人間風車

2006/11/30(木)
明けないでね夜

「明けない夜はない」と思うことは多いけど、
「明けないでね夜」と思うこともしばしばあるのが、
この業界だ。
朝いちの提出までの数時間なんてのは、
眠いとか疲れたとかいう感じじゃなく、
「時間よ止まれ!」と祈るばかりだ。
(ま、そうなると作業も止まっちゃいそうだけど)
いやはや、何度経験しても心臓にも胃にも悪い。

睡眠時間も4時間くらいが続くと
眠くてしようがないんだけど、
これが2時間とかになると、
そういう感覚も麻痺してくる。
ちょうど、
ダイエットは空腹感で苦しいけど、
断食はちっとも苦しくないのと同じような
感覚遮断がおきているのかもしれない。

そのくらいになると、
もうやっていることの意義とか、
楽しいかとか大切だとか正しいだとか、
やりがいとか自分とはとか、
そういう大脳新皮質的思考は止まり、
腹が減ったら食べる、トイレに行きたくなったら行く、
頭に来たら怒るとかいう
獣の脳で作業をしている。

こんなときは、
「生きてる」(意味)って「死んでない」ことなんだなー
という非情にプリミティブな価値観に戻れる。
人間、時間や精神的に余裕があるときは、
つい、生きている意味や意義ってのを
几帳面に考えてしまいがちだ。
そういう思いが、
ときに生きていることを
重苦しいものに感じさせてしまったりする。
そういう追いつめられた気持ちをゼロクリアーするには、
この過酷な仕事はうってつけである。
(お勧めしないけど)


2006/11/20(月)
利用されるならむしろ積極的に利用

あれれ、Wiiはアメリカでもう発売開始なんだ。
それにしても、
PS3といいWiiといい、
ゲーム業界が冷え込んでいるなんて思えないくらい、
出足好調みたいで、よかったよかった。
ハードの勢いをかって、
おもしろい、斬新なゲームが一杯出るといいのにな。
とまるで、人ごとのようだけど、
まるで蚊帳の外というのが正直な気持ちだ(笑)

据え置き型のゲーム(遊び)って言うのは、
どうも今ひとつ自分の中では燃えるものがないんだけど、
これだけの人が「ほしい」と思っているんだから、
据え置き型の遊びも
まだまだ、捨てたもんじゃない
ということなんだろう。

そういえば、
Wiiのアメリカ向けCFがyou tubeで見られるこれ
この映像がyou tube用に作られた映像なのかどうか知らないけど、
違法にアップ(利用)されるより、むしろ積極的に利用する
っていうことだったら、おもしろい試みだと思う。

you tubeで見ることが前提として作られたCF
つまり、
PCで見る、小さな窓の中で見る、
荒い画像で見る、音もたいしたことがない、
尺も短い、ダウンロードできる、
繰り替えしみられる、リンクが張れる、
場合によっては安価に作れる
(なんたって、テレビCFの場合は所場代がほとんど)
そういうことを前提としたCFは、
きっと従来のテレビ向けCFと発想が違うはずだ。


2006/11/10(金)
今年のクリスマス

今年の予定が決まった。
今年っていうか、今プロジェクトの予定。
今年のクリスマスは、
結果、
超ハッピーなクリスマスになるか、
暗黒のクリスマスになるか、
どっちかだということがわかった。
クリスマスが暗黒になった場合、
ほぼ正月も暗黒になるだろうということもわかった。

果たして、
12月25日の「人間風車」では
どう書いているだろう。
楽しみだ。
(とまるで他人事)

コンピュータの性能があがっているのに、
アプリケーション(とくにグラフィック系)は
全然軽くなった気がしない。
それは、
コンピュータの性能に合わせて、
アプリケーションも肥大化して、
より大きな計算力とメモリーを必要としてしまうので、
いつまでたっても、
同じ力関係に陥ってしまっているせいだ。

問題なのは、
そうした肥大化したソフトを
ユーザーがホントに求めているかってことだ。
常に新機能(総じて新負担)を足していくのは、
主に、
作り手の都合、あるいは不安からのような気がする。

ゲーム機とゲームの関係も同じなんだろう。


2006/11/09(木)
足し算とかけ算

「昔はこうした陰湿ないじめはなかった」
と年配の文化人の方々がおっしゃりますが、
いじめは陰湿化してるのではなく、
複雑化しているんじゃないだろうか。
つまり、
子供たちの社会が昔に比べて複雑化しているということだ。

今の子供たちが抱えている社会や人間関係が、
彼らの幼い頭と心と体ではコントロール不能なくらい
巨大化し、複雑化してしまったいるんじゃないだろうか。
その歪みが、いじめる、いじめられるという形、
単純な、つまり彼らの扱えるギリギリの行動として、
はき出されている。
そんな気がしてならない。
おれたちが子供の頃に比べて、
今の子供たちに降り注ぐ情報の量ははんぱじゃない。
とくに大人たちの情報、
大人たちの社会がどうであるか、
大人たちがどういう価値観を持っているか、
その結果、大人たちがどういう行動をとったのか、
そんな情報がテレビやネットや学校を通して、
たっぷり流れ込んでくるわけだ。
そういう情報のシャワーを浴びれば、
自ずと自分たちの社会も必要以前に、
あるいは無意味に、無駄に、
複雑化してしまうのもわかる気がする。

いろいろなおかずが入っている弁当。
例えば、幕の内弁当。
いろいろな料理がある飲食店。
例えば、天ぷらもうなぎやってます割烹料理店。
そういうのって、
便利だけど、やっぱり単品の弁当や専門店より、
ちょっと質が下じゃないのかなと思ったりしないでしょうか。
うなぎを食べたい!と思ったとき、
ウナギ一筋100年という店と
うなぎもすきやきも天ぷらもやってます店、
どっちに行きたくなるかと言ったら、
やっぱり前者のような気がする。

怖くなると人は足し算したくなる。
不安になると人は足し算したくなる。
きっと、どの業界でも同じなんじゃないかな。
で、
結局、
足し算というのは少しも効率が上がらないばかりか、
力は分散するし、
上のように(きっと)ユーザーの見方も下がるしで、
あまり有効ではない気がする。
なのに、足してしまうことがあるのは、
まれに、あるものを加えたことで、
足し算ではかけ算になることがあるからだ。

例えば、元が3で、そこに5の要素を足した場合、
足し算なら3+5=8になるだけだが、
かけ算なら3×5=15になる。
元々の作業が3+5だから、
足し算ならシナジー効果は8-8=0,
かけ算なら、15-8=7となる。

アイデア次第ではこういう効果が得られる場合がある。
だから、困る。
だから、足すことを頭からはずすことができない。
失敗したら、つまり足し算効果しなかったらという
不安をかかえつつも、
ついそういう方向で事態の打開を図りたくなってしまうもんだ。

いやはや、むつかしい問題だ。


2006/11/06(月)
信頼の貯金

いやーーー、久しぶりにまじめに仕事した。
いや、いつもまじめなんだけど、
かなりの物理量をこなした。
ので、ここも1週間全く更新できなかった。
ようやく少し峠を越えたモノの、
今月いっぱいはこんな調子な感じなんだろーなー。

一連のいじめ問題で、
先生や学校ばかりに責任があるみたいな雰囲気だけど、
(ひょっとしたらマスコミの報道がそうなだけかもしれないけど)
いじめる子の親にも相当の責任があるだろう。
(もちろん、先生や学校にも責任はあると思うけど)

ふつう、何か未成年の事件が起きると、
その親が責められたりするけど、
どういうわけだかこのいじめ問題だけは、
そういう報道が見あたらなくって不思議だ。
もっとも、一番責任があるのは本人たちだけど。

ソ●トバンクの「通話料0円」戦略にかかわらず、
MNPによって客が増えたのは、KD●Iであって、
ド●モもソ●トバンクも客を減らしたそうだ。
なんでだろ。
一過性の劇薬より、
常日頃の信頼感の「貯金」のほうが
やはり強いってことだろうか。
そう思うと、今回の各移動量は、
各々の「貯金額」に同期しているような気がする。

信頼の貯金は、なかなか貯まらないけど、
なくなるときは一瞬。
ほんと、おそろしい貯金だ。
うちの残高はどのくらいなんだろう。。。
と思うと怖いw




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