人間風車

2006/10/27(金)
ニュー・クレラップの使いやすさ

電子レンジ族なので、
よくサランラップ(これって商品名?)を使う。
お気に入りは「ニュー・クレラップ」
けっこう長く愛用しているんだけど、
このクレラップのラップの斬り方の進化には
頭が下がる。
今はこんなん
誰もが経験していることだろうけど、
ラップがうまくきれなくて、クシャクシャになる。
ラップをひっぱってたら、ロールごと飛び出してしまった。
変なきれ方をして、ロールに端がへばりついてしまって、
端が見つからない。
そういうトラブルに対して何度も何度も改良が施されている。
前回のバージョン(巻き戻し防止シールつき)くらいでも
もー十分だって感じがしたのに、
今回はさらに改良されたり追加されてたりしていた。

これに限らず、
家庭用の道具、家電の使いやすさへのこだわりには、
ホント頭が下がる。
特に、科学と工学との相性が悪いお母様方を相手とする家電は、
使いやすさ、簡単な操作性、危険防止、
耐久性、お値段、ムードなどについて、
すっごく気を遣っている。

いやー見習わないといけない。
とくに、ゲームがゲームに相性が悪い人たちを
相手にするようになったからには、
今まで以上に、
そのあたりに注意を向けないといけないだろう。
といいつつ、
実は使い勝手に一番盲目なのは、作っている人たち本人だ。
自分がゲームを作り始める前は、
なんでこういうところをいい加減に作るのかなーと
操作性の悪いゲームを無茶苦茶けなしていたけど、
最近は少し同情気味である。
というのも、
作り手は、
何度も何度もテストプレイを重ねるうちに、
手が操作に慣れてしまい、
何が不便で何がわかりにくくて何が危なっかしいか、
そのあたりが見えなくなってっしまうのだ。
最初のうちこそ、
ああ、ここ使いづらいなぁ、直さないと。
でも、優先度からすると後の作業だなー。
(どうせ、メニューとかバンバン変更になっちゃうんだし)
なんて思っているうちに、
手が慣れてしまってしまうのだ。
そのあたり、
今のプロジェクトで一番ヤバイタイミングなので、
注意しよう。
と日記には書いておこう(古っ!)


2006/10/24(火)
アメリカのテレビドラマ

吉田拓郎が、この間の「つま恋」のコンサートで、
「朝までやらなくちゃ男じゃない。
なんて、男でいたくないですね。
そんな窮屈な男でいたくない。
9時まででいいじゃないですか(笑)」
って言っていた。
もちろん、これは31年前の
「朝までやるからなー」と言った自分へのレスだ。
わかるなー、その気持ち。
一方、
きっと20代くらいでそんなことを言うヤツがいたら、
それはそれで失望するだろうな。
その歳にならないと真実でない、
言っちゃいけない言葉ってのがあるような気がする。

最近、ふと気がつくと、
寝る前に見ているのは、
アメリカのテレビドラマ(のDVD)であることが多い。
古いのでは『ER』、
それから『24』『CSI』『ソプラノズ』、
最近では『プリズン・ブレイク』『ロスト』
どれもどれもシリーズになっていってしまうので、
マンガの単行本と同じで、
加速的に見なくちゃいけないアイテムが増えていく。
全く、うれしい悲鳴だ。

それにしても、最近のアメリカのテレビドラマはおもしろい。
おもしろさの理由の一つに、
やっぱり映画を見ているようなお金のかけ方というのがある。
テレビで放映するだけでなく、DVDにして売れる。
というビジネスパターンが確立したので、
投資できるようになったんだろう。
それに、どっかに書いてあったけど(どこだった失念)、
映画は巨額な投資になるので、
どうしても企画が保守化する。
投資家がリスクを嫌うからだ。
それに対して、巨額になってきたと言っても
映画の比ではないテレビドラマ。
その分だけ、思い切った企画が通りやすい。
上のドラマがどれもアイデアが秀逸であるのは、
そのあたりのリスクの「軽さ」も理由の一つだろう。
もっとも、逆にテレビならではの制約もあるんだろうけど。
見る側にとっても、
2時間の「空き」時間を要する映画に比べて、
1時間未満のテレビドラマはその分だけとっかりやすい。

このあたりの状況全てが「他山の石」だなーと思う。


2006/10/17(火)
むしろ使ってもらう

ipodでゲームが遊べるようになった。
ほしいと思った。
それようのipodとゲーム代で6万円弱。
ふと冷静に考えるとPS3と同じくらいになってしまう。
それでも瞬間、買おうとおもってしまったのは、
やはりipodというハードの魅力のせいか。

「巨人の星」で星飛雄馬が大リーグ1号を発明するとき、
ある坊さんの
「バットに当てられまいとするのではなく、
むしろ、バットに当ててもらおうとする」
という言葉がヒントになった。
なんて話をふと思い出した。

ユーザーが自由に加工できるゲームって作れないモノだろうか。
ゲームは構造上、
1から作るのは大変むつかしい。
技術的に難しい上に、開発環境などの問題もある。
だいいち、ほとんどの人は、
1からゲームを発想するよりは、
ここをこうしたらいいのに、と加工するほうが
簡単だし、得意だし、好きなはずだ。

ゲームも音楽も映画も、
コンピュータやネットの発達のおかげで、
いつも「無断複製」の問題に頭をなやましている。
その結果、
正規のユーザーにも不便がかかるプロテクトをかけたりする。
これは本末転倒だし、
いたちごっこになるのは目に見えている。

だったら、
発想をかえて、むしろ使ってもらう、加工してもらうことで、
広めてもらおう。
できれば、加工したことで、
あるいは、加工したモノを誰かが売ったり、
広告を貼り付けたりすることで、
そこからバックをもらうことにしよう。
というほうがおもしろい気がする。

ネットやコンピュータの発達は、
著作権を組み込んだり、どこでどう使われたか探し出せる。
そういうところに活躍できるはずだ。
すでに、
you tubeなんかでは、
映像の分野でそういうことを考えているらしいから、
ゲームでも夢物語ではない気がする。


2006/10/16(月)
巨人

いつからこんなに早く野球が「終わる」ように
なってしまったんだろう。
V9時代、
いっつも巨人は一番最後まで
野球をやっていたってーのに。
あーあ。
そういえば、
今シーズンはとうとう「プロ野球ニュース」も見なかった。
気にはなるんだけど、なんだか痛々しくって、
巨人戦が映ると反射的にチャンネルを回してしまう有様だ。
(今の時代、回さないか!)

そんなに遠くない昔、
プロレスがゴールデンタイムで流れていた時代があった。
しかも新日、全日で別々のチャンネルで!
今では信じられない感じだけど、
野球も10年後にはそー言われてしまうんじゃないだろうか。
深夜のスポーツニュースで結果だけが放映される、
そんな時代になってしまうのかもしれない。
と思って、ふと気がついた。
そうか!
巨人ファン以外、特にパリーグのファンの人は
今でも、だいたいみんなそんなふうなんだ!
少しパリーグ・ファンの気持ちがわかった気がした。


2006/10/12(木)
仕事ぱんぱん

つい、
コンビニの店員と学校の先生には同情してしまう。
例えばコンビニ。
ほんの少し前まで、
コンビニの仕事と言ったら、
レジ周りとか、商品の整理くらいだったと思うけど、
コンビニサービスの多様化に合わせて、
コピー機の捜査だ、電気代の払い込みやチケットの発券手続きだ、
クリーニングだととんでもなく作業内容が増えている。
ほんと、よく覚えてるなーといつも感心してしまう。
同様に、小中の先生も
本来は勉強を教えることが仕事なはずなのに、
家庭教育を放棄した親たちの肩代わりで、
基本的な生活習慣まで指導しなくてはならない。
おまけに、子供を狙った事件が頻発しているので、
子供の安全確保までが仕事になっている。
今日もニュースで、どっかの学校が
放課後、先生がパトロールカーで町内を巡回するとか
言っていた。
ほんと、気の毒なくらい仕事が増えている。

昨今、先生の質の低下が問題とか言われるけど
(それもあるのかもしれないけど)
本来、得意な学問を教えるがために「就職」したわけだから、
いじめをやめさせられなかったとか、
部外者が入ってくるのを止められなかったとか、
そういうことまで彼ら(だけ)のせいにしてしまうのは、
少々、気の毒だ。
コンビニはともかくとして、
学校では、
学問の教育としつけと警備っていう仕事は分けるべき、
別々の専門の人がやるべきじゃないかなと思う。
じゃないと、先生かわいそー。
と思ってしまうのはおれだけ?


2006/10/11(水)
さっさ終わらせる

ゲームはゲームセンターで遊ぶものという時代には、
作り手側の設計(思惑)としては、
ゲームはさっさと終わらせるものだった。
回転をよくする。
何回もやらせる。
でナンボの世界だからだ。
もちろん、
単にすぐ終わってしまうゲームでは
評判は上がらないから、
短く終わっても納得がいく。満足できる。
うまくなると長く遊べるようになる。
などなどの工夫がなされていた。

ゲーム(機)が家庭に入ってから、
買ってもらった以上、
たっぷり遊べる、いつまでも遊べる
が大事なというか、
いつの間にか当たり前のことになっていった。
ほんの少し前まで
「プレイ時間60時間!」なんて言葉が売りになっていた。

最近では逆にそういう「サービス」が
重い、そんな時間はない、
時間を浪費したという罪悪感がある
ということになってきた。
ひょっとしたら、
ゲームセンターにあった頃のコンセプト、
さっさと遊べる。
(ゲームセンターでマニュアルなんて読んでられないので、
何の前知識もなくすぐに遊べるゲーム性である必要があった)
すぐに終わってしまう。
(でも)なんどでもやりたくなる。
なんてことが、
再び見直されてもいい時代なのかもしれない。


2006/10/05(木)
特許

具体的な内容は話せないけど、
今日聞いた特許項目については正直仰天してしまった。
あまりに原理的で基礎的で一般的なアルゴリズムに
特許が与えられてしまっているのだ。
ある解を導き出すのに最も簡単で、
中学校の教科書に出てくる一般的な解法というレベルの
解法のアルゴリズムに特許が与えられてしまっているのだ。
おかげで、
無駄道をする別のアルゴリズムで解を出さなくてはならない。
確かにコンピューターのプログラムでは初めてとか、
ゲームで使うのは初めてとかはあるだろうけど、
ちょっと大げさな言い方だけど、
こういう人類が共有してきた知的財産のようなものに対して、
私企業に特許を与えてしまうってのは、
ちょっとひどいんじゃないかと思ってしまう。
(自分に火の粉がかかってきて
初めてブツブツ言い始めるオレもどうかと思うけど)

ITビジネス関連の特許などもそうだけど、
あまりに原理的な部分に特許が与えられてしまうと、
特許にひっかかって何もできなくなってしまう。
なんてことを
まじめに心配しないといけなくなってきた感じだ。


2006/10/02(月)
没企画展

あるプロデューサーの言葉には、うんうんと思った。
「こいつはいいな、とか、
 この子はできるな、というやつは時々いるんだよね。
 だけど、そういう子の考えていることが、
 『成功』ばっかりなんだよねぇ」
「それだと、枯れていっちゃうんだよね」。

10.1の『ほぼ日』
http://www.1101.com/home.htmlより抜粋。
(毎日フロントの日記は更新されてるので、
リンクじゃなく抜粋で失礼します)

自分が何をおもしろいと思っているのか
何を作りたいと思っているのかってことより、
ヒットすること、成功することばかりに目をやる
っていうのは、
あんまり幸せなことじゃないと思う。
昨今の破綻したIT関係者を見てても、
インターネットの世界がおもしろくて仕方がないとか、
インターネット技術を使って何をしたいと思っているのか、
そういう根っこのところが、
どうもすっぽり抜けているあたりが痛々しい。

ちょうど今テレビで「失敗博物館」の話をしている。
過去の悲惨な事故を忘れないように、
壊れた部品などを展示している博物館だ。
「失敗を残せ。目に見える形で残せ。伝わる形で残せ。」
がコンセプトのようだ。
なるほどね。
前々から「成功はその人の財産、失敗は社会の財産」
と思っているので、
ここは一つ、
プレゼンの様子、相手の反応まで記した
没企画展みたいなことをやってみるか(笑)




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