人間風車

2008/06/30(月)
偽装

食品偽装問題ってのは、
ほとんど、内部告発で見つかっている。
ブランド牛と味が違う、
薬物が利用されている、
体調を壊した、
という消費者の被害から
発覚した例がない。
だから許されるということは100%ない
というか、
さようにわかりにくいものだから、
きちんとしてくれ(法律も含めて)といいたい。
が、
ブランドの「味」については、
ブランド以外の「味」と
違いがわかりにくい、大した差ではない?
と言えるってことだから、
ブランド主義みたいなのは、
よほどの舌を持っていない限り、
あまり意味がない。

ブランド品の質にお金を払っていると言うより、
ブランド品を買っている自分にお金を払っている
という意味合いになっていたとしたら、
もったいない。

こうした偽装事件は、
消費者以上に、
まじめに商品を作ってたり
扱ってたりする人の被害が大きい。
市場全体の熱が冷めてしまうからだ。
こうしたことはウナギや牛肉だけの問題ではなく、
ゲーム業界にも言えるのかもしれない。
産地(制作社)偽装はおこりそうにないが、
巧妙な見かけや広告で「偽装」している
例はあるかもしれない。


2008/06/27(金)
3週間前

さてさて、
ある「締め」がいよいよ3週間後(キリが悪りー)となった。
今までパーツパーツで作ってきたモノを
全部つないでみることになる。
パーツ単位では、うまくいっていることが
全体としてつなぐとうまくいかなくなることは多くある。
逆もある。
つないでみないとわからない。
つないでダメとなったらやっかいだ。
パーツ単位ではよかったわけだから、
どこをどう修正すべきかを見つけるのが難しい。
修正は大きく分けると以下の3タイプになる
1)修正で済むのか
2)いっそなくすべきなのか
3)さらに要素をプラスすべきなのか
2)の決断は勇気がいる。
3)の決断はタコ社長として勇気がいる。
しかし、たいがいの場合、
1)で済むことはなく、
2)か3)の決断をしないといけない。

削るというのはさらに症状を悪化させそうで怖い。
時間的、金銭的に余裕があるなら、
「補強」という形で改善したくなる。
「補強」が正しいアイデアかどうかという議論の前に、
ネタを追加すればするほど、
よくなっているという幻想が生まれる。
経済的にはヤバイが精神衛生的にはよい。
経済的、あるいはハードのキャパシティーが許す限り、
どんどん増やして言ってしまう方になりがちだ。
一般にゲームが肥大化してしまう原因はここにある。

遊びとして面白いかどうかを
真正面からバランスよく考えるのはむつかしい。
特に作っている当人たちにとっては、
どのアイデアもカワイイし、
毎日毎日味見をしているようなモノだから、
「おいしさ」にマヒしてしまっている。
何がこの料理の「味」なのか、
何を足したり引いたりしたら、
そのメインの味を際だたせられるのか、
毎日味見をしていると
そのあたりの感覚がぼやけていってしまう。

ついでに。
どんどんリアルにする。
この幻想も同じように甘美だ。

という戒めを再確認しつつ、
怒濤の3週間に突入。


2008/06/26(木)
価値観の移動

ドリフターズが久しぶりに集まって、
「作り込みのコントもいいね。
ただ、放送してくれる放送局があればの話だけどね」
と話していたらしい。
そういえば、
テレビで作り込んだコントをやらなくなって久しい。
漫才もあまりみなくなったなー。
笑いは、ほとんど、
トークーショーの形になってしまったので、
アドリブでおもしろいことを言える芸人しか生き残れない。
ちゃんとした台本をちゃんと演じきる、
そういう芸人さんたちには受難の時代のようだ。

テレビというか、見る人というか、
そちらの価値観は絶えず変動しているので、
私たちはこれが好きだから、
私たちはこれをおもしろいと思うから、
私たちはずっとこれをやってきたから、
という「止まった」価値観とは
どんどんずれていってしまうんだろう。
それはそれ、
生き様として否定するつもりは全然ないけど、
(むしろ好きだけど)
ことビジネスという観点から見ると、
あまりよろしくないようだ。
こうした「失敗」は芸人の世界だけにあるわけでなく、
どの世界にもあるはずだ。
自分たちももちろん例外でない。

特に、
1度でも売れたことがある
つまり成功体験があると、
売れなくなるとつい過去の成功体験に頼りたくなる。
ますます、
過去の成功例にしがみつく。
一旦脱出していてもそこに戻ってしまう。
でも、
価値観がずっと動いている以上
昔の場所にもどっても、そこにはもう何もない。
こうした「失敗」もまた
どの世界にもあるはずだ。

テレビの前で作りこんだコントを見ると言うことは、
見る側にそれなりのテンションを求める。
しかし、今ではテンション高く
テレビの前にいる人はあまりいないんだろう。
今!日本語で!しゃべっていることが
字幕として表示される時代だ。
相当見ている側のテンションは低い。
良くても悪くてもそれが今のテレビの現状なので、
テレビに対する見る側の意識が変わらない以上、
再び、作り込んだコントが
テレビに登場する日はないだろう。

同じようなことはゲームにもいえるはずだ。
ゲーム機に対するお客さんのテンションは
ずいぶんと変わってきていると想像できる。
昔のような作り込んだ作品は受け入れられないのか。
それとも、
ゲーム機はまだ、あるいは再び、
作り込んだ作品しか受け入れられないのか、
意外と自分の世界のことは見えなかったりする。


2008/06/25(水)
アストロノーカ

アストロノーカ』昔がゲームアーカイブズに入った。
これで、うちがPS1で作ったゲームが全て
アーカイブズに入ったわけだ。
それにしてもなつかしー。
全然忘れてる。
おれにとってほぼ、新作他人ゲームだ。
あのころのゲームの画面、コンセプトと
PSPの画面、
手軽さがちょうどマッチしている感じがする。

それにしても、
ずいぶん詰め込んだつもりでいたのに93MBかー。
小さいなー。
こんなんでできてたんだ当時。

前にも書いたけど、
このように、
過去の作品もちゃんと
遊んでもらえる機会ができたのは
ホントにありがたい。
ねがわくば、
PS2のソフトもPSPで動く時代が来ますように!
PSPに直接ダウンロードできる手だてが出来ますように!
ネット接続の心理的、技術的負荷。
これが最大のネックだ。
もー、ホント
家庭内の家電は電源から
インターネットにアクセスできるように
してしまってほしい。
電源が入ったら、イコール、インターネットに接続。
そのくらい簡単じゃないと、
たかがゲーム機のために
わざわざネット接続環境を変えることは
なかなかしてもらえないだろう。
あるいは、
次世代?PSP,DSが直接インターネットに接続できて、
携帯電話並みに簡単にコンテンツを
ダウンロードできるようにならないと、
なかなかなかなか、
ゲームアーカイブズは商売にはならないだろう。

それにしても、ゲームアーカイブズは
すごい量且つスケジュールで
コンテンツを増やしているなー。


2008/06/24(火)
昔話

昔の話をするのは嫌いとまでは言わないが
自分から進んですることはない。
昔話しか出てこない飲み会などは、
参加しないようにしている。

いいかげん、長く生きてきているので、
それなりに経験の蓄積というものはある。
(質は別にして、量としては)
例えば、
読んだ本だって、単純計算すれば、
二十歳代の人の2倍は読んでいることになるし、
行った場所、やった仕事、終わった恋愛、
どれもこれも、
数の上では多いことになる。
(もっとも、すっかり負けていることも少なくないが)
それは歳を取っていることの必然であり、
自分ががんばったからとかスゴイとか、
そういうこととはほぼ無縁である。

昔話の中には「鉄板ネタ」がある。
だれにでもあるだろう。
そういうネタを披露すると
受けてしまうので気持ちがよいものだけど、
その気持ちよさにはまってしまうのが怖い。
後ろしかみなくなりそうで怖い。
先に進む力を失ってしまいそうで怖い。
すぐにそこに逃げ込んでしまいそうで怖い。

若い人とは、
昔話でつながるんじゃなくて、
今とこれからについて一緒に語ったり考えたりする、
それが一番楽しい。


2008/06/23(月)
決着点

この間の秋葉原の事件があるたびに出てくる
ゲーム諸悪の根源論。
例えば「脳内汚染」論
ゲーム業界の人たちは、自分を含めて
1)非科学的である、あるいは偏っている
2)業界の人間が非難しても説得力がない
というような理由から、たいがい無視している。
(たぶん)

人は、あまりに不条理で衝撃的な悲劇に出会うと、
とても不安になる。
今回の事件のように「誰でもいいから殺す」
なんてのは特にそうだ。
そういうとき、心の平安のため、
なんとか「決着点」を探そうとする。
理由や原因を求めるのもその1つ。
こうした事件はたいがい、
個人的な人格の障害がもたらした
きわめて特殊な事件に違いないが、
「20年に及ぶゲーム歴が、彼の頭を壊し、
無感覚で人を殺す狂人に変えたといえるだろう」
といったような「一般論」として語り、
その一般論から導かれる問題点を改善することで、
今後はそのようなことが起こらないに違いない。
そういう「決着点」を与えようとする。

そういう「決着点」を求めること自体
悪いことではないだろうが、
こう安易にスケープゴートを作ってしまうことは
とても危険だと思う。
社会評論家ならまだしも、
プロ(精神科医)がそうした発言を繰り返すのは、
不思議で仕方がない。

子供が仮想の世界で遊ぶ。
仮想と現実の世界が区別できない。
そうした入り交じった世界で遊ぶのは
いつの時代の子供でも同じだろう。
古今東西、
全ての子供が「仮想現実失調」に違いない。
ゲームはそれを手助けする。
それはそのとおりだと思う。
しかし、ゲームがない時代でも
テレビやマンガや小説が、
それより前も
おばあちゃんが話してくれる昔話、
長老の創世神話が
子供たちを仮想の世界にいざなったに違いない。
そしてそうした体験は、
子供の精神の発達を促してきたに違いない。

以上、
説得力のない業界の一人間の個人的な発言でした。


2008/06/20(金)
無駄遣い

大きな買い物をしたわけでもなく、
何に使ったか記憶にないほど、
細々した買い物しかしていないのに、
財布のお金がなくなっている。
そういうことって誰もが感じていることだろう。

お金というのは、さように
何に対しても必要で、
逆に言えば、何にでも使えるアイテムというわけだ。
昔の人、昔の自分に比べて断然「使い道」がふえただろう。
あまりに細々したところででも必要なため、
使ったという感覚がもてないんだろう。
なのに、悲しいほど有限である!(笑)

お金と同じように「時間」もまた、
何をするにも必要だし、
「使い道」がどんどん増えている状態だ。
今の自分の時間割@1日を顧みてみた。

<一次活動> 生理的に必要な時間
 合計    ...... 計7時間
 睡眠    ...... 6時間
 食事    ...... 合計1時間

<二次活動> 社会生活上必要な時間
 合計    ...... 計10時間
 家事全般  ...... 合計1時間
 仕事    ...... 8時間
 風呂+読書 ...... 合計1時間

<三次活動> 余暇の時間
 合計    ...... 計 残り7時間
 映画鑑賞  ...... ???
 読書    ...... ???
 ゲーム   ...... ???
 散歩    ...... ???
 ※読書時間は、風呂タイムに合体。

ちなみに、とある調査では、
15才以上の平均活動時間は、
・一次活動  ...... 10.28時間
・二次活動  ...... 6.55時間
・三次活動  ...... 6.37時間
時間くらいらしい。

余暇に使える時間は、
まだどっかに7時間も余っているはずだ。
この7時間が
本屋に行ったり、ネットに入ったり、
ゲームをしたり映画をみたりしてに使えるわけで、
まだまだ、「余裕」がありそうなのに、
今では、
映画にはまれば全くゲームをやらなくなり、
ゲームにはまれば映画をみないという具合に、
趣味毎で時間の取り合いっこをしている。
それでもまだ、やりすぎたーと思えるときは、
使い道がハッキリしている分、あきらめもつく。
結局、どれにも十分な時間がとれなくて、
お金同様、何につかったかわからない、
そういう釈然としない無駄遣いの方が多い。

要改善点である。


2008/06/19(木)
意外な展開

">買う予定なしだったPS3だったが、
最近はこのマシンばっかりが火が入っている。
我ながら意外な展開。
残念ながら、世間で評判の
Heze』も『MGS4』も
イマイチ自分には合わなかったんだけど
プレイステーションショップ
(オンラインショップのこと)で売っている
「小さなソフト」(あ、イイ意味でね)を買ったりしている。
PS3というハードで出す意味は?
つまり、スペックを生かし切れているか?
というと全然そうでないソフトが多い。
ただ、それが問題かというと全然そうでない。
おもしろい、おもしろくないだけが、
ゲームの唯一の価値基準なので、
ハードの特性を活かす、活かさないは
遊び手側からすれば全然関係ないなーと
改めて認識させられる。

むしろ、時間がない自分たちにとっては、
PS3の能力を使い尽くした
「たっぷり」なゲームの方が遊びにくい。
さっと遊べてさっと終われる。
(とくに、
マニュアルを読まないでもすぐにプレイできる、
とかとても大切)
そんなお手軽なゲームの方が助かる。

こういう「小さいソフト」は、
今の市場では、
パッケージ化するのはむつかしいだろう。
無理矢理にでも、
「小さいソフト集」とでもしない限り、
物流システムのコストにあうものにならない。
その点、オンラインショップは、
こうしたソフトが売られる「チャンス」
(売れる、という意味じゃなくあくまでチャンス)
があるのがいい。
そう言う意味では、
「小さいソフト」が
PS3のハードの特性を活かしたソフトである
と言えないこともない。
(PC上からでも買えるようだけど)

ただ~し、
このオンラインショップのHP、
なんとかしてください。
わかりにくいです。つまらないです。
探す気にならないどころか、
来る気にもなりません。


2008/06/18(水)
レアメタル輸出国日本

レアメタル輸出国日本。
最初に聞いたとき、
逆じゃねー?とおれも思いました。

レアメタルは、
携帯電話、DVD、IC、液晶、電池など
IT製品には欠かせない金属、
つまり日本には欠かせない金属である。
しかし、
レアメタルはレアがつくように
少ししか産出されなくて、
しかもどういうわけだか、
中国、北朝鮮あたりからしか産出されないらしい。
(なんで、よりによってこの2国!w)
中国などは、以前は大事な輸出アイテムだったけど、
自国の経済成長に合わせて
輸出を絞り出したので、ますますレアになりつつある。

このレアメタルをどうして日本が輸出してる?
輸出できる?
と不思議に思ったんだけど、
どうもこういうことらしい。
日本の製品の消費サイクルは早い。
あっという間に粗大ゴミにしててしまう。
携帯電話、DVD、IC、液晶、電池も同様。
この粗大ゴミは中国を初め東南アジアを中心に輸出される。
リペアしてそのまま製品として使われることもあるが、
電子基板、チップに含まれる
貴金属の回収という利用も大きいのだそうだ。
ICチップの配線は金が使われているし、
レアメタルもふんだんに使われている。

国の悪政によって、
うまく製品リサイクルが働かない日本。
大枚はたいて手に入れた大事なレアメタルも
粗大ゴミに含んで「輸出」してしまっている。
そういうことらしい。

もったいない。
これこそ、もったいない。


2008/06/17(火)
誰の方を向いているのか

いつの間にか、
amazonで蚊取り線香なんかも売ってたりする。
おどろく。
ほんのちょっと前まで、
ネット本屋という認識だったのに、
気がついたら、
家電、ファッション、日用雑貨まで売られている。
こんな感じ
残すところ、食べ物だけか!
取り扱うアイテムが増えるとともに
メニューやサイトの構成も着実に使いやすくなっている。
それに引き替え、
楽●のシステムは相変わらずダメダメで、
例えば、
このサイト内の検索ではまともにヒットしないので、
いったんググったあと、そこから楽天サイト内へ飛ぶ有様。

どこが違うんだろうと考えてみたりした。
一番は、見ている方向じゃないかなーとやっぱり思う。
例えば、
検索でヒットする件数が多い、
関係のないモノまでヒットする、
というのは客にとっては迷惑この上ないが、
店子からすれば、
いろいろなキーワードで自店のアイテムがヒットするわけで、
店子からは喜ばれるかもしれない。
もし、
見ている方向が客ではなく店子だったとしたら、
検索エンジンの性能は、
関係のないモノまでヒットする方向にいくかもしれない。

もちろん、極端な妄想であり、
ホントの事情は全然しりません。

誰に向かって提案しているのか。
誰にうれしがってもらいたいのか。
誰にほめてもらいたいのか。
理想論から言えば、「お客様です」と簡単に言える。
ただ実際の現場では、
売り込み、契約交渉、動く金額などなどから、
知らず知らずのうちに視線が、
クライアントの方に向かいがちになってしまうのは、
どの業種の誰にとっても同じだろう。
自分もまたそう。

こうして実際、
『液晶テレビ』で検索して
『とっても便利で可愛くなっちゃう♪
 キーカバーNo.015/本革仕様』
がヒットしたりして、
自分が「客」として不便だなーと感じるとき、
我に返るというか、反省させられるというか、
気づかせてもらえるので感謝してます。
(ほめごろし?)


2008/06/16(月)
光合成装置

最近の事件報道を見てると、
やたらと防犯カメラの映像が出てくる。
こんなにいろんなところにあるんだなーと
感心したり、おどろいたり。
いつもどこでも誰かに見られているってのは、
なんとなく気持ちが悪いものだけど、
犯罪の抑止や逮捕のための
強力な武器になっているのも確かなので、
もー、この際いっそのこと、
日本全国24時間死角なし!
ってくらい配置したらどうだろう。
もちろん、ちゃんと法律で
利用基準を厳しく決めて欲しいけど。

全ての自販機、公衆電話、信号機、街灯、
駅やバス停、公衆トイレ、
それらに取り付けるだけで
かなりいけそうなきがするけど。

排出されてしまった二酸化炭素の
除去方法には、
地下に埋めるとかフィルターに吸わせるとか
いろいろあるようだけど、
もっとも単純且つコスト安且つ安全なのは、
今以て「光合成」である。
二酸化炭素は吸収するだけじゃなく、
酸素や糖を作ってくれるので
一石三鳥な仕組みだ。

光合成は植物の専売特許だけど、
この仕組みだけをとりだして、
でかい「光合成」装置みたいなものは
できないのかなー。
装置までいかなくても、
葉緑素入りペンキとか屋根とか、
葉緑素繊維で作ったシャツとか、
光合成道路とか、
そういうのはできないものだろうか。


2008/06/13(金)

竹はすごいなーとふと思った。
食べられる!
建築材料にもなる!
調度品(かごとか)にもなる!
食器(箸)にもなる!
炭にもなる!
竹炭は服の生地にも編み込める!
(殺菌力と遠赤外線効果が期待できる)
木炭酢は殺虫剤や土壌改良材にもなる!
根のはりがスゴイので、竹藪は地震にも強い!
成長が早い!
栽培?が楽!
パンダも育てられる!

食品から燃料までなんで。
なんて便利な植物なんだろう。
もー、
ひのき全部切っちゃって、
竹林にしましょう。
花粉症なくなるし、輸入木材も少し減るだろうし。
(冗談ですよー)

こちらからは以上です。


2008/06/12(木)
水はどこへいった

ここのところPSPばかりいじっている。
『ニッポンのあそこ』『パタポン』を
いじったりし始めている。
『福福の島』以降、
ずっと眠りっぱなしのハードだったんだけど、
うちのゲームがアーカイブとして
売れられるようになったのがきっかけで、
再び火が入り出した。
火が入ると、他のゲームもいじりだすようになった。
実にわかりやすい(精神?)構造。

そう思うと、
いかにいつも火を入れさせておくか、
習慣化させておくか、
つまりいかに日常の生活に密着しているかが、
ゲーム(機)開発の大きな注意点であることを
あらためて認識させられる。

コンテンツが先か、
習慣化が先か、
ニワトリ:タマゴ論争みたいなところはあるけど。

世界中で水不足だという。
正確には、淡水が不足している。
簡単に利用できる淡水は、
地球上の全水資源中、0.0004%に過ぎないから、
しようがない気がしないでもないが、
それにしても、
水はどこへ行ってしまうのだろうか。

生活で使われた水、
食べ物の栽培や調理に使われた水、
工場で使われた水、
それらは、最終的には、
ほとんど下水に流れ込んでいるはずだ。

現代の水不足の原因の多くは、
木や化石燃料みたいに、
水を消費してしまっているというよりは、
水を汚してしまうという問題が多い。
牛肉や自動車など、
作られたモノ自体が多くの水を
蓄えてしまっているのではなく、
モノを作るときにたくさんの水を使うということだ。

使われ汚された水は、下水から海に流れ込む。
海の水は太陽に照らされて蒸発する。
蒸発した水はやがて雲となり、
多くは山にぶつかり、雨となる。
山頂で降った雨が川へ流れ込んだり、
地下に浸透したりする。
つまり、水は循環している。
成層圏まであがった水は、
宇宙線の力で酸素と水素に分解され、
宇宙に逃げ出すこともあるが、
それは非常に微量。
ということは、
水量保存の法則みたいなものが成り立っているはずだ。
なのに、水不足。たしかに水不足。
水はどこへ行ってしまったのだろうか。
水不足=人間が水を汚して
生活に使えなくしてしまっている
ということなんだろうか。
あるいは、
水は不足していない。
ただし、
不必要なところにたくさんあり
(洪水になったり、台風になったり)、
必要なところにない。
というバランスの悪さのことだろうか。


2008/06/09(月)
アーカイブ

トップページにあるように、
昔PS1で作ったソフトが
オンラインショップに並んでいる。
PS1でなくても、PSPでも遊べる。
PS3を介してじゃなくてもPCからでも
ダウンロード→PSPへインストールできる。

これはありがたい。
昔のソフトが現在のハードで遊んでもらえるという
映画でも音楽でも当たり前の世界が、
よーやくゲームにもきた感じだ。

PSPまで持ち出せるのがよい。
古いソフトを最新の据え置き機で見るのは、
さすがにちと辛い。
ゲームの本質は変わりはしないというのは
正論だけど、
やっぱり現在と比べると少し見劣りしてしまう。
その点、
今現在のハードのレベルから言うと、
古い据え置き機→携帯ゲーム機というのが、
非常にバランスが良い。
Wiiでのダウンロードサービスも
はやくDSへ持ち運べるようになるといいんだけど。

ネット販売することで、
販売側も、
ほぼ何もしないで昔のデータを送り出せる、
プレス、運送、ショップの棚競争などの
物理的なリスクをかなり抑えられる。
リスクを抑えられるということは、
あまり売り上げが期待できないソフトも出してもらえる。
つまり
うちの作るようなソフトも再度チャンスがもらえるわけだ。
通常の物的システムだったら、たぶん出なかっただろう。
これはありがたいことだ。

もっとも、現状のネット販売のシステムは、
まだまだこの手続きの煩雑さはどうよ、
というところもあるし、
いくらコストとリスクが小さいからと炒っても、
現状の市場規模では、
サードパーティーのソフトがどんどん出る
という状況にはならないだろう。
でも、これはitunes storeが出来たときなんかも
言われてたことで、
時間が解決してくれることだろう。

ただし、今は、
過去の作品を売るだけの場となっている。
これはもったいないし、
これは言ってみれば、
ゲームの「化石資源」を使っているようなものだから、
やがては枯渇してしまって未来がない。
これを期に、
この市場に新作が並んでいくように期待してやまない。


2008/06/05(木)
肉体の暴力と言葉の暴力

暴力というのは
手や足でなぐる、蹴るだけじゃなく、
言葉による叩くもまた暴力だ。
同じくらい、相手にダメージをあたえる。

前者は直接向き合ってでしかできない暴力なので、
ある意味、
する側、される側の間に、
少しだけコミュニケーションがある。
後者は、例えば、
ブログに対する匿名のコメントなど、
まったく両者にコミュニケーションがない。

だれでも相手の言動にカチンとくることはあるだろう。
しかし、そうは手を出さない。
抑止力が働く。
ケンカになりそうとか、
今後のつきあいに響きそうとか、
警察沙汰になりそうとか、
なにかしら相手からの反応があるので、
そうは簡単にふるえないところに、
まだ救いがある。
一方、言葉の暴力、とくに
ネットへの書き込みという暴力は、
肉体的暴力より、とても簡単であり、
匿名にすれば、身元がばれることもない。
相手からの反撃を受けることがない。
その分、言葉の暴力を抑止することが難しい。
システムとして難しいだけでなく、
自分の心を抑えることも難しい。
自分の中の負の気持ちを抑えられないことと
そのことで社会的ペナルティーを受けないことが
合体しているところが危なっかしい。

言葉、とくにインターネット上での暴力なんて
スルーしてしまえばいい。
というのは簡単だ。
しかし、まだそこまで冷静な対応が出来るには、
経験値が低すぎる。
後者の暴力は、インターネットの発達、浸透とともに
加速している感があり、
それをどう考えたらいいのか、
どう受け止めたらいいのか、
どう防いだらいいのか、抑止したらいいのか、
我々は、
そのあたりの対処法をまだ身につけていない。
こういう対処法は経験に基づいて
獲得されていくものだろうから。

ブログの中傷による自殺事件
などをみているとそんなことを感じる。


2008/06/04(水)
必然性

現在、N社にお世話になっている以上、
自分たちのゲームのキャラが
大乱闘スマッシュブラザーズ』に入るのが夢です。
っていうか、
おれたちの「紅白出場」だと思っている今日この頃です。

知り合いの編集者が、企画が通らないとぼやいていた。
その編集者のいる出版社は、
おれたちが20代、30代のころは、
「こういうの、おもしろいと思いません?」
という提案がいっぱいで、とても気持ちがよかった。
最近はちょっとご無沙汰というか、
なんか違うなーと感じていたけど、
それは気のせいではなく、
社の方針だったのだなーと
しみじみ思ったりした。
一方的な話なので、
それなりにバランスをとって考える必要はあるが、
ようするに、
今売れている物を100点として、
それから外れている点を減点していく採点法で、
企画の価値を決める。
というような方法はどうなんだろう、
ということのようであったと思う。

この減点法という採点法はたしかに、
失敗を少なくするだろうけど、
新しい提案はでないだろう。
2匹目のドジョウはそれなりに利益を生むだろうけど、
トップにはなれないだろう。
生き延びれるかもしれないけど、
成長は出来ないだろう。

会社も生き物。
人と同じように成長し、老いていくという。
どの業種の会社にも
どの規模の会社にも
同じことがあるんだろうか。
考えさせられるなー。

それはそうと、
その編集者の話を聞いていて1つ気になった点がある。
たしかに、その企画はおもしろそうだった。
ただ、
どうしても紙じゃないとダメなのか。
ページをめくるとか持って歩くとか、
そういう本ならではの特徴が必要なんだろうか、
つまり、
本というメディアである必然性はあるんだろうか。
という点だ。
昔は、本には、
肩を並べるようなライバルはいなかったので、
そんなこたー、考える必要もなかったかもしれないけど、
今はインターネットのコンテンツがある。
制作コスト、制作スピード、値段、入手のお手軽さ、
どの点をとっても書籍は負けている。
となると、
おもしろい、ためになるなどの情報内容だけを基準として
本作りをしていくというのは、
難しいことなのかもしれない。

そのメディアである必然性、
どの業種でもそこのことを
ちゃあんと考えないといけない時代になったようだ。


2008/06/03(火)
先行投資

昨日書いたことは、
よく考えたら(考えなくても)、
HPでやればいいようなことでした。
もっと、ちゃんと考えなくてはな。
そのメディア、その場でなくてはならないもの、
そういうコンテンツじゃないと
全然意味ないですからね。

それはそうとして、
I氏が「ほぼ日」を始めたときに
「人が集まりさえすれば、タコ焼きだって商売になる」
と言っていたけど、
たしかに、
まず、人が集まる場にする。
商売はその後についてくる。
イイ意味でも悪い意味でも
アクセスさせることを「習慣化」させることが
まず第一歩なんだろう。
ネットビジネスというのは、
どうもそういうもののような気がする。
人が集まる場にするというところまでは、
先行投資と考えた方がよさそうだ。

そういう意味では、
ゲーム機の中では、
PS3の『トロステーション』が
今のところ、一番がんばっているかな。
あのコンテンツを毎日!無料!で
配布しているんだからスゴイ。
どのくらいアクセスがあり、
どのくらいネット販売に貢献しているか知らないけど、
先行投資のよい成功例となるべく、
がんばってくれ>N治君!


2008/06/02(月)
将来のための種まき

の据え置きゲーム機も
ネット接続機能を持つようになり、
新しいゲームのトレーラーやお試し版、
古いゲーム、ネット販売専用のゲームなどが
売られてたりする。

まだまだ加入者@日本は低いので、
日本だけではビジネスになりにくいみたいだけど、
欧米、特にアメリカのネット接続率は
かなり高いみたいだし、
接続率はあがっているらしいので、
世界的に見れば、ひょっとしたら、
ネットを通して情報を知る、ゲームを買う
というつきあい方の方が一般的になる時代が来るのかもしれない。
(前にも書いたけど、音楽なんかはそうなったみたい)

せっかく、
情報をやりとりできる仕組みが出来たのなら、
ゲームの販売やプロモーション(紹介、お試し版配布)に
限った使い方はもったいない。
「今」のお客さんへのサービスだけでなく、
「未来」のお客さんへのサービスも提供するのがいいと思う。
さらに、お客さんだけではなく、
「未来の作り手」に対しての
サービスなんかもあるべきだろう。

スポーツの世界を見ていると如実なんだけど、
底辺の人口が少ないとそのスポーツは衰退する。
上手な人というのは一定の割合だから、
分母(人口)が小さくなれば、
それだけ上手な人が減るわけでだ。

たとえば、
ネット上で学校などをするのはどうだろうか。
会場を借りたりイベントの管理などの作業、
参加人数の問題など、
実際の学校を作るのは大変だけど、
ネット上に置くのであれば、いくぶん楽なはずだ。
ゲーム作りの大変さ、おもしろさというのは
なかなか一般の人にはわかりにくいみたいだ。
どうやってゲームが作られていくか、
作っている人が何を考えているか、
何を悩んでいるか、何を楽しんでいるか、
次に何をしようとしているか、
そういうことを紹介したり、
ゲームに関わりそうな
周辺の科学、文化を紹介するのもいいだろう。
例えば、物理、認知学、文学や歴史、、、などなど。

そうした試みは、ゲーム雑誌であるにはあるが、
雑誌ではページ数の制限があるし、
アーカイブとして残しておくことも難しい。
なにより、無料に出来ない。

すぐに商売にならない情報でも、
未来の商売のための種まきととしての装置は、
コスト面などからいって、
ネット上に置くというのは、理想的だ。




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