人間風車

2009/09/30(水)
点の力、線の力

どっかの学校の入試試験問題を
出題するクイズ番組は多い。
見ていて、少しも違和感を感じない。
つまり、これは、
入試問題とクイズと同質であるということだ。
同じ程度の難易度
(修得するのに必要な技量、努力)、
同じ程度の技術
(記憶とか計算とか)、
同じ程度の機能
(世間で役に立つ度)、
ということだ。

そして、それは、
入試で高得点を出す人もまたは、
クイズ王と同質の人ということだろう。
断然違うのは、
入試で高得点を出したときの報酬と
クイズで高得点を出したときの報酬だ。

自分の得意な分野について、
クイズと入試問題、
その内容や意義を比較してみると
簡単にそう理解できる。
クイズが役に立つと言うより、
入試問題が役に立たない。
イコール、
入試対策に費やした作業が
(一般にこれを「勉強」と呼ぶ)
世間に出るとまったく役に立たない。
問題自体が、世間で役に立たない事案
(アボガドロ数はいくつかとか)
であることも問題だけど、
それ以上の問題もある。

古今東西、クイズ王が
大発見をしたとか、
世間に役に立ったという話は聞いたことがない。
おそらく、同様に
入試王(入試試験で高得点をあげた人)が
世間に役に立ったということもないんじゃないかな。

それは、世の中では、
1つのことを記憶する、計算するだけの
「点」の知識、技術じゃ、
役に立たないからだ。
世の中が必要としているのは、
1つ1つの「点」(の総量)ではなく、
複数の「点」について、
それをリンクさせる力、
それを合体させる力、
それを化学反応させる力、
そういう「点」と「点」を
結びつける力、
つまり「線」の力だからだ。

あたしなんか、そー思うね。
クイズも入試もヘタな人間の
ひがみかもしれないけどw

入試は出題の構造的な問題から、
「線」の力について問いにくい。
自ずと、クイズ化してしまう。
また、
入試に限らず、学校の勉強自体、
この「線」の力を養うことに
力を入れていないのは残念なことだ。


2009/09/24(木)
人に伝えたくなる意味

世間の連休がおわった。
予定が立たなかったので、
どっこにも行かないで
チンタラ仕事してました。

と書いて、
仕事なのか?
仕事ってどういう意味だろう?と
ふと疑問に思ったりした。

「はてな」によれば、「仕事」とは、
・勤労のこと。
・憲法に定められている国民の義務の一つ。
ということになる。
さらに「勤労」とは
・心身を労して仕事にはげむこと。
・賃金をもらって一定の仕事に従事すること。

「仕事」は「勤労」のことであり、
「勤労」は「仕事のことなのか
といった揚げ足取りは止めといて、
賃金をもらって一定の作業をすることだとしたら、
連休中のあたしの作業は
「仕事」でも「勤労」でもないことになる。
頼まれてもいないアイデア出しってのは、
しいていえば、
練習、準備、先行投資
といったところか。
そういうこともつい「仕事」と
言ってしまう自分はなんなんだろうか。

それはそうと、
モノを創ることの喜びは、
モノを創った時点で完結しそうなものなのに、
それを誰かに伝えたくなるのは、
なぜなんだろう。
モノ創りに限らず、
何かを考えついたら、
何かを見つけたら、
何かに感激したら、
他の人に言いたくなる、見せたくなるのは
どういうわけなんだろう。
その驚きや喜びや感動が大きいほど
それに比例して
伝えたい気持ちも大きくなるのは
どういうわけなんだろう。

共感を得る喜びなんだろうか。
共感を得たい相手ってのは、
第三者まで含むんだろうか、
友達、家族だけでも十分なんだろうか。
それとも数なんだろうか。
だとしたら、
メジャー受けすればするほど幸せなんだろうか。


2009/09/16(水)
お盆休み+シルバーウィーク

今度の秋の連休のことを
シルバーウィークっていうんだ。
知らなかった。
ということで、
うちはちょっと作業が佳境だったこともあって、
お盆休みがとれなかったので、
オフィシャルには、
明日(17日)より23日まで、
お盆休み+シルバーウィークの
大型連休になります。
その間、
電話連絡が取れなくなったり、
メールのお返事が遅くなったり、
ここを更新しなかったり、
遊びほうけているtwitter(つぶやき)が
あったりするかもしれませんが、
一つ、よろしくお願いいたします。

そういうえば
うちの最後の作品『タシテン』の発売が
2007年10月10日。
あれからもう2年。
なんにもお見せできていない2年。
いままで、
こんなに間が空くことはなかったんですけどね。
一生懸命作ってるんですけどね。
なかなか、
見てもらえるところまで行かない。
なにがとも、なぜとも、
何一つ言えない、言い訳すらできない。
今も言えないし、将来もたぶん言えない。
そんな言い訳をしているわけです。

世間的には何も作っていない2年。
自分内定義でも、
何も「仕事」をしていない2年。
残り時間だけは、無情になくなっていく。
ひとえに、私の力不足が原因。
それ以上でもそれ以下でもない。
そう思うと重いなー、この状況。


2009/09/14(月)
規制と動画配信

>知り合いがニコニコ生放送にでる
ってことで、
ニコニコ生放送なるものを知る。
いや、存在をしっただけで、
中身のことはよく知らないんだけど。
全部、生放送なんだろうか。
トーク番組が中心なんだろうか。

松本人志が対談で
「最近、(自分たちが)つまらないと言われるけど
それは、最近、規制が増えたからだ」
「その分、さっ引いて考えてもらわないと辛い」
というようなことを言っていた。
おもしろくなくなってきたのは、
自分たちがつまらなくなったのではなく、
おもしろいことを規制されるようになったため
という訳だ。
テレビの規制って厳しくなってきている
という話は聞くが、
実際、なにが、どのくらい、
厳しくなってきているのかしらない。
しかし、
松本人志が言うなら、
一芸人のただの言い訳とは思えない。

メジャーなメディアになるとは、
いろんな考えの人が客になるということ。
なので、
コンテンツが最大公約数的な趣向になると同時に、
誰にも嫌われない、誰にも文句言われないように、
どんどんNGなことを増やしている
というのは想像に難くない。
おもしろさとは常にある程度、
ある種の毒を含むモノである。
毒の抜き方には注意が必要だ。

万人に受けるようにする、
万人に嫌われないようにする、
その対応が過剰になると、
万人に飽きられてしまう。
の法則。
テレビは今、
そういう危ない局面にあるのかもしれない。

今では、動画を楽しむのは、
映画やテレビだけの専売特許ではない。
インターネット上には、
動画配信がいっぱいある。
上のニコニコ生放送が生放送「番組」なら、
さらに一歩、
テレビの専売特許を浸食した
と言えるかもしれない。

インターネット+生放送
この組み合わせの危険性は、
容易に想像がつく。
一旦、言葉として出てしまったら最後である。
インパクトのあるメッセージは
瞬時に世界に広がってしまう。
そのハラハラ感をふくめて
きっと、今、「旬」なんだろう。

何も、無規制がいいというわけではないが、
過剰な規制は、
安全と引き替えに、客を失う。
これは間違いない。
テレビ業界しかり、ゲーム業界しかり。


2009/09/11(金)
ゲーム機だから

秋アップルのジョブスの発言。
ゲーム機として売り出すことにした
今回の新ipod touchの説明会は、
珍しい光景だった。
機能面の説明より、
今度こういうゲームがリリースされますとか、
PSPよりDSより、こんなにソフトの数が多いです。
と言ったvsゲーム機、ゲーム業界の
説明が目立っていた。

おお、ゲームも視野に入れてるんだなー
くらいに思っていたら上の発言である。
視野に入れてるどころか、
メインターゲットだったわけだ。
ゲーム業界、とりわけ、
フォーマットフォルダーの方々が、
この発言を
どう思っているのか興味のあるところだ。
コメントだしてほしいなー。
っていうか、
そういうこと聞きに行けよ>ゲームメディア

ipod touchをゲーム機としてみると
たくさんの点で、
他のゲーム機と違う。
・コントローラー系がない
 十字キーもボタンもなく、すべて画面タッチ
・アップルは純粋にハードを売るだけ
 アップル製のゲームがない!
・ゲームは全てネット通販
・すでにソフト数が異常に多い
 15000アイテムは売られているといわれている
・ソフトのジャンルが異常に豊富
 ゲームだけでなく、ツールから小説まで広範囲
・値段が異常に安い
 メインの価格帯が99セント(115円)!無料もとても多い
・ゲーム機以外の使い方が豊富
 もともと音楽再生マシンだったわけだし
・兄弟ハードがいっぱいある
などなど。

これはおもしろい。
それまで語られてきた、
既存の三社(N社、S社、M社)の「違い」なんて、
ないに等しいくらい、3社と違う。
いくらでも批判できそうではある。
たとえば、
メインの値段が99セントで、
果たしてソフト提供社は、
ビジネスとして成立するのかとか、
玉石混合の大量リリースは、
アタリショックを呼び起こさないのかとか。
しかし、
今インターネット上で成功しているビジネスも、
すべてそういう批判がされてきた。
グーグルやYOUTUBEだって、
出始めはこの仕組みじゃー、
ビジネスには絶対にならない
と経済評論家は断言していた。
しかし、そうした批判は、
従来の仕組みを前提として
ビジネスモデルとして?マークが付く
というだけの批判であって、
問題は、というか、期待は、
従来のビジネスモデル以外が生まれること
それ自体である。

なによりも、
15000アイテムが並んでいるショップは
とくに買い物をしなくても、
出かけるだけで楽しい。
見ているだけで楽しい。
UNICLOしかり、東急ハンズしかり、ドンキしかりだ。
ここで再び、I氏の
「祭りの場になれば、たこ焼きだって商売になる」
という言葉が頭に浮かんでくる。


2009/09/10(木)
評論

誰だって、どのゲームについて
好きに言っていいはずだ。
同様に、
誰だって、言われたことについて、
好きに言い返していいはずだ。
またそのやりとりをさらに、
第三者が好き勝って言っていいはずだ。
××社員が▲▲大批判!
ゲーム業界には、
権威あるレビューがある。
某雑誌のレビューである。
ホントかどうか知らないけど、
このレビューの点数が、
売り上げ(小売りの受注)に
大きな影響を与えるそうな。

しかし、
今では、レビューは、
ゲーム評論のプロの人、
プロのメディアだけの独占ではない。
だれもが自分のブログで評論家になれる。
どのネットショップでも、
たいがいは、ユーザーが、
商品についてのレビューを書けるようになっている。

そして、いつのまにやら、
何かを買うときには、
当たり前のように
このレビューを参考にするようになった。
細かくレビューを吟味しないまま、
★印の数をみて、スルーしたり、
逆におもわず、
1クリックしてしまったりすることすらある。
(おれだけ?)

往々にして、
プロというかお金をもらう人のレビューと
アマというかお金を払った人のレビューには
ズレがある。
他人同士のレビューなんだから
そりゃどうしたって、
「ズレ」はあるでしょう
という範囲以上の「ズレ」がある気がする。

発売元への遠慮の度合いも違うだろう。
発言に対する責任の重みも違う。
プレイ後の怒り、喜びの度合いも
お金をもらう人と払う人では違うだろう。
誰に向けて発言しているか、
誰を視野に入れて発言しているかも違うだろう。
もちろん、
評論という技術、
文章を書くという技術、
そういう技術的な差もある。

いつも評価される立場の人間からすると、
いろんな「バランス」の上に成り立った評は役に立たないし、
一時の感情、風評にまどわされた評は迷惑きわまりない。
っていうか、腹が立つ。

どちらが正しいかという問題ではなく、
どちらが自分にはフィットしているかの問題だろう。
自分にフィットした評論を選ぶこと、
つまり、
価値観がフィットした評論人を見つけること、
これが今の時代の大切な作業なわけだ。


2009/09/09(水)
決まらない、決められない

自民党がよーやく、
次期総理大臣選の候補者を決めた。
野党なので、
選んだところで総理大臣にはなれない。
言っちゃー悪いが、
誰の名前を書いても同じこと。
そんなどーでもいいことですら、
なかなか決まらない。
決まらないのではなく、決められない。
決める力というかシステムを
失ってしまっているのだ。
有権者がそっぽを向くのもわかる。
(本人たちがわかっていない感じが痛い)

どんな簡単なことでもなかなか決まらない。
長年の与党病とでも言うんだろうか。
大企業病みたいなもんなんだろうか。
長い間、
全体をまとめること(だけ)に
苦心しすぎてために、
決断するシステムを失ってしまったようだ。

間違った判断をしてしまうことと、
判断をいつまでも出せないこと、
どちらがいっそう悪いのだろうか。
せっかちな自分としては、
後者の方がヤバイと感じる。

慎重に物事を判断することは大事だろうけど、
どんな正しい判断も、
時機を逸してしまえば、
間違った判断に変わってしまう。
世の中、
やってみないと何が正しいか
わからないことも多い。
待っているうちに自然に結論が見えてくる
なんてことはない。


2009/09/07(月)
戸惑ってます

iPhoneに買い換えた。
予想通りというか予定通り、
戸惑ったりしております。

新しい機種にしたときは、
まー、
必ず操作性に戸惑うものだし、
キャリアが代わればなおさらだけど、
どうもそれだけじゃないらしい。

iPhoneが今までの携帯電話は
いろんな意味で違う。
携帯電話とiPhoneの文化の違い、
日本とアメリカの携帯電話の文化の違い、
ソフトバンクとアップルの文化の違い、
(意外とこれも大きい気がする)
この違いに自分が戸惑っている気がする。

携帯電話を使い始めて何年になるんだろう。
日本の携帯電話は、
キャリアごとに細かいルールは違うけど、
時代とともに、
一定の統一した文化を気づいてきた気がする。
いつの間にか、
携帯電話だから当たり前だよねー
と思い込んでる機能がいっぱいある。
そして、
それがなくなったiPhoneではじめて気がつく。
これが「ガラパゴス化」なのかーと実感する。
(これなら、ガラパゴスの方がよかったかも、
と思う点も多い)

「ガラパゴス化」現象の内でも、
外に開いていない、
という要素が一番重大である気がする。
携帯電話は、
各々のキャリアが独自に作った世界
(ドコモならimode)
の中で遊ぶことを前提としている。
一応、外部(インターネット)にも
つながっているにはいるけど、
やはり使い勝手のよさ、
コンテンツの充実度など、
圧倒的に独立世界のほうが進化している。

これが便利だったり、
気持ちよかったり、
楽しかったりする反面、
外の世界との同期という点で
世界のムーブメントから
大きく遅れをとってしまう。

iPhoneは完全に外部に開かれている。
というか、
外部とリンクすることが前提となっている。
ある意味、モバイルPCと差がない。
この仕様に対する戸惑いが自分にある。
(そして、ソフトバンクにもある)

ローカルで進化を進めるか、
グローバルな世界に転換するか、
ユーザーのいままでの資産
(操作性やルールに対する知識、技術の蓄積のこと)
を考えると、
キャリアとしても悩みどころだろうなー。


2009/09/03(木)
不便の快感

そうそう、最近ずっとtwitter
なんですよ。
どーも、
MIXIの商売商売したところが
(広告とかギラギラしてうっとうしい)
ちょっとなーと思ってたので、鞍替えぎみ。

twitterは不便です。(笑)
140文字しか書けません。
写真も貼れるにゃー貼れるけど、
アルバム化とかできないし
MIXIより断然不便です。
もちろん、
サイト内にゲームもニュースもありません。
総合的なポータルサイトになる気配0です。

んで、その不便が、
今のところ気持ちがいいわけです。
文字制限があるから、
大したことが書けない。
イコール気楽に書ける。
基本テキストだけだから、
何かにつけて軽い。
だから頻繁に見に行ったり書き込んでも、
「重さ」のストレスがない。
(もっとも、サーバー自体が貧弱なのか、
システムに由来しない「重さ」は多発)

制限されている気持ちよさ、
ちょっと足りない気持ちよさ、
そういう「不便」が
気持ちを軽くしてくれるわけで、
なにが幸いするかわからないもんだ。

ユーザーへのサービスとは、
多種多様で、十分な量の機能を
わかりやすく、親切に提供すること。
と、
太古の昔からある絶対真理のように
語られることが多いが、
こういう事例を見ると
いかに怪しいかわかる。

どっかの業種とか
その辺、ちゃんと考えた方がよさそうだ。

ちなみに、あたしのIDは 1go。
フォローに制限をかけてないので、
適当に検索してみてください。
ただし、
ホント!ただの「つぶやき」です。


2009/09/01(火)
値段の格差

どっかの調査で、
新聞をネット化したとき
同じ情報で同じ値段を出せるか
という質問に対して、
96%がノーっていうか、
有料ノーという結果だったという。

じゃー、お前らは、
新聞紙に金払ってるのかと
つっこみたくもなるけど、
自分を振り返ってみても、
やっぱ、有料のネット新聞って
ちょっと抵抗がある。

ゲームでも、
ROMのゲームなら7800円出せるのに、
ダウンロードのゲームだと
300円でも躊躇してしまう。

この感覚、
自分でも不思議でならない。
インターネットが「タダ」で始まったという
歴史がそうさせるんだろうか。
でも、
楽天など通販だと、
通常の店より安くあれと
思わないところをみると、
情報という空気みたいなモノに
お金を出すのに抵抗があるというか、
情報の相場が低いというか、
そういうことが原因なんだろうか。

こうした値段の格差は
一時のものなのだろうか。
それとも、
物体と情報の値段の格差は、
今後ずっとこうなんだろうか。

ゲームに限って言えば、
今くらいの値段の格差があるなら、
モノ化(ROM化)して売った方が
得だという考え方も出来る。
モノを作って運ぶ原価より、
モノだからという付加価値が高いからだ。

このあたりの改革、
売り手と書いての心理の改革、
ダウンロード販売は、
そこらあたりからはじめていかないと
ダメだってことだろう。




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