人間風車

2009/07/31(金)
やりくり力

7月も今日で終わり。
早いもので、
今年も残り4ヶ月となった。
はやく(ほんとの)梅雨明けしないとw

「制限」は発明の母だ。
とくに日本人の母だ。
やりくりは日本人の得意技だ。
もー、そろそろ
唯一といってもいいくらいのお家芸だ。

なにもかも自由になると
パワーの国アメリカに負ける。
ゲームなんか、まさにその際にきている気がする。
1080pだとかフルカラーだとか贅沢だ。
そんな環境でゲームを作りだしたら
制限がない環境で
制限を付けた訓練をするのはむつかしい。
環境自体に制限がないと本気がでないからだ。

日本人は、
キャラは16x16ドットのドット絵。
色数は16色。
スクリーンの大きさは320x240ドット。
メモリも小さく、キャラの同時表示数も少なく、
そういう貧相な環境で開発しないとダメだ。
(おれ自身は、そういうの、もーいいかな(汗))

そうでないと、
日本人のポテンシャルを発揮することはできない。
それはたとえば、日本人は、
お風呂が3つもあるような、
お城のような豪邸より
小さい1戸建てのほうが
うんとうまく使いこなせるのと同じだ。

そういう意味では、
こんなゲーム機での開発とか鍛えられそうだ。
やりくり力養成ギブスのようなマシンだ。
8x8ドットゲーム機『Meggy Jr RGB
これでも作る人が作ると
ちゃんとゲームに見えてしまうから不思議だ。
Super Monkey Kong in LED


2009/07/30(木)
この熱、もったいない

もったいない。
この気温、もったいない。
この太陽光、もったいない。
どこにでも貼れる太陽光発電板とか
だれか作ってくれないかなー。
植物を壁にはわすとかは、
水やりとかいろいろ管理が大変そうだけど、
管理の簡単な葉緑素を使って
なんか、こー、
光化学反応利用したなんかとか、
(具体的に全然わかっていない)
そういう利用とかできないんだろうか。
このムダで邪魔な熱、
もったいない。

「可能性はある」という言い方。
これはおかしーという意見
大賛成です。
たしかに
可能性なんてあるに決まっている。
おれが、
日本人初のアメリカ大統領になることも、
史上初の老人宇宙飛行士になることも、
コンビニに行く途中で、
地球外知的生命体にでくわすことも、
画期的な物理理論を発見して、
ノーベル賞をもらうことも、
作ったゲームが
ポケモンを上回るヒットになることも、
可能性はある。

だから、会議の場なんかで
「可能性はありますね」なんて発言は、
意味がないと言うことだ。
可能性は小さいのか、大きいのか
そこらアタリを言わないと意味がない。
という杉山さんの主張。
大合意。

ちょっと前のほぼ日にあった
「好き」ってすげえことでね。
っていう考え方が好きだ。
"
「これで食っていけるぞ」とか
「これやったら儲かるぞ」とか
「こうしたらお客さんが来るぞ」とか
そういう理由ではじめた人たちの店は
潰れるんですよ。
"
飲食店に限らず、どの分野、どの人にも
当てはまるんじゃないかなー。
でも、
たいがいの会議は、まさに
それでやっていけるのか
それは儲かるのか
それで客がくいついてくるのか
ってあたりが論点になってしまう。


2009/07/27(月)
海の浄化槽

海の浄化槽。
貝はいっぱんにそう言われる。
食べられる浄化槽。
海をキレイにしながら、且つ食料にもなる。
一石二鳥!
しかし、浄化槽かー、
江戸前(東京湾)の浄化槽かー、
なんか食べにくいなー、そのあだ名w。
それはそうと、
海から取り込んだ汚れはどうなっているんだろう。
海の汚れは、ちゃんと貝内で、
分解されているんだろうか、、、
普通の浄化装置でも、
フィルター見るとぞっとするんだけど。

人体に取り込まれた有害物質は、
どういうわけだか、
一旦取り込まれると
排出が容易ではないらしい。
アンモニアなどの有害物質は、
(希釈した後)尿として排出できるのに、
どういうわけだか、
有毒な重金属みたいなものは、
うまく排出できないらしい。
不思議っちゃー不思議だ。

ひょっとしたら神様は、
人間を「陸の浄化槽」
と思ってたりして。


2009/07/24(金)
単体エコ

関東は梅雨入りか!
っていうような毎日。

逮捕の瞬間をニュースでやっていた。
飛行機で移送中の瞬間をテレビでやっていた。
かねてから、
どうしてテレビクルーが
逮捕の瞬間にいられるのか不思議でならない。
それよりも、
飛行機で移送中の映像で、
スチュワーデスが
「みなさまのご迷惑になりますので、
お席に戻るようにお願いします」
と言っているのが聞こえた。
もちろん、
そんなこと取材陣はお構いなし。
世間に流れたのは、
ひどい犯人ってより、
行儀の悪い取材陣の姿だった。

電気自動車はエコなんだろうか。
たしかに
排気ガスを出さないところはエコだ。
空気を汚さない。
でも、きっとモーター回せば熱が出る。
温暖化には関与する。
自分自身ではガソリン(化石燃料)を消費しないが、
電力を必要とするので、
その分の発電を発電所にお願いする、
つまりその分化石燃料を使うってことだから、
この問題も解決しない。
電気モーターの力で車を動かすのは、
エンジンで動かすより、
エネルギー効率はいいのだろうか?
少なくとも、
発電所→充電所までの送電に
エネルギーロスが生じる。

そもそも、
個人で車をもつということ自体が
もー、
エコじゃないっていう気さえする。
1つのアイテム単体でエコを語るのも
ムリがある気がする。
エコとはエコ・システムのことだろう。
発電~輸送までひっくるめて考えないと
ホントのエコにはならないんじゃないかな。


2009/07/23(木)
皆既日食@イースター島

「明けない夜はない」という。
しかし、正確には、
経験的に、
「明けなかった夜はない」
といっているだけだろう。
つまり演繹的証明に過ぎない。
いつか明けない夜が来るかもしれない。
この夜こそが、
明けない夜かもしれないのだ。

次の次の日食@イースター島
って話、
まだ誰も知らないはずと思ってたら、
しっかりテレビで紹介されてたらしい。
イースター島に行ってみたいポイントと
皆既日食見てみたいポイント。
一方のポイントでは動かない人も
(おれのような)
ポイントの合計で、
「行きたい!」フラグが立ってしまう人が
世界中に何人いるだろうと思うと、
すでに腰砕け状態のオレでした。

ちなみに、皆既日食の前夜、
飛行機の中からなら見られるかも
だれも気がついていないだろうから、
当日でも席空いているかも、
とんぼ返りすれば、
午後のミーティングに間に合うかも
とネットでチケット予約しようとしたら
その便だけが満席だった。
恐るべし、皆既日食マニア。

そう言えば、
かのアインシュタインの一般相対性理論は、
皆既日食の際の実験で初めて確かめられた
(=認められた)のだった。

モノがそこにあることで、
空間がゆがんでしまう
(三次元的にへこんでしまう)。
モノの質量に応じてゆがみ方がちがう。
太陽のような大きな質量を持っていると、
空間のゆがみも大きいので、
太陽の近くを通る光のコースも曲がってしまう。
(光は最短距離を走ろうとするので)
太陽のすぐ近くを通る光は、
太陽自身の放つ光で見えない。
唯一、
太陽の放つ光が見えないとき、
太陽の近くを通る光が観測できる。
それが皆既日食だったわけだ。

一般相対性理論を発表して
4年(だったかな)で
おあつらえ向きの皆既日食が起こるあたり、
アインシュタインの運の強さを感じる。

ちなみに、
質量があると空間がゆがむ。
ということなら、
おれも空間を曲げていることになる。
実際に曲げているのだけど、
人の質量程度でまがる長さは、
原子の半径長くらいらしい。


2009/07/22(水)
心地よいストレス

さてさて、
今日の日食は見られたんでしょうか。
なんだか、
どこも天気がイマイチだったみたいで。
次の次の皆既日食は、
2010年7月11日@イースター島周辺。
これ、ちょっとかなりそそられます。

通販生活で『ローリングボード』なるものを購入。
一言で言えば、不安定な座布団。
くねくね動いてしまうので、
姿勢を保とうと知らず知らず、
インナーマッスルが鍛えられるという
ぐうたら者にはもってこいの
トレーニングツール。
たしかに、これはいいかも。
長続きしますよーに!

それにしても、
不便にするサービスというのはおもしろい。
どんな商品もたいがいは、
お客様を快適にする、
楽にするために開発されている。
いられりつくせりが、
一番のサービス、正しいサービスというのが
普通の価値観だ。
とくに最近のゲームは、
説明からゲーム展開まで、
そこまでしなくても、と思うくらい、
過剰な新設設計になっている。

常々、それはどうなのかな?
軽い、気持ちよい
ストレス(思うようにならないこと)ってのも
ちゃんとサービスとして
成立するんじゃないのかな、
そんなことを再認識させてくれたりする。

旭山動物園などでは、
動物たちのゴハンを
わざわざ、草むらや地中に隠したりする。
エサをさがす動物たちは、
意外とイヤそうじゃない。
っていうか、逆に楽しそうだ。
退屈より軽いストレスの方が
楽しいに違いない。

従来の価値観で言えば、
食べる側にしれてみれば、
一番楽ちんなわけだから、
動物たちのそばに、
たべやすく刻んだエサを置くことが
一番のサービスであるということになる。

彼らを見ていても、
軽いストレスってサービスはアリのような気がする。
問題は、
心地よいストレスってなに?ってあたりだ。


2009/07/21(火)
かいさん

衆議院が解散した。
それにしても、
どこを応援すればいいんだろう。
ここは応援したくない
という政党はすぐに思いつくんだけど、
ここを応援したい
という政党がちっとも思いつかない。
より悪くない政党を選ぶということか。

今回は
与野党がひっくり返りそうなんだけど、
それでも今一つ
ワクワクしないのはなぜだろう。

マイミクの日記にあった言葉。
「悪い政治家をワシントンへ送り出すのは、
投票しない善良な市民たちだ。」
(ウィリアム・サイモン
(ニクソン政権時の財務長官))

そうなんだよねー。
だから困っちゃう。

ここのところ、手が荒れている。
洗いすぎで荒れた。
汗でネチャネチャしてる気がして、
洗わないと気持ちが悪くなる。

どうも昔から、
ストレスを感じると手を洗い出す。
もっとストレスを感じると電車に乗り出す。
というクセがあるみたいだ。

手のひらと足の裏の汗は、
体温調整のための汗じゃない。
緊張やストレスによる汗だ。

その昔、
まだ木の上で暮らしていたころ、
大事なところ(敵に狙われているとか)で
木から落ちてしまわないように、
手のひらと足の裏に「滑り止め」として
汗をかくようになった。
という説が好きだ。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
ってことばもあることだし、
落下することを恐れてばかりいるんじゃなくって、
いっそ、自分から落ちてしまおうくらい
腹をくくることも必要なんだろうな-。


2009/07/17(金)
罪と罰

この間、
お金ほしさで家に押し入り、
2人を殺害した加害者が、
計画性がないし、
若く反省していて更正の余地があるから
という理由で、
死刑判決が回避された。
杉並親子殺害事件
強盗目的の殺人は
それでなくても罪が重いときく。
その上、2人も殺しているのに、
更正の余地があるから、
つまり、
若く反省しているという理由で、
死刑が回避されてるのには、
ちょっと違和感を感じる。

死刑がイイか悪いかは別にして、
(個人的には
恩赦ナシの終身刑に代わるべきだと考えている)

(教育)刑とは、
被害者感情を満足させるための
報復ではなく、
加害者の反社会的な性格を
改善するための措置である
という「刑」の理念を
ちょっと拡大に解釈しすぎてる気がする。

常々、
審判は被害者と加害者の関係で
裁かれるべきだと思っている。
被害者との関係のない、
加害者の独立した事情
(反社会的な性格を改善するとか)だけが
過剰に目的化されるのは
どうも理解できない。

かりに「罪」についてはそうであっても、
それとは別に、
悪いことをしたら「罰」は与えられるべき、
と考えるのは、間違いだろうか。

もし、
加害者が99才で老い先短かくても、
かれが反省していたら、
同じような判決が出たんだろうか。
将来があるから(=若い)という理由で、
少しでも刑量が軽くなるなら、
極論すれば、
犯罪は若い内にやっておけと
いうことになりかねない。

未成年への刑量とは意味が違う。
20才だろうが99才だろうが、
「成人」とされた以上は、
起こしたことに対して
平等に裁かれるべきだと思うけどなー。

もっと過激なことを言わせてもらえば、
未成年で本人に責任能力が問えない場合は、
保護者が責任を取るべきとさえ思っている。
(同じ量刑じゃなくてもね)
未成年と言うだけで、
本人に責任能力がないというだけで、
罪がどっかに消えてしまうのは、
同じように違和感を感じる。


2009/07/14(火)
ブランドの苦悩

先生たちの失職と採用試験日が決まった。
それにしても
経済刺激策の名の下のバラマキも
都議会選を見ている限り、
あまり効をなさなかったようだ。
そりゃそうだ。
お父さんがサラ金から借金をして、
プレゼントをしてくれたとして
子供はそれがうれしいわけがない。
「これあげるから、お父さんのこと好きになって」
と言われて好きになれるわけがない。
むしろ、
「何も買ってあげられないけど、
お父さんもタバコもパチンコもやめるから」
と節約を約束してくれた方が
うんとうれしいし、
尊敬もできただろう。

某超有名ゲームのゲーム評が
分かれているというか
荒れているというかで話題になっている。

予想を裏切りながら期待に応える。
伝統を守りながら新鮮でなくてはならない。
ブランドを壊さず、守りすぎない。
たえず、よくなり続ける。
有名ゲームのシリーズが抱える苦悩とかは
1ミリも味わったことがないけど、
きっと大変なことなんだろうな。

よく、カラオケや飲み会で
歌や芸を要求されたとき、
断り続けることで、
どんどんみんなの期待値を高めてしまって、
自分のハードルを高くしてしまうことがある。
仮に同じデキだったとしても、
すんなりやった場合と
こばんでこばんでやっとやった場合では、
みんなの期待値が大きく違うため、
受ける評価がまったく違う。
そんなことがよくある。

繰り返された発売延期。
失敗があったとすれば、その1点かなー。


2009/07/13(月)
人は死してDNAを残す

購買欲を刺激する言葉はいっぱいある。
・998円!みたいなエコノミックプライス
・店じまい在庫処分SALE!
・残り#個!
それらの言葉には、抵抗力はあるんだけど、
どーも個人的にはこういう言葉には弱い。
・業務用
・訳あり
・NASAで開発
こう書かれるとつい1クリックしてしまう。
きっと、
NASAで開発された業務用訳ありゲーム
とかあったら、
一発で買うだろうな。
(どんなゲームだ!)

「虎はは死して皮を残す
人は死して名を残す」
という言葉があるけど、
時代はどうやら、
「人は死してDNAを残す」
になったみたいだ。
遺伝子工学の技術の進歩の結果、
精子を作る
なんてことも可能になったみたいだ。
すでに、
死んだ夫から精子を取り出して
子供をもうけたとか、
遺言とともに精子を残すとか
そういう話がある。
そういうことに興味のある人は、
(弊社こことかみて)
つきつめると、
DNAさえ残っていればいいってことだ。
精子じゃなくても、
体細胞でもOK。
生きていなくてもOK。
体の一部さえ残っていればいい。
いまでも(たぶん)アインシュタインの子供を作れる。

雄ってのは、子供の養育をのぞけば、
雌にDNAを提供することだけが仕事だ。
つまり、もう時代は
生きている雄ってことに
あまりこだわる必要がないってことだ(笑)


2009/07/10(金)
第一到達目標

むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
ゆかいなことをいっそうゆかいに。

ある人のサイトで見つけた言葉だ。
どうやら井上ひさしの言葉らしい。
すばらしい。
みつを風の字体で書いて
額装しときたいくらいだ。
ジャンルを問わず、
クリエイティブはかくあるべき。
そういうことを全て言い尽くしている気がする。
彼の場合は、
それを実現してしまっているところもスゴイ。

一気に到達はとうてい不可能だ。
第一到達目標は、
自分の能力と照らし合わせると、
「むずかしいことをやさしく」
「やさしいことをおもしろく」
「ゆかいなことはいっそうゆかいに」
あたりかな。


2009/07/09(木)
深さと広さ

それは、深いのか?広いのか?
その性質を間違えると失敗する。

人気とは、ある意味「体積」として表せる。
たとえば、
「広がり」(それを喜ぶ人の数)
×「深さ」(熱中のエネルギー)みたいに。
「体積」がある量以上になれば、ヒットだ。
「体積」は「広がり」値と「深さ」値を区別しない。
どちらが高い値になっていても等価。
つまり、
少ないファンでも熱中度が高いのと
熱中度は低いけどファンの数が多いのとは
等価ということだ。

コンテンツによって、
「広がり」値が大きくてヒットするモノもあれば、
「深さ」値が大きくてヒットするモノもある。
もちろん、
両方の値が大きくてヒットするモノもある。

そのコンテンツはいったい
「広がり」と「深さ」どっちの値が大きいのか、
その見極めを失敗すると、痛い目に遭う。
たとれば、エヴァのテレビ放映
『エヴァンゲリオン』はあきらかに、
「深さ」が大きいコンテンツだ。
「広さ」はそんなに大きくない。
ゴールデンタイムは「広さ」勝負の時間帯だ。
だれも、どっぷりと
テレビの世界に浸かりたい時間帯ではない。
一家団欒、夕飯でも食べながら
わいわいがやがや、
低いテンションで見たい時間帯だ。
そんな時間帯に
「深さ」勝負のコンテンツを投げれば失敗する。
以前、よく深夜枠で人気が出た番組を
GTに出して惨敗するというケースがあった。
これも同じ原理だ。

ゲームも「広さ」勝負のモノと
「深さ」勝負のモノがある。
提供する「場」がどっちを求めているか、
それをちゃんと見極めて投入しないと
同じような失敗をするんだろうな。

ちなみに、うちのゲームはどっちなんだろ。
どっちもない!
とはかんがえたくない(笑)ので、
とりあえず、
「深さ」かなと言っていきたい(笑)


2009/07/02(木)
笑っているのが仕事

>それにしても、いつまで続く
自民、民主の減点合戦(笑)
早く選挙しないとお互い0点になっちゃうぞ!
(もー、なってるか!w)

笑っているのが仕事。
ある意味、自分たちの仕事は
そういう仕事だと言えるかもしれない。
たまたま、
のほほんと楽しい世界の
ゲームばかり作っている。
どちらかというと、
自分の本来の性格とは真反対の世界。

絵を描く人ならわかると思うけど、
怒ったり悲しんでたり悩んでたりするときに
笑っている顔は描けない。
もちろん、
ちゃんと形をとることは
どんな精神状態のときだってできるけど、
形は正しいはずなのに、
描いた顔がちゃんと笑ってくれない。
どこか元気がない。
絵を描く人なら
きっとみんな納得してくれるだろう。

そういうことって
絵に限らず、
文章書きでもデータ制作でも
ひょっとしたらプログラム作業でも
あるんじゃないかと思う。
のりが悪かったり、
風通しが悪かったり、
くどかったり、毒があったり。

そして、そういう「空気」は
かならず、遊び手にばれる。
作品全体に影をおとす。
遊び手はそういうところに敏感だ。
技術でごまかせるはずと思うのは、
作り手のおごりというものだ。

人間だから機嫌がいいときも悪いときもある。
だからしようがない。
その程度の当たり前の話では、
許されないのが、
この仕事の因果なところだ。
なにがあっても、仕事を始めるときには、
陽気でテンション高めの精神状態に
もっていかなくてはいけない。
そうじゃなきゃ、
作るモノがが笑ってくれない。
絵も文章もデータもプログラムも笑ってくれない。

たとえ、
燃料がしけっていても、燃料がなくても、
無理矢理でも火を付ける。
そのムリが
精神的なコンディションをさらに悪くする。
しかし、
さらにムリしてフルアクセルを踏む。
悪循環だ。
でも、こういう仕事をしている以上、
それは受け入れるしかない、
それをなんとかやってきたから、
なんとか今でも仕事をさせてもらえてる。
と思っている。

仕事上のミスなどは
あまり怒ったりしないが、
やっとこさ上げた
オレのテンションを下げるような
発言や行動をしたヤツには怒る。
オレの仕事の質を落とす、
つまり、
作品の質を落とすようなことして
どうするんだと怒る。




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