人間風車

2007/04/27(金)
パワー勝負

コンシューマゲーム機が生まれた頃は、
ゲーム機の内部は他の家電製品のお下がりで
できていたようなモノだったそうだ。
そのため、
絵を出すにも動かすにも、音を出すにも、計算するにも
やりくりの連続だったに違いない。
どうしたら荒いドットでもそれらしく見えるか。
たくさんスプライトが表示されているように見せるか。
サンプリング音のように聞かせるか。
などなど、
小さいメモリー空間と貧弱なCPUパワーの中で、
小さく、精巧に折りたたんでいくという、
日本産業のお家芸どおりの作り方をしいられていた。
こういう作業はアメリカ人は苦手そうだ。
ゲーム機の出発はアメリカだけど、
その後、日本のソフトがリードしてきたのは、
当時のゲームの開発環境が、日本人の得意技を必要としていた。
という点は大きいだろう。

最新のゲーム機は、
もうすっかり家電のパワーを超えてしまっている。
っていうか、
並のPCのパワーを超えてしまっている。
こうなると、
ソフトの開発は力勝負となる。
いや、力勝負ができるようになる。
リッチなグラフィックと動き、パワフルなサウンド、
力ずくの開発が可能だ。
それプラス、
ワールドワイドに受けるエンターテインメント性。
どれも、ハリウッド映画でお馴染みのアメリカ人の得意技だ。

日本人がゲーム機のスペック競争に走った結果、
日本人が苦手でアメリカ人が得意な開発環境になってしまった。
っていうのは、なんとも皮肉な話だ。
こうなると、パワー勝負でなくアイデア勝負しかない。
しかし、これはこれでかなり苦しい。
もともと「加工文化」を得意とする日本人、
画期的なアイデアを生み出すのではなく、
人様のアイデアをいかに商品レベルにするかが得意な日本人、
オリジナルなアイデアに価値を見いださない、
(平ったく言えば金を出さない)日本人、
そういう文化の中で、
アイデアで事態を打開するというのは、相当むつかしいだろう。

と、全く人ごととして語るあたし。


2007/04/26(木)
モノとデータ

ゲームや音楽をパッケージで買いたいか、
データだけで買いたいか。
パッケージで、っていうのは、
CD-ROMや半導体メモリーという物質にデータを収めて、
取説も紙に書かれているモノとしての商品のことであり、
データとは、まさにデータのみ、
取説もデータ。
そういう商品のことを意味している。

で、みんなどっちがいいんだろうか。
同じ値段なら、
そりゃー、モノの方がいいだろう。
得した気になる。
じゃー、例えば、
モノなら4800円
データのみなら3500円
だったらどうだろう。
けっこう悩む人が増えるだろう。
モノに対して
何パーセントの安さならデータでいいと思うのか、
そのあたりのマーケッティングって
これからは大事だろうなー。

単純に値段だけの問題ではないだろう。
値段に関係なく、モノに執着のある人も多い。
記念に残る、転売できる、
物質でないとお金を払う気がしない
などなどの理由で。
一方、
すぐに手に入る(だいたいダウンロードして入手するから)
かさばるモノは遠慮したい。
というデータ派もいるだろう。
最も多いのは、
とっても好きでいつまでも取っておきたい商品はモノで、
そこそこ好きなモノ、
あるいは初めて試すモノはデータで、
ってあたりかもしれない。

今のところ、
コンシューマゲームについては、
データとして買う、というのはまだ本格的ではない。
でもきっと、
これからはかなりの割合がそうなる気がしないでもない。
買う側はどうかわからないけど、
作る側、売る側からすれば、
ダウンロードして買ってもらえることの
メリットは計り知れない。
パッケージの経費が浮く。
売り上げ見込みが間違って在庫に泣くこともない。
流通や小売りの買いしぶりに泣くこともない。
小売りの棚争いをしなくてもいい。
(いつまでに陳列してもらえる)
などなど、リスクヘッジできることが多い。

買う側がモノがいいか、データでもいいかは、
上のようにきっとケースバイケースだろうけど、
新しい遊びに手を出してみたい、
ちょっとだけ遊びたい、
できれば(タダで)お試ししたい、
プッシュ型のセールスをしてほしい、
商品検索ができるといい、
などの欲求に作る側がちゃんと対応できれば、
いいように展開するんじゃないかな。


2007/04/24(火)
仕事周期

どうも月曜の夜仕事は辛い。
土日休んでしまうと辛い。
なかなかエンジンがかからない。
かかっても効率が上がらない。
んなことがあると、休まない方が楽とさえ思ってしまう。
忙しい芸能人が休みたいと思わないというのも、
きっと同じような気持ちなんだろう。
少しくらい休むんだと、
その後のリカバリーにエネルギーを使うので、
かえって疲れてしまうというわけだ。

といっても、
じゃー、ずっと働いていればいいかというと、
脳にどんどん疲労が蓄積してきて、
それでなくてもたいしたことを考えられない脳が
ますます下らんアイデアしか出せなくなるので、
体が楽だろうと楽じゃなかろうとリセットしないとまずい。

じゃ、どーすればいいのって話だけど、
よくよく考えたら、
なんで7日周期なの?ってことだ。
勤め人じゃないので、
別に7日周期でなくてもいっこうにかまわないはずだ。
別に神様が
この世界を作ったときの時間に合わせるこたーない。
周期が7日である必要はないし、
疲れるまでがんばって、疲れたら休む。
という不定周期でもかまわない。
人それぞれにきっと、そういう仕事周期ってあると思う。
と思って自分を振り返ると、
どーも、
10日働いて1日休む、
11日周期くらいが
ちょうどいいんじゃないかという感じがする。

とくにそれでまずい理由はなさそうなので
(月曜の定例ミーティングが問題になるくらい)
ちょっとそういう周期を試してみようかと思う。


2007/04/20(金)
ゲーム機で本を読む

DS用ソフトで、
マンガをよむソフトが出たと聞いたので買ってみた。
電子書籍だ。
電子書籍と言う言葉はずいぶんと以前からある言葉だけど、
個人的なイメージでは、
その言葉がリアリティーを持ってきたのは、
DSやPSPが出てきたときからのような気がする。
ちなみに、
電子書籍というジャンルにおいては、
DSよりPSPの方が
(ハード的に)アドバンテージがあると思う。
画面の大きさ、きれいさ、ROMの容量の違いだ。
しかし、ユーザー層という点から見ると、
むしろ逆転しているあたりが、なんというか、、、。

で、さっそくマンガをDSで読んでみたんだけど、
これではダメだなーというのが第一印象。
でも、
こっちには何かある気配もするというのも第一印象。
まず、既存の書籍のデジタイズではムリが多すぎる。
マンガの場合、
コマ割の形、セリフの大きさ、形、
コマをまたぐ擬音があったり、
スクリーントーンが貼られていたり、
ペンのタッチが繊細であったり、
どれも定型サイズのデジタイズとは、相性が悪い。
携帯ゲーム機でやるなら、
それ専用に描かれたマンガでないとダメだろう。
また、マンガが3000円以上というのもいただけない。
これを補うため、簡単なゲームが付いているが、
この方向性は間違いである気がする。
3000円という大きな箱を満たすために、
求められていないなおかずを入れた弁当のようで、
本末が転倒している。
じゃー、マンガ本と同じ値段にできるかというと
それはムリだろうから、
書き換えるとか、1本目は高いけど続きは安いとか、
(1本目をハードプロテクトにする)
何かしら工夫が必要そうだ。
また、
ゲームをプラスするのはベクトルが違う気がするけど、
別な「金を取れる」オプションを考える
と言う点にもっと力点を置いても良いかもしれない。
(歴史的資料付きじゃー、
「お金を取れる」ってところまでになっていない
って、まー、言うはやすしだけどね)

そうはいいつつも、
それでも、
「読むだけ」という「遊び」は十分ありな気がする。
ゲームにしたとたん、
携帯ゲーム機では、
「いじる」ことが大前提になると思うけど、
はなっから別ジャンルの遊びなら、
必ずしもそうでないと思う。

絵本とかはいつか作ってみたいと思う。
絵本なら、
飛び出しても、動いても、隠れても、音が出ても、
すごく相性が良いし、
それなら紙メディアとの差別化もできそうだ。


2007/04/18(水)
ファミレス

考える仕事や本を読む仕事の時は、
よくファミレスに入り浸っている。
今まで最長で、モーニングを2回食べたことがある。
(今ではそういうことは許されないのかもしれないけど)

新宿近くのファミレスなので、
客の顔ぶれがバリエーションに富んでいる。
危ない商談をしている人たち、
店がはけた後のお水たち、
ネタ合わせをしている芸人、
いけない風のカップル、
ヒマをもてあましている学生、
テスト前で血眼になって勉強している学生、
仕事場代わりにPCと電話で忙しいサラリーマン風、
映画スタッフの反省会、
普段どういう生活をしているかさっぱりわからない人たち、
どこの言葉かもわからない外人さん、
あやしげな団体、
などなど。
そんな中で圧倒的に少ないのが「家族」だ。
ファミレスなのに家族が少ない。
不思議だー。
(新宿界隈だからかもしれないけど)

いつもほとんどドリンクしか頼まないんだけど、
今日はタイミングもあって、久々に食べ物を頼む。
あいかわらず、まずいなー。
今時、この値段でこの味ってないだろうって
思うくらいまずい。
ちょっと外に出れば、
安くておいしい店ってのはたくさんある。

それでもいつも人が一杯いるんだから、
これまた不思議だ。
長居をする場として重宝する以外、
なにかメリットはあるんだろうか。
「さおだけ屋はなぜつぶれないか」の次は、
是非だれか
「ファミレスはなぜつぶれないか」
を検鏡してもらいたいものだ。


2007/04/16(月)
自主制作ゲーム

ちょっとコンシューマゲームとは違った趣で、
あるところと一緒に、
自主的なゲーム?を作っていたりします。
年内には公開できると良いなーっていうくらい、
のんびりとやっているのですが。

コンシューマゲームは、値段や開発負荷、
それに流通の問題なんかについてはさんざん言ってきたけど、
それ以外にも
「お行儀を良くしていないといけない」
というのも、ちょっと窮屈な点ではあります。
パンツが見えたらダメとか、
「大人の愛の行為」を描いちゃダメとか、
宗教ネタも遠く迂回しないといけないし、
などなど。
(もっとも、そういうソフトを作りたいと
思っている訳じゃないけど)
窮屈な点があるというだけで窮屈なんです。

で、あまり長いこと、お行儀よくしていると
羽目を外した考え方というのが
できなくなっていってしまうので、
これはチトよくないぞと思って、
自主制作モノなら誰にも文句言われないだろうと
まー、そんな「圧力抜き」のために作っているのです。

まだまだ全然形になっていなし、
それはそれはくだらないアイデアなんですけど、
それでも、
たまには、こういうベクトルでモノを考えるのも
いいもんだなーと思っていたりします。
売れるんだろうかとか、
理解されるんだろうかとか、
4800円分の大きさになるだろうかとか、
流通は取ってくれるんだろうかとか、
そういう大事な問題だけど、
決してアイデアの中心に添えてはいけない問題、
そういうのをすっかり頭から離して考えるってーのは、
コンシューマゲームのアイデアを考えているときには、
なかなかむつかしいもんなんです。


2007/04/12(木)
風邪

ちょっと風邪をこじらせてしまって、
4日間も寝込んでしまった。
1~3月は全然へいきだったというのに、
4月の「寒さ」にやられてしまうとは想定外。

風邪をこじらすと、日和見症候群が発生する。
それまで、ダメージを受けていた箇所が
いっせいのせで悲鳴を上げる。
熱にうなされながら、
「ああ、
目も疲れてたんだね。血眼になってるもんねー。
右肩も悪かったのかー。全然回らないね。
腰はいつもだよねー。
胃腸もそうなんだ、気がつかなかったよ。
気管支、最近加湿器回してなかったからねー。」

各「部署」からの痛みという名の「陳情」を受ける。

そういう意味では、自分を振り返るいい機会でもあった。
(と言いつつ、まだ完治してないんだけど)

胃がダメージを受けると、
食べたいもの、食べたくないものがハッキリする。
食べていいと感じるモノリストを見ていると、
ジャガイモ、そば、ヨーグルト、豆腐、、、
普段好きなんだけど、食べたくないもの
肉、生の魚、野菜、ラーメン、、、
最初、どういうわけで
普段の好みと違う好みが生まれるんだろうと
不思議だったけど、
これって消化の良い食べ物、悪い食べ物にピッタリ一致する。
何年ぶりかで魚肉ソーセージをたべた。
ソーセージは食べたくないのに、
魚肉ソーセージが食べたくなったのも、
きっとそういう理由だったんだろう。

新しい食べ物を食べる毎に、
脳は、その食べものが、
・害があるか
・消化がよいか
・体によいことはあったか
・それはどういう症状の時か
などのリストを作っているんだろうな。
だから、なるべくいろいろなモノを食べてみるのがイイ。
それだけ選択肢が増えるわけだから。


2007/04/12(木)
出会い

最近、新しい音楽との出会いがない。
こちらから出向かないので、出会いが少なくなっている。
いぜんはちょっと時間があればすぐ、
バージン(CDショップ)とかに行っていたのに、
ぜんぜん行かなくなってしまった。
ネットでも雑誌でもテレビでも
新曲のセールスは見かけるけど、
それでは圧倒的に量が少ない。
(それでなくても
マイナーな部類の音楽ばかり聴いているので、
ヒット率はとても小さくなる)

これではいかんなーと思うと同時に、
なんでおれがわざわざ店に足を運ばないと、
新しい音楽に出会えないんだと
横柄なことを考えてみる。
新しい音楽に出会えれば買う気まんまんなのだから、
向こうとしては、一人潜在的な消費者を逃しているわけだ。

こういうとき、
むこうからお知らせをしてくれればいいのにと思う。
おれのような無精な潜在的消費者をゲットしたければ、
そちらから良い物見繕ってプッシュしてこい!と
これまた横柄に考えてみる。
しかし、
プッシュ型のサービスはヘタをすると迷惑広告になる。
ありがたいと感じるか迷惑と感じるかは、
受取手がその時その時の気分次第なので、
厳密な区別はないだろう。
だから積極的プッシュが必ずしもいいわけでもない。
ここらあたりはむつかしい。

こちらの好みを察する機能というのには、
amazonの「お気に入り」なんかがあるけど、
まだまだまだまだな感じがする。
(それ持ってるよ、っていうか今買ったじゃん
といったことが多い)
まだAIにそういう気の利いたことを
判断(データマイニング)させることはむつかしいんだろう。

じゃー、
誰がどうやってオレ好みの新しい曲を紹介してくれるんだ。
となると、
今のところ、
「この人が紹介しているモノならオレに合うかも」
と言うことになる。
きっと世の中には、
自ら情報をかき集めてフィルタリングして、分類して、
それを他人に伝えることが好きな人がいるに違いない。
っていうか、ネット上にはいっぱい見受けられる。
そういう人の中で、自分の感性と近い人が
メールでいろいろ教えてくれるのが、
今のところ一番ありがたいサービスになりそうだ。

ブログがはやれば
ブログ一辺倒になるネット世界ではありますが、
そういうソムリエを育てる、
かれらの発表と発信の場を提供する、
彼らをおれのような受け身の人間に紹介してくれる、
そういうシステムというか
場を是非作ってもらいたいものです。
今でもそういう活動をしている人はいっぱいいるけど、
散在しているのが痛いのです。
探すのが大変(笑)
やはり、こういうときにも「にぎわう場」が必要なの


2007/04/05(木)
COD

携帯電話の手続きを待っている間に、
DS版『ひとりにしてくれ』を買おうかどうか迷っていたら、
後ろの方で派手な爆発音がしたので振り返ってみたら、
X360の『call of duty』のデモだった。
第二次世界大戦ものだったので、X360と共に衝動買いした。
(個人的にゲーム機を買ったのなんて、いつぶり?)

というわけで、いかん、いかんと思いつつ、
3時間もヨーロッパ連合軍の戦士として活躍してきました。

遊んでて、つくづく、
アメリカの文化の土壌は、
映画+ディズニーランドなんだなーと思った。
ゲームにおける「自由度」の方向性が、
日本のそれと全く違う方向に向いている。
ディズニーランドのアトラクション同様、
レール上(=決まったコース)を走って、
ばんばんシューティングしていく。
ただ方向を定めてトリガーを引くだけなので、
遊ぶのにマニュアルがいらない。
Doom』の時代から何も進化していないゲームシステム。
反面、
画面も音響もとてもリアルで、
NPCたちもおどろくほどうまく動く。
やっていて、ハラハラドキドキするのに、脳が全く疲れない。
電源を落とした時点で何も残らない。
『ダイハード』や『スピード』のような
映画を見たあとの感覚に近い。
ジェットコースターや
遊園地のアトラクションに乗った感覚にも近い。
アメリカのショービズ魂そのものだ。

商業的に考えれば、アメリカ的な方向性の方が正しいんだろうなー。
(正しい=マーケットが大きい=売れる)

こういうものを作るのはやはりアメリカ人がうまいんだろう。
んで、ふと、
多くの日本のゲーム会社は10年後、
自作ゲームを作る会社から、
こういうアメリカ産ゲームの輸入を
請け負う会社になるじゃないだろうか、
そんな気がした。


2007/04/04(水)
自分を信じ切る

油断していたら、高校野球の決勝戦に
地元岐阜の高校が出てるじゃないですか。
(って、もー決勝戦だったんだ)
残念ながら優勝は逃したけれど、よくやったと思う。
あまり真剣に高校野球を見てないからあれだけど、
勝ち進むチームってのは、逆転逆転で
なんとか勝ち進んできたというチームが多い気がする。
今回の決勝だって、
優勝チームは、
7回終わった時点で2点差だから、
心が折れてしまっても不思議じゃない。
だけど、
逆転で勝ち進んできたチームってのは、
そういうときでも
自分たちの勝ちを信じていられるんだろうな。
どんなときでも自分を信じ切れる、
そういう力ってのがきっと「奇跡」ってのを産むんだろう。
自分の人生に「奇跡」が起こったことがない
と言う人(オレを含む)は、
きっとどこかで自分のことを
信じ切れないところがあるんじゃなかな。

ゲームについてのアイデアなんて、
イイ悪いとはっきり言えるネタは少なくて、
どれもこれも主観としてはどっちが好き、
嫌いくらいの差でしかない。
こういうとき、
自分を信じられないでいると、
次々自分のアイデアを退けてしまって、
結局、自分らしくないゲームになってしまう。
しかし、じゃー、
自分の意見を曲げなきゃそれでいいかというと、
そう言う場合は、
往々にして独りよがりなゲームになってしまうので、
なかなか悩ましい。
さらに、自分の意見を曲げないというときは、
自分に自信がある時と言うより、
逆に自分に
自信がないとき(の防御行動)であることが多いのが、
さらにやっかいだ。
要は、自分のアイデアと人のアイデアを平等に扱える、
そういう感覚というか精神状態が必要なんだけど、
それこそ、自分に自信がある時じゃないと
そういうステータスにいられない。

言うはやすし。
もー10年もゲームを作っているというのに、
未だうまくいかないのっては困ったもんだ。


2007/04/02(月)
好きなゲーム製作者20人言える?

東京は週末桜のピークとなった。
どうやら今年も
ちゃんとした花見をしないまま終わりそうだ。
それはそうと、
桜の花は不思議だ。
他の満開の木とはちと趣が違う。
何が違うかといえば、葉っぱがないことだ。
ふつう、
冬をこえた木は春先、青々とした葉をつける。
光合成ができなくてひもじくしてたはずだから、
まずは十分に光合成をして。
体力をもどさないというわけだ。
と考えると、
春一番、一番体力が落ちているところで
花をさかせるというタフな仕事をする
桜の気持ちっていうのが不思議だ。
(全ての桜が葉をつけるより
花を咲かせる方が早いわけではない)

今、桜の名所となっているところの桜は、
たいがいソメイヨシノという江戸時代に作られた品種らしい。
このソメイヨシノは木としては(桜としても)非常に短命だ。
ヤマザクラなどが数百年の寿命と言われるのに対して
60年程度と言われている。
度重なるクローン(枝分けで増やすこと)での遺伝子破壊が、
木の生命力を失わせていると言われている。

春先の一瞬の開花というはかなさに加えて、
この短命もまた、いとおかしだ。

好きな芸能人20人
好きな映画監督20人
好きなマンガ家20人
好きな音楽家20人
好きな小説家20人
好きなアーティスト20人
は誰でも言えると思うけど、
好きなゲーム制作者(デザイナーに限らず)20人
は言えるだろうか。

ゲーム大好きでゲーム業界に詳しい人なら
造作のないことだろうけど、
たまあぁにゲームをやるくらいの人にとっては
難易度が高いだろう。
好きな演劇家20人
好きな陶芸家20人
好きな料理人20人
くらいむつかしいだろう。

それがどうした、と言われてしまえば
はいその通りですってことだけど、
なんか少し業界的に損をしているというか、
作っている人の姿がくっきり見える
それを積極的に「一般の人」に知らせるっていうのは、
なんか大切なような気がした。




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