人間風車

2006/09/29(金)
一言で言うと

一言で言うとどういうゲームなのか。
そろそろ、そんなことも考えないといけない。
(ホントは最初から考えてないといけないんだろうけど)
絶対にこの先、いろいろな人に聞かれるからだ。

だいたい、いつもそうだけど、
どのジャンルに属するゲームなのかも
わからないことが多いので、
どういうゲームか一言で言うのはとってもむつかしい。
そもそもゲームなのか、、、
そのあたりが怪しい事だって多い。
今回はどうなんだろう。
どうやら例外ではなさそうだ。

「一言」を発見する、発明することは
とっても大変なことだけど、
同時にとっても大切なことのような気もする。
それによって、
どんな遊びなのかわかるだけでなく、
遊び方のベクトル(方向とエネルギー)が
一気に明確になることがあるし、
買う動機、最後に背中を押す原動力にもなる。

言霊っていうのはとっても影響力が強い。
よく不謹慎な例として使うんだけど、
もし「援助交際」という言葉の発明がなかったら、
若年層の売春行為は今より少なかったに違いない。
「売春」という言葉しかなかったら、
やはりちょっと重く、暗く、危険で背徳な感じがして、
思いとどまることが多かったんじゃなだろうか。
「援助」という言葉で買う側が、
「交際」という言葉で売る側が、
ずいぶんと手頃な「言い訳」が手に入ったわけだ。

だから一言で表現するって事はとても大切だ。
今回はなんだろう。
いくつか頭に浮かんでいるけど、どれもこれも全然ダメだ。
(まったくこういうとき、
言葉の才のない自分がはがゆくて仕方がない)
遊びの内容を細かく知りすぎている故に、
ざっくりと全体像を見るってことが難しくなっているんだろう。
でも、この時期だからこそ、
そうやってぼんやり全体像を見るってことも大切だ。
ってことで、堂々巡りのまま、
時間ばかりがすぎていく(笑)


2006/09/28(木)
プロ受難

その道に詳しい人が
その道をよく理解しているとは限らない。
この間、
NHKの特番で
ファッション現場のレポートをやっていて、
企画の人が
「今の時代は、この道何年とか何々を手がけていたとか、
そういう過去の実績がむしろ足かせになる」
みたいなことを言っていた。
よく言われる言葉だけど、
「過去の成功例が殺す」っていうヤツだ。

流れが急カーブを描いているときっていうのは、
従来通りの方法論が通用しない。
そういうとき、ちょっと弱気になると
良かった頃のことを思い出し、
ついその方法にすがろうとする。
が、すでに時代は変わっているので、
過去の成功例が通用することはまずない。
というわけだ。

DSで売れているソフト群を見ていると、
昔からのがっつりした
ゲームらしいゲームを作っている人たちは、
きっと悩ましいことだろう。
大げさに言えば、
自分の価値観や人生を
否定されているかのように思っているかもしれない。
プロ受難の時代だ。

ま、そもそもエンターテインメントのプロっていのは、
工芸職人のように
「伝統を守り高い品質さえ保てばよい」
というのとはちと違う気がするので、
「プロ」とはどういうことなのか、
そのあたりをちゃんと考えないといけないんだろう。

とまるで他人事のように語るわけだけど、
10年もゲームを作っていると知らず知らずのうちに
自分の中に「ゲーム作りの常識」みたいなものが
ついてしまっているのに気がついてぞっとすることがある。
っていうわけで、
そろそろ今仕掛かっているプロジェクトも
まとめるフェーズに入っているのだけど、
まとめるということを
「既成の器に納めること」と
勘違いしないようにしないといけない。


2006/09/26(火)
三大怪獣総決戦

ゴジラ、モスラ、キング・ギドラのことじゃなくって
っていうと歳がばれそうな感じですが、
もちろん、
PS3,Wii,XBOX360のことです。
きっと巷でも
どの「怪獣」が一番「強い」か
議論が白熱していることだと思いますが、
私目も興味本位で予想など。

ゴールをどこに置くか、何を勝敗の基準にするかで
ずいぶんと予想が変わると思うけど、
ここは5年後のシェア率ということにして予想してみる。
私目の予想は、
ワールドワイドで考えれば、
1位)XBOX360、2位)Wii、3位)PS3
といった感じ。
調子に乗ってシェア率も予想してみると、
XBOX360=50%、Wii=30%、PS3=20%
くらいな感じじゃないかと思うくらい、
XBOX360が強いんじゃないかとおもっとります。

日本の市場だけを見ているとXBOX360なんて、、、
という感じがついしてしまうんだけど、
今や世界最大のゲーム市場は北米。
そちらでXBOX360が幅をきかすんじゃないかと思う。
餅は餅屋。
アメリカ人の好みにあったゲームはアメリカ人が作るのがうまい。
アメリカ人は(きっと)XBOX360に愛着があるだろうし、
アメリカ人が好きそうなゲーム
(撃って撃って撃ちまくるだけのゲームといっちゃー言い過ぎか)
の開発には、XBOX360は向いていると聞く。

もっとも、
じゃーXBOX360のゲームが作りたいかというと、
それとこれは全くの別。
むしろ、
もっとも興味がないハードっていうか、
自分のテイストともっとも相性が悪いハードだと思っている。
じゃあどのハードが一番食指が動くかというと、
実はどのハードというよりは、
Wiiのバーチャルコンソールあるいは、
「チャンネル」のコンセプトだったりする。


2006/09/25(月)
失敗談

TGSの話。
会う人、会う人に「なんかおもしろいのあった?」と聞かれた。
みんな同じ感じなんだなーと思った。
次世代ハードの映像はたしかにスゴイ。
きれいだし、処理能力もありそうだ。
でも、
こ、これはなんだ!
っていう感じの絵には会えなかった。
(このご時世、
そんなサプライズを期待しているオレが
間違っているのかもしれないけど)

モーターショーなんかではコンセプトカーというのが出展される。
そのまま販売されるわけではない車だけど、
そのメーカーがどっちの方を見ているのかよくわかるし、
市販の圧力がかかっていない分、デザインが自由で見ているだけで楽しい。
それ自体は商売にならないだろうけど、
車の世界がなんだか元気があるように見えると言う意味では、
間接的というか先行投資的効果はありそうだ。

TGSもそういうコンセプトゲームを出してくれればなーと思った。

TGSでは専門学校の生徒さんのゲームも出品されていた。
実はココを期待していたんだけど、
「よくできた」ゲームは多かったけど、
同時に「よく見かける」ゲームが多かった気がする。
そんなことをMIXIに書いたら、
最近では学校では即戦力になるゲーム作りを教えている。
そして学生もそれを期待しているので、
(つまり両者、就職できることを第一義にしているわけだ)
独創的に考えようみたいな講義は人気がないんだと
そういうところで講師をしている、
知り合いのゲーム作家が嘆いていた。
そういうもんなんだなー。
そんなところでリスクはおいたくないんだろーなー。
わかる気もする。
でも、
即戦力=即パーツにならないようにがんばってくださいね。
と思いつつ、
そうかこんなとき、
「失敗し続けてても、ほら、こうしてまだやっていけてるよ」
(だから、「安全策」なんてやめて振り切っちゃおうよ)
という失敗談を若い人に伝えてあげることも
俺たちの義務かなーなんて話をしていた。


2006/09/22(金)
テレビ、もてもて

今日は東京ゲームショー
年末に向けて、3社の据え置き型ゲーム機がでそろう。
今まで通り、
ライバル同士っていうアングルはもちろんあるだろうけど、
今回の新機種たちはちょっと違うところを見ている気がする。
お互いがライバルというより、
今テレビにつながっている装置、
ビデオ、DVDプレイヤー、コンピュータ、
そういうものをライバルとしてとらえているって感じがする。

それにしても、テレビ(受像器)はモテモテだー。
昔は、民放の放送しか映していなかったのに、
今では、
ビデオやDVDの映像、ゲーム、コンピュータ情報、
インターネット情報、
いろんなものが映し出される。
コンピュータなんてのは、
モニターといっつも対になっているのに、
それでも情報を「テレビ」に映したがる。

モニターの大きさや普及率っていう問題もあるだろうけど、
お茶の間(死語?)という家の中心的位置に
でんと鎮座しているという、
その、配置場所的特権が大きいんだろう。
物理的な位置とともに、
家族の中心的装置、
唯一家族全員でシャエアできる装置ともいえる。
あるいは、
テレビに対する見る人の「姿勢」が、
今の時代、他のメディアなどにもシックリくるのかもしれない。
つまり、
ダラダラと低い集中力で、
他のことをやりながらとか、誰かとしゃべりながらしながら、
見たり聞いたりいじったりする。
そういうテレビのテンションが、
他のメディアにもしっくりきているのかもしれない。

さてさて、この先、
テレビももっともたくさん映し出されるのはどれだろう。
テレビ大好き(テレビ番組が好きというわけではない)
自分としては、
興味があるところだ。
単純に家庭用ゲーム機用ゲームという意味では、
3大マシン、
どれも作りたいっていう気に今ひとつなれないけど、
テレビの「チャンネル争い」に参加できるんなら、
ちょっと食指が動く。


2006/09/20(水)
相手の懐に入っちまえ

イヤなヤツがいたら、
(逆に)がーっと相手の懐に入っちまえばいいんだ。
そーすれば、友達になっちまうんだ。」
アントニオ猪木がたしかそんなことを言っていたっけ。
その時は、
ずいぶんとおおらかというか性善説の人というか、
人なつっこい性格なんだなーと思ったくらいだけど、
こういう話(以下)を聞くと
たしかに、そういうことってあるのかもねーと思った。

インターネット上には、
YouTubeや、Winnyなど、
ファイルのやりとりがとても簡単なサイトやツールが
いっぱいあるので、
著作権を守るというのはとても難題だ。

もっとも単純に考えるなら、
コンテンツにプロテクトをかけて、
無許可の者には見られないようにする方法だろう。
実際に、音楽CDでは、CCCDというものが出た。
これがどのくらい功を奏したのか知らないけど、
あっという間にプロテクトをはずすツールが出回り、
これまたイタチごっこになってしまう。
それ以上に、
ちゃんとお金を出して買った人に、
「欠陥品」を売るということなるのがいただけない。

取られると考えるより、
むしろ、
積極的に持って行ってもらうと考える
としたほうがおもしろい展開になるだろう。
「YouTubeにWarner Musicが音楽ビデオを提供」
なんてニュースを見たりすると、
YouTubeと映像コンテンツをもつ企業は、
そこらあたりの「着地点」をちゃんと探している感じがする。


2006/09/19(火)
平行仕事

1つのプロジェクトを走らせているときに、
もう1つプロジェクトを走らせたいと、
クライアントに提案するのはなかなか勇気がいる。
相手が困惑する様子が容易に想像できるからだ。

今走っているプロジェクトに情熱をなくしたのか。
金に困ってるのか(笑)
他の(新しい)クライアントの方がいいのか。
などなど、
そう心配する様が容易に想像できる。
さらに、
なんで他のプロジェクトを走らせることが、
今のプロジェクトにもいい結果になるなんて理屈、
なかなか理解してもらえそうにないと思うと
さらに口が重くなる。

人間の脳にはワークエリアがある。
脳の大部分ははなっから何に使うか役割が決まっているが、
そうでなく、何に使ってもいいエリアのことだ。
共同作業用の机のようなもんだと考えるとわかりやすい。
1つの作業がはじまると、
その「机」にいろんなメモや図面や道具が置かれる。
もう1つの作業が始まると、
空いているスペースにその作業用のものが置かれる。

現代人は起きてから寝るまで、
実に多くの「作業」をこなすことになる。
同時に仕掛かり状態になる作業もとても多い。
ワークエリアはあっという間に空きがなくなる。
新しい作業をする余裕がないだけでなく、
今、「机」の上に乗っている仕事も今以上に拡張できない。
こういう状態が
「考えがまとまらない」
「いいアイデアが浮かばない」
だったりする。

こういう状態は誰にでも起こり、実は誰もが解決している。
気分転換というやつだ。
気分を転換するために、全く新しいことを積極的に行おうとする。
こうなると、
もうスペースをこじ開けてなんてレベルではなくなる。
一旦、机の上のモノをすっかりどけてしまわなくてはならない。
このことが功を奏す。
気分転換の作業が終わった後には、
たっぷりのスペースがある机が残る。
ここにそれ以前に仕掛かっていた仕事を置き直す。
前よりたくさんのスペースが得られるので、
必然的に作業がはかどることになる。
ちょっとした気分転換より、
旅行などのように大きな気分転換が有効だったりするのも
こうした理由からだ。
(より大きなスペースがいる→大きなスペースが空く)

ゲーム、とくにディレクションという仕事は、
全体を把握する必要があるので、
「机」はあっという間にいっぱいになる。
しかも後半となれば、イレギュラーなことが頻発する。
その処理のためのスペースも必要となってくる。
となると常に「机」の上はモノがいっぱいで、
とっちらかることとなる。
考えがまとまらなかったり、十分に深められなかったり、
別のアイデアを思いつけなかったりと、
判断も鈍りがちになる。
かといって、
旅行に出る。
なんてことは許されない(笑)
となると、
逆転の発想で、
もう1つ大きな作業を入れてしまうというのが
有効だったりするのだ。

もっとも、これは万人向きじゃないのかもしれない。
なるべく雑音を入れないで、
1つのことに集中した方がいい仕事ができる人も多いだろう。
ただ、
本も常に5冊くらい平行して読んでいる、
(そのほうが集中できる)
「分散力だけは自信がある」
そういう性格の自分には合っているようだ。


2006/09/14(木)
ブログ炎上2

この間、また一つ
いつも愛読させてもらっていたブログが炎上してしまった。
炎上する原因はいろいろある。
書いた本人の考え方、言い方が原因である場合もあるし、
読む側の理解力のなさが原因である場合もある。
この間炎上したブログは、
あきらかに後者が原因であると断言できる。
(今は「鎮火」しているので、あえてそのブログ名は伏せます)

こういう場合は主催者が気の毒でならないし、
同時に、
また一つおもしろい「読み物」が減ってしまったことに対して、
「あーあ、どーしてくれるんだよ」
と思わずにはいられない。
というのも、
炎上後のブログを見ているとだいたい、
1)ブログ自体が休止する
2)再開されるが、表現が非情に慎重になる
3)より、意固地にかたくなになる
のどれかの状態になり、
元のままで再開されることはまずない。
(もっとものことだ)
そして、どの状態になったとしても、
以前の輝きは失われてしまうので、
やはりブログは一度炎上すると、
「ほとんど死んでしまう」ということなんだろう。

もともと、
著名な人のブログの醍醐味は、
マスコミのインタビューなどで発信される
「慎重な対応」や「営業的な対応」じゃない、
素の姿や本音が見えるところにある。
そういう姿が簡単にしかもタダで!見られるというのが、
今のネット環境のすばらしいところだ。
そういうありがたいブログが、
軽率で短絡的な脳死的な反応で燃やされてしまうと、
残念でならない。

年上のジャーナリストが、
某巨大掲示板を「ゴミ箱」扱いすることがある。
これは対しての反論は、
ネットの世界というのは、玉石混合で、
確かにゴミや間違いも多いけど、
玉(有用な情報)もたくさんある。
また、そんなことは誰もが自覚している。
だから、
十把一絡げにゴミ箱扱いするのは間違いだ。
イイ悪いにかかわらず、
あるいは某巨大掲示板に限らず、
玉石混合の中から効率的に的確に
「玉」を取り出せる能力こそネット遊びの必須の能力だ。
といったところか。

確かにその通りになっていると思う。
ただ、
年配の「玉探しだし能力」の欠如と同じくらい、
ネット遊びをする方にも、
基本的な文章の理解力、コミュニケーション力
が欠如していることがある気がする。
(もちろん、そういう人がいる、という話であり、
全員がそうであると言っているわけではない)
こうした理解力の不足が原因で、
ありがたいブログを消失させてしまうとしたら、
それはとても不幸なことだ。

さらに、
これはどうやら日本人の伝統的な特質のようだけど、
集団になるととたんに凶暴、冷酷になるようだ。
戦争中の悲劇もそうだし、
集団リンチなんかもそうだろう。
集団の中で「個」を消して、集団の意にしたがう。
お互いのそれが相乗して、
各々のレベルを超えた凶暴性が生まれる。
そういう集団没個性的凶暴性が、
ブログの炎上に見え隠れしたりすることがある。
そう言うときは、
さすがにちょっとぞっとするものを感じる。
(そういう炎上は例外的で、
たまたま個別のたくさんの人が反応したため炎上する
ってことの方が多いんだろうけど)

ともかく文化遺産じゃないけど、
一度燃えてしまうと
死んでしまうかパワーダウンしてしまうわけだから、
お互い「火の用心」には気をつけたいものだ。
ましてや「放火」はやめてほしい。


※リンクは歓迎いたしますが、
部分的な引用はお断りいたしますので、
そのへん、一つよろしくお願いします。


2006/09/11(月)
第4クオーター

ここは、なるべく
週末と週の初めは書こうと決めているんですが、
さすがに土日と出社を続けると、
明日から新しい週なんて気持ちになれんのですよねー。
なんだか、もー一生ウィークデイなんじゃないのか、
っていう錯覚すら覚えるくらい(笑)

今年から始めたプロジェクトは、だいたい7割方終了。
8ヶ月で7割が世間的に見て早いのか、遅いのかは微妙だけど、
自分の請け負ったプロジェクトとしては早いほうだ。
もっとも、
今日7割でも、明日には5割にまきもどる。
なんてことは、
ゲーム制作の現場では、当たり前の現象なので、
出口が近いなんて感覚は全くない。
遠くに見えてきたかなーというくらいの気持ちだ。

ただ、
ここらあたりにくると、さすがに大きな仕様変更は考えにくい。
(とりあえず、自分たちからは)
もうさんざん議論と検証をしてきたってこともあるし、
ここで新たな仕様を組み込むと、
基礎部分からガタつく可能性があるので、
怖いっていうのが正直な気持ちだ。
さらに、
新しいアイデアなんてのは、ず~っと出続けるものなので、
それを全て組み込んでいたら、
いつまで経っても完成しないことになるし。
もちろん、お金もかかるし。
(もっとも、
今入れて絶対よくなるとかいうアイデアであれば、
多少のリスクが出ようと組み込むけど)

ともかく、なにがいいたいかということ、
ちょっと語弊がある言い方だけど、
この先の作業はおもしろくないってことだ(笑)
いや、おもしろくないっていうのは言い過ぎかな。
おもしろさの質が変わるっていうほうが
正確かもしれない。
新しいアイデアをどんどん組み込んでいく楽しさ、
ゲームの全体像がどんどん姿を見せてくる楽しさから、
ブラッシュアップ作業中心という地味な楽しさ、
締め切りに追われる楽しさ、
デバッグに悩まされる楽しさ、
疲労蓄積に苦しむ楽しさ、
おもしろいんだろうか、売れるんだろうか
という不安する楽しさ、
そもそもホントに作り上げきれるんだろうか
という恐怖する楽しさ。
そういう楽しさが中心となっていく、
第4クオーターなのでした(笑)。


2006/09/08(金)
わたしの1日

ちょっと前に、
今やっている、今日やったことを
ココを読んでくれてる人くらいには、
報告できたらなぁと言ってたけど、
(守秘義務の問題で公言できない)
ここ数週間の自分の生活を振り返ってみると、
どうなんだろうと思ってしまう。

14時ころ起きる。
あっついシャワーを浴びて眠気を覚まし、
さっさと身支度をすませ、
コンビニでオニギリ2個と「濃い生茶」
(もっかこれが一押し)を買って会社に入る。
午後15時ごろ、仕事開始。
メールのチェック、打ち合わせ、
仕事の催促、
データが上がってくるのを待って、
チェックやダメだし。
作業の進捗状況の確認とスケジュールの再調整。
ときどき、
クライアントに言い訳メッセージを書いたり。
自分が担当するところの絵を描く。
仕様を修正して、仕様書を更新。
次のネタを考えながら、企画書を書いたり、
サンプルを作るための段取りをしたりする。
同時に、
取りこぼし作業がないか思い出したり、
MIXIに描き込んだり。
あっという間に20時。
夕飯を食べる(ここんところはこれも会社)。
1時間くらい放心した後、
1時間だけ仮眠。
自宅の作業場で仕事の続き。
一人っきりでできる仕事が中心。
キャラデザインをしたり、企画を練ったり修正したり、
資料を集めたり、なげいたり、ぼやいたり。
ときに夜食を作ったりラーメンを食べに行ったり。
決まって5時頃エネルギーが切れるので、
次の日、自分が会社に行くまでに
やっておいてほしいことをMLに流して、
1日の仕事は終了。
1時間くらいぬるーい風呂に入って
読書もしくはうたた寝。
出てから映画(DVD)を1本見ると、
もう朝の7時とか8時とか。
なんだか、
いつもみのもんたに怒られながら寝る感じ。

という1日はイイとして、
昨日もおとといも、その前も先週も先月も半年前も、
去年の今頃もず~~と同じ生活ってのが問題だ。
これじゃー、
1回報告したら2回目からは「以下同」で、
書くことがないあたりが問題。
っていうか、よくまぁ、
飽きっぽい自分がこんな単調な日々を過ごせるもんだと
我ながら感心してしまうのでありました。


2006/09/07(木)
やり込み度

「やり込み度満点」「はまりまくり」っていうのは、
ゲームに対する最高の賞賛の言葉だろう。
やり込みがいがあって、はまりまくって、
ついつい夜更かししてしまう。
ついつい他のことを後回しにしてしまう。
そんな麻薬のようなゲームを作れる人は、
すごいと思うし、もちろん最大限リスペクトする。

一方、はまりまくった後っていうのは、
どんな気持ちだろうかと考えると、
満足感と達成感という快感もあるけど、
それプラス
たくさんの時間を使ってしまった事への
罪悪感もある。

この感覚は、
お菓子を食べ過ぎてしまったときの
それに近いのかもしれないとも思う。
人間の生理っていうのは不思議なモノで、
油と塩と砂糖、
これをあるバランスで配合すると、
胃から満腹信号が来ようがなにしようが、
食欲中枢が興奮しっぱなしになるようだ。
「やめられない、止まらない」状態になるわけだ。

おなか一杯、あるいはあるだけ食べきっちゃった後には、
おいしかったという満足感もあるが、
カロリーや栄養や塩分のことを考えると、
同時に、罪悪感も覚えるんじゃないだろうか。

そして、
お菓子ではそんな後ろめたさを反映して、
カロリーを押さえたり、
カルシウムなどの栄養を添加したりしている。
ジュースなんかでも、
無果汁、着色料だけ、砂糖炭酸たっぷりなんてのは、
あまり見かけないようになってしまった。

ゲームでもそういう「流れ」ができるんだろうか。
単にやり込み度満点とかはまりまくりとか、
そういうことだけではダメとか、
そういう「流れ」になるんだろうか。
だとしたら、
ゲームにおけるローカロリーとか栄養とかは
いったい何が相当するんだろう。
単純に「脳が良くなる」だろうか(笑)


2006/09/06(水)
そうだ反面教師になろう

世の中には経験からしか得られない
知恵っていうのがいっぱいある。
残念ながら、そういうことがわかるのは、
経験を積んできてからなので、
必然的に、
おやじ(おばさん)以後ということになる。

一方、加齢により、
すっかり時代の速度においつけなくなり、
それが故に、仕事や生活がうまくいなかくなると、
自分がバリバリ元気だった頃の
成功体験を持ちだして、それを乗り切ろうとする。
もちろん自分がバリバリだったときと今では、
すべてのパラメータが変わっているので、
それでうまくいくわけがない。

つまり、いつの時代でも、
オヤジの言うことは、若者には、
わかんねーか時代錯誤である可能性が大なわけだ。
自分もすっかりオヤジのカテゴリーに入っているのでわかるが、
オヤジ側にもそういう自覚っていのはあって、
何かしら忠言めいたことを言うと、
うざがられるのが落ちだとわかっているので、
つい口をつぐんでしまうか、
若い人の意見に迎合してしまう。

でもひょっとしたら、
オヤジの助言は、
彼らの直接的な役に立てなくても、
反面教師ぐらいにはなれるのかもしれないと思うと、
うざがられようが、信じてもらえまいが、
それはそれで間接的な役に立つのかも。
とふと思ったりした。
ああなりたくはない。
それは違うと思う。
全然理解できない。
そう思うだけでも、
彼はすでに
明日への解決の段階を1つ登ったことになるからだ。

ということで、
今日からはうっとうしいオヤジになろうかと
思っています。


2006/09/05(火)
ブログ炎上

今、自分のブログを「炎上」させたければ、
匿名投稿批判をすればいい。
といっていいくらい、
匿名性についてはブログや掲示板はナーバスだ。

匿名は卑怯だとか信憑性がないとか、
匿名だからこそ語れる真実があるとか、
そもそも炎上や荒らしなどの行儀の悪さと
匿名性とは本質的には関係がないなどなど、
熱く議論が闘わされているというか、
ぜんぜんかみ合っていないというか。

ぼく個人としては、
匿名性をイイとか悪いとかいうくくり方をしても
意味がないと思っているけど、
例えば、最近の農業なんかで、
生産者の顔が見れるようにしよう、
生産者と消費者が顔をつきあわせよう、
それが安全な野菜を作り、手に入れるいい手段だ。
という流れと
もっとも交流が簡易なはずのネット世界、
とりあわけブログや掲示板では、
むしろ逆のベクトルになっているという現象は、
興味深いといえば興味深い。

ちょうどいい落としどころはどこだろう。
固定のハンドルネームを持つことあたりだろうか。
必要(事件性など)があれば、
個人を特定できるハンドルネームがあれば、
それくらいでいいのかもしれない気がする。
もっとも、
誰が必要性があると決めるのかってあたりが
とっても危なっかしいけど。


2006/09/01(金)
テレビの得意なこと

ちょっと前、
BSで『ニッポンのギターヒストリー』
という番組をやっていた。
ストレートなタイトルそのまんまの番組で(笑)
1般受けしない、0.5般受けくらいの番組内容だったけど、
ちょうど波長が合ったようだ。

そういえば、
気がついたら、最近、
録画したい番組がBSの番組ばかりになっている。

BSの番組は、
(おそらく)予算がないようだから、
あまり金に物を言わせたことができないみたいだけど、
逆に、1つのネタを深くつっこんでくれる。
どーせ普通の人は見ないから、
マニアックなネタをとりあげる(勝手な想像です!)。
そこらあたりのスピリットも好きなんだろう。
(このあたりの空気は深夜放送が始まったときに似ている。
たまたま、深夜放送のほうは携わっていたってて、
その雰囲気がとても好きだったのも、
今のBS好きの理由の一つなんだろう)

たとえば、
ギタリストにエレキ・ギターの魅力を語らせる
なんて番組は、
メジャー・チャンネルじゃー企画が通らないだろう。
でも、(あたりまえだけど)
ギタリストはギターについて語るのがとても好きなので、
目がきらきらさせながら語っている。
(みんな有名な人でテレビでとく見るのに)
その様子がとても新鮮に見えた。
別に有名人のインタビューじゃなくても、
人が自分の好きなことについて熱心に語る姿っていうのは、
見ててとても気持ちが良いもんだし、
ホントにその人が好きで好きでたまらないとか、
すっげー感動したとか、
そういうのって必ず伝わる気がする。
(逆に言えば、興味のあるふりなんてのは
すぐにばれてしまう)

こういう番組がこれから視聴率を取る番組になる。
たぶん、そういう時代はこないと思う。
ただ、こういう番組もアリな時代になると思う。
それは、
テレビという装置っていうのが、
こういう空気を伝えるのが、
とっても得意な装置なのだからだろう。
(だから、トーク番組が一番おもしろい)




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