聞く。
これはこれでとても大切な問題だ。
しかし、それ以上に大事な事実がある。
36●は日本ではさえないが、
本拠地アメリカでは大変売れているという事実だ。
(日本のDSの売れ行きに近いとまで言う人がいるくらいだ)
つまり、日本で売れなくてもアメリカで売れれば、
それはそれで採算が合うということでOKなのだ。
それどころか、
日本の市場というのは、
もうアメリカの市場より小さくなっているので、
「アメリカで売れる」ということこそ、
ゲーム開発会社の主題だということだ。

これからはそうしたソフトがたくさん出てきそうだ。
もちろん、アメリカの好みに合わせるのは大変だろうし、
アメリカのソフトメーカーと競うのも大変だろうから、
そうは甘くなさそうな気もするけど、
小さな特殊な市場でしのぎを削ることと両天秤にかければ、
どっちもどっち、くらいのところまではきているんだろう。


2006/07/14(金)
味噌屋さんのアプリ

こういう夏らしいデスクトップ・アクセッサリーがある。
卓上の樹
デスクトップにいろいろな花を咲かせるアプリで、
実にきれいだ。
花は各々成長速度も増殖力も寿命?も違うようで、
なかなか変化に富んでいる。
MIXIに入っている人はコミュニティーもあります。

いわゆる自動生成系の遊びだけど、
以下の点がいいなーと思った。
1)
自動生成系を作るとき、
つい劇的な効果(進化)を狙ってしまうが、
「美しい、かわいい」にフォーカスを合わせたところが偉い。
2)
サーバーの負担が小さいところが偉い
3)
ユーザー間で、成果を見せたり、配ったりできるのが偉い
4)
有料サービスがあるが、
それがスポンサーの「味噌」を買ったときのポイントなのが偉い
5)
デスクトップがきれいになるという、
現実的なご利益があるところが偉い
6)
自動生成系のパラメータや表現方法がよくできているのが偉い
7)
味噌屋の人が自分で作っているのが偉いっていうか不思議(笑)

ネットゲームは月額の課金ではなく、
アイテム課金、つまりゲーム自体は無料で
オプションのアイテムを購入する。
(買わなければずっとタダで遊べる)
この収入だけで運営がやっていけるのだからおもしろい。
このアイテム課金をさらに、
スポンサーの商品を買ったときのポイントでまかなう。
ってあたりはおもしろいなーと思った。

どうもオヤジのせいか、
架空のアイテムをリアルマネーで購入するっていうのは、
少し抵抗があるというかもったいない気がしてしまう。
その点、リアルの商品を買ったポイントで
ゲーム上のアイテムも手にはいるならOKかと思ってしまう。
もっとも、そのリアルな商品が、
何度もほしくなる商品であることが前提だけど。

ともかく、
アドバゲームの一つのあり方だなーと思った。


2006/07/11(火)
特定のルート

誰でも思うことだと思うけど、
近くの本屋でゲームが買えたらどんなにお手軽だろう。
あるいは、
本のおまけにゲームがついていたり、
本とゲーム両方で遊ぶなんてのも楽しいかもしれない。
よほどのゲーム好きでない限り、
ゲームショップや家電量販店のゲームコーナーは、
馴染みのないマイナーな場所だし。
本屋のほうがうんと馴染みがあるはずだ。
しかし、
詳しくは知らないけど、
いざ、ゲームをメジャーの書籍ルート
(東販とか日販とか)に乗せようとすると、
遵守すべきルールや条件などの問題で、
あっという間に座礁してしまうらしい。
そもそも書籍とゲーム(おもちゃ)では、
再販制と買い取り制とシステムが違うし。

だれもが本屋にゲームがあればいいのにと思っても、
今だにソレが実現しないのはそんな事情だ。
しかし、
例えばこういうことなら可能性もあるかもね、
なんて話を今日会った人たちとしていた。

汎用のルートに乗せようとすると、
そのルートのルールに則らなくてはいけないので、
なかなかそこに入るのはむつかしい。
しかし、
特定の書店と限定して組めばあっという間に問題が解決する。
その店ととの新規のルールを作ればいいだけだからだ。
問題は、特定の書店だけで
必要数置けるか、売れるかということだ。
100万本売らないとダメということなら、
この話はナシだろう。
しかし、1万本でOKということなら
可能性はあるかもしれない。
1万本の販売で利益が出るかというと、
前もってそういう目標でもって制作規模を計算すれば、
それはそれで可能だろう。

販売戦略会議みたいなところで、
「いったい、それはどれだけ売れるのかね」
と聞かれる。
5万本と言ってしまうと、志が低いと言われ、
じゃー50万本というと読みが甘すぎると言われる。
逆に、
「いったい、どれだけ売れれば合格点としてくれるんですか」
と聞くとたいがい明確な答えが返ってこない。

当たり前のことだけど、
5万本売れても大手柄のゲームもあれば50万本でもちょっと、、、
というゲームがあるはずだ。
それぞれのゲーム毎に目標数をちゃんと設定すべきで、
内容や規模を無視して一律の目標数を設定しても意味がない。
各々の目標数を設定すれば、
上の本屋置きのゲームの売り上げ数だって、
アリじゃないという話がでてくるはずだ。

なんて話をしていた。
売れない、売れないと
人のこない場所でぼやいていても
仕方がない気がするけどなー。


2006/07/10(月)
大きさと世界観

コンピュータやゲーム機の画面スペックは、
よく、画素数と(表示)色数で表されるけど、
ゲーム機に限れば、
それ以上に画面の大きさが大きな要素だと思う。
テレビにつなぐタイプのゲーム機も
携帯ゲーム機も画素数はそんなに変わらない。
でも、画面の大きさは全然違う。
同じゲームでも雰囲気が違って見えたり、
テレビに映した時はおもしろかったのに、
携帯ゲーム機に移植されたらおもしろくなかったとか、
あるいはその逆とか。
仕様もグラフィックもそんなに変わっていないのに、
そう感じることがある。

個人的なイメージかもしれないけど、
どーも携帯ゲーム機では
「世界に浸る」「役になりきる」
っていうことがむつかしい気がする。
画面が小さすぎるのだ。
おもしろいに違いないRPGが、
携帯ゲーム機では今ひとつ楽しめないのは
文字が小さくて読みにくいってのもあるけど、
世界観を楽しみにくいのが主な原因のような気がする。
映画でもそうだけど、どっぷりその世界に浸るには、
ある程度、自分の視界を占領してくれないといけない。
日常の風景があまりチラチラ入ってくると
なかなか「あちらに行く」のはむつかしい。
特に大人(おやじ?)になると(笑)。

携帯ゲーム機でゲームを作るときは、
そのあたりへの注意も必要なんだろう。


2006/07/05(水)
脳ドリルの副作用

正式な名称なんだっけ?
ともかく川島教授の「脳ドリル」ソフトは、
ゲーム機に触る人の層を大きくひろげた。
発売元だけでなく、
ゲーム業界全体に対する大貢献と言えるだろう。
が、
あれだけの数字が出るとさすがに副作用も出るようだ。
ここのところ、
たまたま数社のゲーム会社の方と
話をさせてもらう機会があった。
おもしろいことに、
どのゲーム会社のDS市場に対する見解もだいたい同じで、
こういうことのようだ。
・今はツール系(右脳系とも言う)のソフトが売れている
・逆に、従来からのゲームゲームしたゲームは売れない
・とはいっても、N社のソフトばかりが売れている
そして、こうした「現象」は、
上層部の人たちにはこう見えるようだ。
・(安いコストでつくる)ツール系のソフトを作るべきだ
・高いコストをかけて従来型のゲームを作るのはリスクが高い
・DSのソフトを作ってももうからない
非情に低予算で作られたと噂されるツール系が、
のきなみ100万本を超える売り上げを見せているのだから、
何億、何年もかけてゲームを作るのは、
バカバカしく見えてしまうのかもしれない。
そう感じる心情は理解できるものの、
やっぱり少し、
近視的で日和見的な見方である気がしてならない。
ただし、
ゲーム制作の現場の人たちはそうは考えないようだ。
ツール系という遊びが一過性のブームである可能性もある。
今この瞬間のマーケッティングの結果が、
これから作るゲームが出るころ(1年先)にも同じとは限らない。
ゲームらしいゲームを作らないことが、
市場を冷やしてしまう可能性もある。
だいたい、
ツール系を否定するわけではないが、
そんなもの「ばっかり」を作るのは楽しいことなのか。
などなどが、現場の声だと感じだ。
なんとかがんばって上を説得してもらいたいものだ。


2006/07/03(月)
90分

Wカップの盛り上がりの裏で、
我が巨人がひっそりと10連敗、、、(涙)
巨人のことも心配だけど、
野球自体のことの方が心配だ。
はっきり野球>サッカーの自分でさえ、
気持ちがどんどんサッカーの方にシフトしている。
(もっともWカップゆえってのはあるけど)

野球の人気がかげり、
サッカー人気が上向きである理由は
いっぱいあるんだろうけど、
その1つはプレイ時間だと思う。
野球、特に日本の野球は今では3時間を超えてしまう。
それに対してサッカーは延長がなければ90分。
やはり3時間は長い。
東京を出て大阪についてもまだ試合が終わっていない!
きっと2時間でも長いと感じるだろう。
昭和の時代ならそういう時間もアリだったんだろうけど、
平成あるいは21世紀に3時間は、
長すぎる遊びなんじゃないかと思う。

おもしろいことに、
ボードゲームのプレイ時間も年々短くなってきている。
ちょっと前までは1プレイ2時間ってのが多かったが、
今では30分くらいで終わるゲームが主流のようだし、
実際、そのくらいの時間で終わる方が気持ちが良い。

きっとゲームやスポーツに限らず、
どんなジャンルの遊びでも、
1回のプレイ時間は短くなっているんだろう。
1人の人間が1日にやることが増えたのかもしれないし、
別にやることがなくても、
時代の流れに伴う生理的な要求なのかもしれない。

じゃー短ければ短いほどいいかというと、
なんかソレも違う気がする。
サッカーの90分っていうのが、
今の時代に一番フィットしている時間かもしれない。
(フィットしているか限界か)
もし野球が90分で終われるようになったら、
ずいぶんと印象が違うに違いない。
さすがに90分はムリにしても、
せめて2時間コールドくらいにしてくれればなー。
星野さんがテレビで言っていたけど、
ストライクゾーンをボール1つ分広げる
(つまりピッチャーに有利にする)だけで、
ずいぶんとゲーム展開のテンポがよくなるのだそうだ。




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