人間風車

2008/05/30(金)
メディア的鎖国

NHKがYoutubeに門戸を開いた。自社のコンテンツが
Youtubeに使われてしまうのを
逆にYoutubeを使ってしまえということだ。
守るより使えは、
正しいというか
合理的に考えてそれしかないというか、
そういう気がする。
そういえば、
PS3の『トロステーション』も
たしかYoutubeへ映像出力できるようになったっけ。

インターネットの性質上、
流出の完全なプロテクトはむつかしい。
デジタル・コンテンツにおける
コピープロテクトの問題と同じだ。
「ダビング10」棚上げ問題などがそれに当たる。
日本はどうも
「使われてしまう」という
危機感の方が強すぎて、
合理的な判断が下手なような気がする。

特にゲームにおいては、
Youtubeはかなり活躍している。
買おうかどうか迷っている作品、
行き詰まっている作品、
そんなゲームに対しての情報をタダ!で教えてくれる。
個人的にも、
X箱のゲームを「アジア版」で
買うようなことになっているので、
Youtubeは大いに役立っている。
(なんせ、まわりで誰もやっていないし、
攻略本も出てないしで、、、)
ありがたい。

ネタバレといった危険性はたしかにある。
しかし、
5000円以上もする高価な商品を
お試しも出来なくて、
パッケージとよくてCMだけの情報で買え
というのはけっこう無茶な話である。

1つのハード内から一切情報が出ていかない、
というメディア的鎖国は、
今の時代には合っていないような気がする。

昔からそういう議論はあったが、
うまくかなえてくれるメディアがなかった。
Youtubeの出現で、
メディア的には準備が整ったといえる。
あとは、作り手側の問題といえる。
経営戦略的なことはちっともわからないので、
現場の気持ちだけで言わせてもらえば、
ハードに映像出力があるだけでなく、
Youtube用のファイルをはき出せるという
ソフト的な対応まであってもいいんじゃないか、
とすら思ってしまう。


2008/05/29(木)
タイプの変化

テレビを見ている人が変わってきているという。
見ている人のタイプ(立場や好み)が
変わってきているのだという。
新しい物好き、ヘンなもの好きのようなタイプの人は
あまりテレビを見なくなっているらしい。
テレビも商売である以上、
現在のお客さんのタイプ(=ニーズ)に合わせた
コンテンツを提供する。
番組の変容から、
テレビを見ている人のタイプの移り変わりがわかる。

同じようなことが当然のように、
新聞やTVゲームでも起こっているはずだ。
日頃はつい
見ている人、読んでいる人、遊んでいる人の
数ばかりに注目してしまうが、
質の変容ということにも同様に注意して行かなくてはいけない。
数の上では変わらないけど、
やっている人のタイプが全然違ってきている。
そんなこともあるはずだからだ。
TVゲームにおいては、
いわゆるゲーム人口は、
思ったほどピーク時と変わっていないと聞く。
ただ、
やっている人も変わっていないかというと
これはかなりあやしい。
以前とは全然違うタイプの人たちが、
遊んでいる可能性がある。
だれかちゃんと調べて欲しい。
(人口、年齢、性別だけのデータでは見えてこない)

もっともそれがわかったとして、
自分に、
お客さんのタイプ(=ニーズ)に合わせた
コンテンツを提供する。
ということができるかどうかは微妙であって、
この商売を続けていけるかの指針になるくらいだけど。


2008/05/28(水)
TVゲーム、ボードゲーム

この間、久しぶりに
ボードゲーム『ミッドナイトパーティー』をやった。
クレジットを見たら、発売は1988年。
今から20年も前だ。
そっかー、このゲームは出たと同時に買った記憶があるので、
ボードゲームをやり出してから、もう20年以上たつのかー。
この20年の間、
ドイツを中心に
ずっとおもしろいボードゲームが出続けているし、
昔ほどじゃないけど、
定期的にゲーム大会を開いたりしている。
ボードゲームは今でもとても好きだ。
なのに、
世間への浸透度はこの20年全く変わっていない気がする。
今でもほとんどの人(日本人)の知っている
ボードゲームといったら、
人生ゲーム、UNO、よくてモノポリー
くらいのものだろう。
TVゲームで知っているのは
『FF』『ドラクエ』くらいかなー
と言っている位の話だ。

こんなにおもしろい遊びなのになぜなんだろう。
という思いや原因は、
きっと麻雀なんかと同じなんだろう。
友達が一カ所に集まる。
あるいは家族で遊ぶ。
こうしたチャンスが昔に比べて少ないのかもしれない。

やれること、やりたいことが昔に比べてうんと増えた今日、
1つのことに費やせる時間も減った上に、
友達と時間を同期させることも、
かなりむつかしくなった。
自分なんか、映画館やテレビの放映時間と
時間を同期させることすらむつかしいなーと感じるくらい。

他にゲーム毎にルールが違う、
ゲーム自体が高価(5000円以上するモノがざら)
だいたい、ボードゲームに接する機会がない
(どこで売っているかすら知らない)
そんなことも原因しているんだろう。
でも、
これは卵が先か、ニワトリが先かという問題であり、
かつ、この問題たちが仮に解決したとしても、
上の時間の動機の問題は解決しない。

そんなわけで20年も遊んでいる。
そしてこの10年は、
これはきっとTVゲームのネタになるはず。
ただし、そのまま電子化では意味がない。
と虎視眈々と狙っているのだけど、
今以て、これは使える!こう使える!
というアイデアに達していない。

ルールは移植できたとしても、
サイコロやコマ、カード、コインなどの物質感、
人と人のやりとり、場の空気みたいなものが
ちゃんと移植できないと
ボードゲームの肝のおもしろさをなくしてしまうからだ。
今までもいくつかTVゲーム化されたボードゲームがあるが、
そのどれも本来のボードゲームに比べてつまらないのは、
上のようなおもしろさがぬけてしまったためだと思われる。

同じゲームと名が付くが、
近そうで遠い関係なのかもしれない。


2008/05/27(火)
アイデアの種

人それぞれに発想法というのがあると思う。
自分の場合は、
種と種が自然につながるのを待つという方法だ。
種というのはアイデアの元みたいなもので、
それ1つでは、
商品はおろか1つの遊びにもならないような
小ネタというか予感みたいなものだ。
そういう種を頭の中にたくさん浮かばせる。
順番とか数とか関連性とか
一切考えないで、脳内空間に無造作に放出する。

すると、何かの拍子で、
それまで無関係に思われていた種と種が
くっつくことがある。
1組の種と種がくっついたことで、
他の種もくっつくことがある。
そんな連鎖反応を繰り返すと、
なんとなく1つの遊びになっていく。

自分の場合は、
そういう発想法が性にあっているみたいだ。
この自然発生的発想法は、
自分でも気がつかなかった
(というのも妙な表現だが)
意外なリンクが見つかったりして
非常に楽しいんだけど、
いかんせん、効率が悪い。
何日までに企画を提出というような仕事には向かない。
種と種がむすぶつけば、一瞬。
でもいつ結びつくかは不明、
それどころか結びつくかどうかも不明だからだ。
無理に種と種を結びつけることもあるが、
そんなときはやはり
理屈っぽいアイデアになってしまう。

なんとなく、次のことを考える、
そんなタイミングにあった発想法だ。

そして、今がちょうど
自分内ではそんな時期かなーと思って、
暇なときは「種まき」にいそしんでいる。
この時期、たくさんの本を読む。
たくさんの映画を見る。
たくさんの知らない遊びに手を付けたりする。
知らない場所にでかけたりする。
(これは最近なかなかできないが)
それでなくても
ふだんから通販バカと言われているが、
通販狂というレベルまでいろいろなモノを買いあさる。

そうした中で、いくつかが「種」になる。
今もいくつか脳内空間に浮かんでいる。
おとといあたり2つの種がくっついた。
果たしてモノになるかどうか、、、
経験上、もう1個、2個の種がくっついてくれないといけない。
幸運を祈る>おれ


2008/05/26(月)
農業国となれ>日本


「朝青龍-白鵬の一番で、あわや乱闘」
遺恨は名古屋に持ち越された!などとあると、
プロレス・ファンのおれなどはつい
「おいしい!」とか思ってしまうのですが、
世間の一般的な評価は「みぐるしい」みたいですね。
相撲の美学は難しいです。
とくに外人にとっては、
格闘技でもスポーツでもない戦いって
きっととても理解しにくいでしょう。
なのに、
横綱も優勝力士も全員外国力士。
これからの大相撲の舵取りはとてもむつかしそうだ。

先日のカニと偽り高級牛肉輸出事件
没収したカニや牛肉はどうなるんでしょうか。
気になってしょうがない庶民派のおれです。

それはそうと、
没収された牛肉、テレビで見た感じではとても高級そう。
つまり高そうだった。
失礼ながら、こんな高級な食材需要があるんだと驚いた。
そういえば、最高値のついたマグロもホンコンに行ったっけ。
富裕層@中国の人たちの財布も胃袋も相当タフとみた。

日本での畜産、農業は、
主に土地の狭さ人件費が災いして、
生産が割高となって、
世界はおろか国内でも競争力がないといわれてきた。
しかし、
それは値段と量での競争においてだった。
しかし、
品質、安全というブランドという点においては、
十分に競争力のある商品である、
ということを今回の事件は教えてくれた気がする。

日本の野菜や肉が、
日常の食材として世界で勝負できることはないだろう。
しかし、
金持ちの食道楽に限らず、
我々庶民も
日常のご飯と特別のご飯という考え方をしている。
特別のごちそうのための食材。
日本の農業の活路をそこにある。

そうして
日本の輸出アイテムとして確立できれば、
おのづと国内の自給率も上がるというものだ。
というわけで、
農業国となれ>日本


2008/05/23(金)
同じ種類の集団の問題

今日の「ほぼ日」の一言。
(毎日更新されるので、
リンクじゃなく、引用で失礼します)
「いろんな人種の人たちが混じってるチームほど、
おもしろいものをつくるエネルギーを感じた」
「同じ種類の人の集団は、どうもおもしろくない」

うちのような小さな会社は
同じ価値観を持った人が集まるというか残る。
つまり、同じ人種だけになりがちだ。
そのことは作品の色がクッキリ出やすいという長所もあるけど、
たしかに、上の指摘のような予感はある。
耳が痛い。

上のようなことは、
ゲームの世界だけじゃなく、
どこの世界でも通用しそうな話だ。

ここのところは、若い人に入ってもらっている。
(年齢差は20才以上!)
対等に話し合いをすることで、
よい意味でカルチャーショックを受ける。
今後は、垂直方向(年齢)のギャップだけでなく
水平方向(違う価値観)のギャップも味わえるように
メンバーを構築していく必要があるんだろなー。
(でも、とりまとめが大変そうだなー)

アメリカのゲームをやっていると
(といっても「撃ちゲーばっかりだけど)
ハリウッド映画を見ているような感覚になる。
はたまた、
ユニバーサル・スタジオのアトラクションに
のっているような感覚になる。
ゲームもアトラクションも映画も同じ手法に感じるのだ。
同じ所に楽しさの重点がおかれ、
同じ所がごっそり割り切られている。
・リアルにこだわる
・物語性
・一本道
・1アイデア
見る側、やる側の技量、つまり、
記憶や技術に頼らないで楽しんでもらう。
日本のRPGのようなお手伝いイベントや
複雑な迷路、正しい場所選びなどという遊びは、
かなりの記憶力を必要とする。
常時、かなりのことを覚えていないと解決しない。
こうしたゲームではおうおうにして、
頭が疲れる、疲れているときは出来ない、
間隔があくとわからなくなる、
こうした現象が起こるのはそのためだろう。
また、複雑な操作(複数の操作の組み合わせ)もまた
同じような現象が起こる。
それを是としないので、
1本道、1アイデアになるんだろう。
実際、アメリカのゲームは迷わない。
「×××に行け」という話を忘れてしまっても
矢印などでちゃんと誘導してくれる。
オンメモリーでプレイする必要が全くない。
物語性やリアリティーにこだわるのは、
そういう単調さを補うモノかもしれないし、
彼らの文化が
映画がベースにしているためかもしれない。

どこの国にもきっと固有の
文化のベースというのがあるんだろう。
それは
映画かもしれないし、音楽かもしれないし、
食文化かもしれないし、文学かもしれないし、
宗教や恋愛かもしれない。
それに根ざした創作物というのは、
その国民にフィットしやすいんだろう。
日本のそれはなんだろう?
多趣味で飽きっぽい性格の国民性なので、
うまく見えてこないと思うのは
あたしの目が節穴なせい?


2008/05/22(木)
絵を描くことの難易度

バルバロッサ』というボードゲームがある。
これはみんなで粘土細工をして、
お互いが作ったモノを当てあうというゲームだ。
当てた人にはポイントが与えられ、
当てられたモノを作った人には
早く当てられすぎたり、
いつまでも当てられなかったりすれば
ペナルティー、
適当な時期に当てられたらポイントが与えられる。
つまり、
わかりやすすぎるモノを作っても
誰にもわからないようなモノを作ってもダメということだ。

なんともプリミティブな遊びだけど、
これがおもしろい。
ルールも超簡単なので、
パーティーの余興としてもお勧め。

絵を描くことというのは、
普通の人にはどのくらい楽しい遊びなのだろうか。
あるいは、
どのくらい難易度の高いことなんだろうか。
こういう商売をしていると
そのあたりが感覚的にわからなくなる。
例えば、
自由に絵を描けるツール、
あるいは、
自由に描いた絵がどうにかなる
(例えば描いた絵が自由に動き出すとか)
という遊びをパッケージ化したとき、
買いたい!というところまで
テンションがあがるのかな。
よくわからない。

絵を描くこと自体より
それで何をするかが問題であり、
その何をするかがおもしろければOK
という話かもしれない。
この場合だと、
自由に絵を描けること自体は
大した価値(興味)を持っていないことになる。
無限の白紙と自在な筆記具を電子的に用意しました。
これじゃー、ダメなんだろうな、きっと。
かといって
絵の技術が意味を持つような遊びだと
逆に敷居が高い遊びになってしまう。

1)自由に絵を描くこと
2)事前に用意された絵を加工すること
  (形を変えたり色を変えたりするなど)
  あるいはトレースすること
3)事前に用意された絵から好きなモノを選ぶこと
どのあたりが一番いいんだろうか。

(余談だが、
ゲーム業界は売れ行き動向ばかりのデータで、
こうしたオフィシャルなユーザー心理の調査が
あまりないのが残念だ)

『バルバロッサ』は粘土細工をする遊びである。
2次元の絵を描くことより
3次元のオブジェクトを作ることの方が
一般的には難易度が高い。
なのに、このゲームでは
誰もそのことを障壁と思っていない。
完成度、正確さを競う遊びじゃないからだろう。


2008/05/21(水)
雑考

いろいろ雑考。

コーヒー豆じゃなくて、コーヒー種だろ、正確には。
あれは梅干しの種と同じくコーヒーの実の種だ。
なんで、豆という言い方をするんだろう。
以前から不思議。

コマーシャル中にゲーム。
日常生活にゲームプレイの習慣を組み込むために、
コマーシャル中にできる(1区切り着く)ゲーム
とかあってもいいのかも。
あるいは、
そうしたプレイスタイルから
ゲームデザインを発想することは大切かも。

偶然の出会い。
散歩中に本屋により、偶然おもしろい本を見つける。
ゲームにはそんな偶然の出会いがない。
買う気満々で、特殊な場所(ゲームショップ、コーナー)に
しかも、事前に何を買うか決めて向かう。
これ「だけ」だと弱い気がする。
街角で偶然出会い、衝動買いできる
そんな場と値段があるべきだ。

指導あるいは教育と暴力の区別はむつかしい。
特に体育系の場では。
スポーツや格闘技は体で覚えるものなので、
教育も体に教えることになるからだ。
中高のときの柔道部経験から感じたのは、
肉体的教育をする側が、
そのとき相手に「愛情」を感じていたかどうか、
そのことは教育される側にわかっちゃうということだ。
愛情のある肉体的指導に対しては、
感謝こそすれ遺恨は残らない。
愛情のない肉体的指導は、いじめと感じる。

中国の地震救済に向かった一行は
結果として、生存者を1人も救出できなかった。
そのことについて
「成果がでなかったことをどう思うか?」
と首相に質問した報道陣がいた。
なんてデリカシーのない質問なのだろうかと
思ったのはオレだけ?

臨場感を感じる映像というかリアリティーを感じる映像というのは、
詳細まで描かれた高画質の映像のことではなく、
その映像を記録している人や場の状況が伝わってくる映像のことだ。
と被災地からの荒い映像や映画『クローバーフィールド』
を見ているとそう思う。

健康ともったいないの関係。
減塩にすることで、元々は保存食であった
梅干しも干物も味噌も醤油も
保存が利かなくなっている。
消費期限が短くなったので、廃棄される量も増えた。
健康ともったいないは、
意外と相性が悪かったりする。


2008/05/20(火)
未来の肉

姪っ子(高校生)は農業科なので家畜に詳しい。
この間、
「経済寿命」という言葉を教えてもらった。
動物の生物的寿命と違い、
とちく
(この言葉がどうして差別語なのか(変換させないのか)!>ATOK)
されるまでの生存期間のことである。
たとえば、
ニワトリの経済寿命は40日。
ウシだと2、3年。
(乳牛だと5年くらい)
ちなみに、
ニワトリの生物的寿命は6、7年、
ウシの生物的寿命は20年程度と言われている。

ニワトリは世界中で、年間200億羽が昇天している。
飼育~とちくまで非常に「工業化」が進んだ家畜なので
こんなに大量な「処理」が可能なわけだ。
40日で「出荷」されるため、
1日100g体重が増えるような
飼育(エサと環境)がなされる。
このため、
20%以上がちゃんと歩けないニワトリになり、
全く動けない!ニワトリも5%ほどいるらしい。

歩けない、立てないニワトリのもも肉を食べる私たち、、、

野生の動物と違い家畜なのだから、
未来永劫、安定的に供給されるかというと
これはかなり怪しい。
天候不順や地下水の不足などで
エサとなる穀物はの栽培はかなりやばくなっている。
(トウモロコシ類は、水を大量に必要とする作物)
その上、今やガソリンに変わる燃料と狙われている。
生産量が増やせない上に確実に必要なので、
(=確実に値上がりする)
投機マネーの対象となりやすいので
価格も需要実体と関係なく値上がりする。

将来我々は肉を食べられなくなるのか。
今の家畜に変わる「未来の肉」はあるのか。
それは虫か人工肉か。
虫はそのままじゃー辛すぎるので、
粉にして利用されるだろう。
人工肉は大豆由来はダメ。
穀物を使う余裕はない。
おそらくは、
最近流行の万能細胞か筋肉細胞を培養して、
電気的刺激と化学成分を与えながら
人工の筋肉を「作る」ことになるだろう。
これだと穀物は必要ない。
電気と培養液さえあればいい(よく知らないけど)。
骨とか筋、脂といった不要な部位もでない。
飼育の際の抗生物質に汚染されることもない。

バラ肉とかロース、フィレとかいった部位名も
元となる筋肉細胞という程度の意味合いになるだろう。

そういう時代がいつ来るのかわからないけど、
もう少し待っていただければ、
もー、肉いいかもと言えるお年頃になるので
助かります。
もっとも、
その前に魚が食べられなくなりそうだけど、、、


2008/05/16(金)
ヒマ

ヒマである。
なんて言うと
5秒でうちのメンバーに殺されそうだ。
しかも、
裁判でも情状酌量になりそうなくらい、
あり得ない発言である。
が、
ヒマである。
正確に言うと、右の脳がヒマである。
今のフェーズ(なんとか年末までに出したい)だと
左の脳はそろそろ全開である。
具体的な問題や残作業が山積みで、
それを1つ1つクリアしていなかくてはならない。
どの課題も、
合理的、理性的、時に数理的に
解決していかなくてはならないものばかりだ。
だから、左脳は全開。
一方、もうあんまり、
新しいアイデアを入れちゃいけない時期なので、
(じゃないと、いっこうに固まらない)
右脳はやることが少ない。
だから、
(右の脳が)ヒマである。

こういうとき、
頼まれてもいないのに次の企画を考えてしまう。
(そういう時期というか作業が一番楽しいので、
そっちに逃避しているという意見もある)

いくつか考えた。
普段だとそのまま企画書にまで書き上げてしまう。
が今回は、
どーもそのあたりにブレーキがかかってしまう。
見せるべきか見せないべきか、
見せる価値があるのか、
見せて脈があるのか、
世の中やクライアントのニーズと合っているのか、
純粋な遊びで良いのか、
それとも何か役に立つものでいけないのか、
自分の好みや価値観の外に
いろいろ思いを巡らすうちに、
どんどん
悩んでくるというか、
不安になるというか、
自信がなくなってくるというか、
テンションが下がるというか、
つまらなく思えてくるというか、
ともかく、
まとめ上げる前にブレーキがかかってしまう。

こういう経験ははじめてだ。
歳を取ること、
つまり
生理的瞬発力を失い、
多角的に思いを巡らしすぎてしまう
という老害のためなのだろうか。
それとも、
この不安こそ、
世の中の正しい把握なのだろうか。
あるいは、
花粉症のように、
右脳がヒマなため、
過剰に考えたりしてしまうのだろうか。
(もっとせっぱ詰まれば、ふっとぶのだろうか)
そもそも、現在、
右脳はヒマ状態なのか、マヒ状態なのか。

うむむむ状態である。


2008/05/15(木)
taspo

もータバコをやめて10年以上になるので、
ちっとも困らないんだけど、
taspoってのがどーしてもわからない。
taspoがないと自動販売機でタバコが買えない
という仕組みらしい。
ただし、
1)タバコ自体は自販機以外でも売られている。
2)対面販売の場合はtaspoの提示は必要ない。
3)実施時期は地域によって異なる。
小学生にだって、この「仕様」に問題があるのがわかる。
マッサージ器を買ったとかいったレベルではない、
国家予算の大きな無駄遣いだ。
そしてまた、
なんで自販機相手に顔写真付きのカード?

っていうか、
前からず~~っとそう言っているんだけど、
なんで日本には公式の身分証明書がないんだろう。
国民みんなに数字(ID)をふっておいてまでして、
なんでないんだろう。
住民基本台帳カードとか国民健康保険とかtaspoとか
個別の用途別の公的身分証明書を作るのはなぜ?
人権保護派の人はどうして
こういう公的身分証明書がたくさんできることが、
個人情報漏洩の最大のリスクになると訴えない?
人間に番号を振ることよりも
情報漏洩リスクを高めることの方が
人権無視でしょう。

別に家事の大変さにケチをつけるつもりはないけど、
家事の対価は、1ヶ月100万円に相当。
には「異議あり!」。
家事の1つ1つをそれを専門とする業者に頼んだとして、
業務の作業対価を合算すると
上のような数字になるらしい。
家事のような業務の対価とは、ざっくりいえば、
原材料費+人件費+企業利益から構成される。
仮に人件費が100%その作業に対する人的対価だとしても、
その割合は、どう見積もったって、
全体の対価の20%以下にならざるを得ない。
じゃないと、企業としての利益がでない。たぶん。
100万円の対価なら、人件費は20万円以下のはず。
逆に言うと、
パパの作業対価は、
お給料×(100%/20%)分と計算できる。
つまり給料の5倍相当ということになる。

そう換算してはじめて対等な比較となるはずだ。

※パパのお給料×5倍と100万円がどちらが大きいか、そこが問題。
※決して家事の大切さ、大変さにケチをつけてるわけじゃないです!
 (笑)
 

2008/05/14(水)
仮説→検証=チャレンジ

変わらないでいることと
変われないでいることは
微妙に違う。

(1)
自分たちが若かった頃楽しいと思った遊びの文法と
現在のそれとが違う。
(2)
日本の文化?の消費層は若者である。
(A)
(1)+(2)より、
自分が楽しかった頃のことを再現しても
それは商品として成り立たない。

一方、
(4)
現時点の時代のニーズに合わせても
(特にゲーム制作では)
製品を出す頃には遅れてしまう
(5)
将来の時代のニーズをうまく予想することは出来ない
(6)
自分が楽しい、おもしろいと思っていない物を作っても
作品に迫力も説得力もでない
(B)
(4)+(5)+(6)より、
結局の所、自分の感性をよりどころに物をつくるしかない

(A)と(B)の矛盾。
そこからくる葛藤。
きっと、どの分野でも起こっている葛藤だろう。

ただし、
(7)
その人の感性が死んでないのなら、
感性もまた成長し、変化していくはずだ
また、
その人の感性が死んでいる場合、
過去の楽しかったことだけに執着することになる
(8)
感性の変化のベクトルは必ずしも
時代のニーズに対応していないかもしれない
(C)
(7)+(8)より、
変化した感性が時代のニーズと偶然的に遭遇する可能性がある

なんとも頼りないが、
(9)
あらゆるチャレンジは、
仮説をたてることとそれを検証することで成り立つ
(10)
{(9)の質×試行回数}が成功と比例する
(D)
(C)+(9)+(10)より
仮説と検証つまりチャレンジの回数が多いことが、
時代のニーズに遭遇する可能性が高いことを意味する
「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」
※ただし、仮説を伴わない射撃と撃つ技術がないと意味がない
となる。


2008/05/13(火)
ついで買い

CDを売って儲けるという
ビジネスモデル自体が、終わってきたんだよ」
ある音楽関係者の嘆きである。
情報(音楽)自体が売れないのか
モノ(CD)を売るという商売がダメなのか、
どっちなんだろう。

アメリカの07年度の「音楽」の売り上げは
1位はのウォルマート、
2位はiTunes Storeだったそうだ。
ウォルマートはスーパーマーケット!
さらに3位~5位もスーパーマーケットとのこと。
たぶん
スーパーマーケットでは、CDで売っているんだろう。
という現実を見ると、
音楽自体が売れないとか、CDが売れないというより
売り場所の問題であると言えるんじゃないだろうか。
わざわざCDショップまで出向いて買う。
という従来のスタイルに問題があるんじゃないだろうか。
食料品を買いに来たついで、
自宅のPC上で、
そういうお気楽な、ついでの購買スタイルが、
音楽を買うのに向いているのかもしれない。

この「ついで買い」とでも言うような購買スタイルは、
音楽だけのことだろうか。
ゲームショップまで買いに行かないと買えないゲーム、
本屋さんまで行かないと買えない本、
そこも同じ悩みと解決案があるような気がする。

じゃー、スーパーマーケットで売ろう!
だろうか。
日本ではスーパーマーケットじゃない気がしないでもない。
日本のエンターテインメントの購買層が
10代後半~20代前半に偏っていることを考えると、
日本の場合は、コンビニかもしれない。
ただ、本はすでに売られているけど、
ゲームの場合、問題もある。
コンビニで支払う平均額というのはとても小さい。
オニギリ1個、2個の世界だからだ。
だいたい、
1人1回600~700円が平均購買額だそうだ。
そんな場に4800円の商品を置くと
とんでもなく高い商品に見えてしまう。
そうだと
理屈では納得していても心理的抵抗が大きいだろう。
(実際、デ●・キューブとかは
あまりうまくいかなかったようだし)

値段的に折り合いが付くところまで
ゲームの値段を下げられるだろうか。
これまた従来のパッケージ物だと無理だろう。
PSPのアーカイブ、WiiWareのような商品なら
値段的に折り合いが付くかもしれない。
ただ素のデータなので持ち帰りができない。
メディアに保存する必要がある。
データライターを設置する必要がある。
障壁は大きい。

ともかく、
わざわざ買いに行くというよりついでに買う
何かにつけ、そういう時代なのかもしれない。
内容にしても値段にしても置き場所にしても、
そういうところを狙える設定にしないと
いけないのかもしれない。


2008/05/12(月)
巨人

これはもー、出来の悪い作り話に見えるから
書くのをやめようと思ったくらいなんだけど、
土曜日、またまた、たまたま、
巨人戦をチラッと見てしまった。
4:2で勝っている!
と思った瞬間、
中日にヒットがでた。
「××初のヒットが出ました」
(××は今シーズン?この試合?聞き取れなかった)
というアナウンスを聞いて、
これはヤバイ!と思って
すぐにチャンネルを変えた。
が遅かった。
後でニュースを見たら、
その回のそのヒットを足がかりに5点取られ、
逆転負けしていた。

これはオカルト的偶然か。
ホントにおれが悪いのか。
とも思ったが、
これは単なる偶然ではない気がする。
だいたいテレビをつける時間は8時過ぎくらい。
その時間、野球では、
ちょうど先発から中継ぎに交代する時間帯だ。
巨人の場合、
この中継ぎ、押さえの補強が
今年も!例年通り!失敗していて、
そのため、
中継ぎに交代したところで逆転されてしまうケースが多い。
だから
オレが見ていると負けるみたいになるわけだ。
そのくらい、
同じ失敗を繰り返しているわけだ。

RPGでいえば、
強力な武器ばかり買って、
鎧甲はなしの裸に剣状態の装備みたいなものだ。
それじゃー、バトルに勝てない。
たのむ、反省してくれ!ナベ●ネ


2008/05/09(金)
和名

読者の方から
「5月6日が祝日」の件ですが、
5月4日みどりの日が日曜日だったので、
その振替休日かと思われます。
という解答をいただきました。
(ありがとうございました)
祭日が日曜日ならその翌日が休み、
でもその翌日も祭日(5日)だったので、
その次の日がそれになったということでしょうかね。

そもそも、
曜日と日付という2種のパラメータに
祭日を定義するという
二重定義はよろしくないです。
ゲームデザインではもっとも気をつける点の1つです。

回転寿司のネタが
ウミヘビやマンボウ、ナイルパーチだったとしても
全然かまわないと思うけど、
あの「和名」というのはどうなのかと思う。

和名とはウィキペディアによれば、
"学問規約的に規定された名ではなく、
慣用的に使用されている名であり、
生物の場合、
一つの種に多くの異なる名があったり、
複数の種が同じ名で呼ばれたり、
地方によって異なっていたりする"
というまー、
科学的に根拠のないあだ名みたいなものだ。

このネーミングのルールはもう少し
厳密にしないといけないんじゃないだろうか。
例えば、
われわれは、
「カラフトシシャモ」と書かれれば、
本シシャモじゃなくても
シシャモ科の魚に違いないと思ってしまう。
せめて違う「科」の名前を付けるのは
NGくらいの規制はほしい。
詳しいことは知らないけど、
日本近海の鯛は十数種なのに対して、
その十倍以上の「なんとかタイ」という
和名がついた魚がいるそうだ。

あきらかに消費者が勘違いすることを狙った
ネーミングってのは、
もー、あきらかに「偽装」のレベルだろう。

例えば、
『タシテン』を『ドラクエ数独』とか
勝手に命名できたら大変だろう。

もっとも、
ネギトロが
「アカマンボウのミンチ、ショートニング和え」
なんて言われるのもイヤなので、
うまくごまかしてね、とお願いしたいです。


2008/05/08(木)
野球中継

ここのところ、
野球っていうか巨人を見るのが辛い。
(セパ最低年俸の広島より下位ってどうなのよ)
巨人が映っていると
チャンネルをかえてしまうくらい。
小学校のときの夢
「大きくなったら、
テレビの真ん前に陣取って、
ご飯を食べながら、
巨人戦を思う存分見よう」
がウソのような今の心情だ。

そんな中、ちょっとした気の迷いで、
たまたま久々に巨人戦を見た。
絵に描いたような悲劇の最中だった。
明らかにフェンス越えをした打球を
スタンドの阪神ファン(ここ大事)がはたいて
フィールド内に戻してしまった。
そして、これが二塁打の判定になった。
<幻の逆転

運も実力のうち。
これはホントそう思う。

正式なルールは知らないけど、
スタンド内に入ったボールをファンがはたいて
フィールド内に戻ったら
ホームランじゃなくなるなら、
スタンドのファンはもう立派な守備選手の一員だ。
相手チームのホームラン打球は
みんなで協力してはねかえそう!
この日の勝利は上の阪神ファンの功績といえよう。
(この試合は1点差!で阪神が勝っている)

ああ、やっぱり見るんじゃなかったと
反射的にチャンネルをかえた。
こんなときファンは、
(自分が見ているからこんなことになったんだ)
と不条理な自虐の念にかなれるものだ。
でもしばらくしてやっぱり気になったので、
チャンネルを戻していたら中継が終わっていた。
そうかー、野球は人気がなくなっているので、
中継の延長なしで9時に終わるのか、今日日は。
BSでもやってない。
なんでオリックスVSロッテ戦やってて、
伝統の一戦の中継がないんだーという
身勝手な思いとともに、
試合の途中から始まり試合の途中で終わってしまう
中継なんて、ちっともおもしろくない。
むしろ逆効果だ。
(野球の場合、序盤と最後に波乱が来ることが多いし、
だいたい、
エンディングが見れないなんて、あり得ない)
こんな中継をしていたら、
野球のおもしろさなんて伝わりようがない。
もう数十年中継をしているというのに
いっこうに改善されない。
これでは時代に取り残されていってしまうのは当たり前だ。


はんば八つ当たり的に書いてみる。


2008/05/07(水)
GW

で、結局、
昨日は何の記念日で休みだったんだろう。
結局わからずじまいだった。

仕事とラーメンと読書に明け暮れたGWでありました。
今、東京は何度目かのラーメンブームでありまして、
それはそれはおもしろい状況にあります。
新しい味がどんどん提案されて、
ラーメンの概念がどんどん広がって、
それに伴い新しい「おいしさ」とも
出会える機会が増えてと、
とても魅力がある状況であります。
ゲーム業界で言えば、
PS1発売当時のムードが近いのかな。

新たな提案が次々と生まれる場というのは、
食べ物産業に限らず、
どの場でも楽しいもんです。
できれば作り手として参加したいところですが、
参加する(=消費する)だけでも
十分にエキサイトです。

相変わらず、
量子力学関連の本を多く読んでいる。
がここのところは、
基礎的な内容の本を読むことが多い。
例えば、
・質量とは何か
・場とは何か
・対称性とは何か
・真空とは何か
・波とは何か
・相互作用とは何か
といった感じ。

さすがにここ数年、
同じたぐいの本ばかり読んできたので
ある程度、なんとなく量子力学についてわかってきた。
そうなると
概論だけでなく、
もっと正確に、もっと深く、もっと専門的なことが
知りたくなってくる。
もっとその不思議さを楽しもうとすると
どうしても
基礎的知識の本を読むことになる。

さすがにこれらの本はおもしろくない(笑)
量子力学の不思議さにフォーカスをあてた本に比べて
地味だし、とてもクールだし、
不思議さには目を向けないで、
その数理的側面だけを対象とした
無味乾燥な印象を受ける。

もし、
読書の順番が、この基礎的本からだったとら、
きっと、
量子力学の不思議(を紹介する本)にたどり着く前に
興味が消失してしまっただろう。

学校の教育というのは、まさにこの順で教えていく。
ほとんどの子が、
その学問分野のもっともおいしいところに
たどり着く前に挫折してしまう。
つまらなさを乗り越えた者だけが、
その学問のおもしろさに到達できる。

知識獲得の手順としての合理性としては
基礎→応用が正しいのだろうけど、
その途中で興味を失ってしまっては
元も子もない。
これはもったいない。

小学校なんて、
その分野のことに興味を持たせるってことだけで
十分じゃないのかなとさえ思う。
興味をもったことなら、
ほおっておいても先に進むんじゃないかな。
自分の小、中学生時代を思い返すと、
そうした芽を摘むことばかり
教えられていたような気がするのは気のせい?


2008/05/02(金)
雑記

5月6日(火)はどういう意味の休みなのか、
未だにわからないでいる。
まー、どうせ休みじゃないのでいいんだけど。
何の日なんだろ。

うちの姪っ子は英語が苦手らしい。
どのくらい苦手かというと
"father"が読めないらしい。
合掌。
苦手を克服するより、得意を伸ばしなさい。
そうアドバイスしてあげたいと思います。

日本人と韓国人は、
特に英語が苦手な民族と言われている。
その理由は、
日本語と韓国語の発音が英語のそれと
大きく離れていることにあると言われている。
それと同じ理由で、
ひょっとしたら中部の方言は、
英語とさらに相性が悪いのかもしれない。
そういうことにしてもらえれば、
自分も英語がダメダメだったことが
家系的教育的問題ではなく、
地域風土の問題とできるので助かる。

どっかの審判が選手に対して「死ね」と
言ったとか言わないとか。

「殺すぞ」
「死ね」
「死ねばいいのに」
「死にますように」
「殺してやってください」
どれもぶっそうな言葉だけど、
どの言葉を使うか、
自主性?他力本願、
いろいろその人のキャラクター性がでそうだ。

そういえば、
日頃ブーブー文句ばかり言っている割には、
上のような言葉は吐いたことがない。
たいがいの人は吐かないな、きっと。
人のことを攻撃や非難することと、
人の不幸を願うことというのは、
ちょっと質が違う気がする。


2008/05/01(木)
Can't Stop

ハイオク170円@1リットルかー。
高いなー。
それでなくてもガソリンをよく食う、
そして燃費の悪い車に乗っているのに、、、

支払う税金分がちゃあんと
地方に分配されるといいんだけど、、、。
自民党のなさけなさは言うまでないけど、
民主党もいつものことながら、
否定だけしかできなくて、
合理的な(=実現可能な)提案が出せない
あたりがなんともなさけない。
いったい、どこに1票を投じればいいのか。

それにしても、
ガソリンにしても小麦にしても、
実体の需要と違う値上がりをしている。
投機マネーが流入しているからだ。
絶対値上がりするアイテムとして、
こうした生活必需品が投機マネーに狙われる。
ということのほうがとても深刻な問題だ。
不景気な国は、だいたい、即効薬として
公定歩合の引き下げをおこなう。
そうなれば、
さらに金を借りやすくなるので、
さらに、
いい行き先を見つけた投機マネーが
生活必需品に対して流れ込む。
これはあきらかにチキンレースで、
このままいつまでも
同じルーチンでもうけられる訳ではない。
どっかで何かが破綻する。
何もかもが実体とかけはなれているからだ。
賢い投資家たちは、
きっと、そんなことは100も承知で、
自分(だけ)は、
その直前に脱出できると確信しているだろう。
でもそううまくいくかな。
バブルの崩壊などを見てると
人間の欲なんてのは、
そういう理性的な歯止めを
あっさり凌駕してしまう気がする。

唐突だけど、そんな
止められない欲をゲーム上で体験してみたかったら、
Can't Stop』がお勧め。
人間の欲は「やめられない、止まらない」です。




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