人間風車

2009/11/30(月)
酢鶏さん

それにしても驚いた。
マイミクのマイミクの酢鶏さんが、
人間じゃなかった。
いろんなマイミクさんのマイミクで、
相変わらず、世間は狭いなー
というくらいに思っていたら、
人工無能だった。
つまり、生身の人間の発言ではなく、
自動生成された人工のメッセージ群だった。

一応、世間的には、
こうした人工知能的分野には
明るいということになっているので(笑)
存在を全く知らなかったって、
お恥ずかしい限りなんだけど、
イライザ的な仕組みっていうのは、
歴史的な価値はあるけど、
現在じゃー、
そう、有効じゃないんじゃないかな、
人がしゃべってるか、
自動生成のメッセージかなんて、
ブログやチャットが
ふつうになった時代では、
簡単に見破られてしまうに違いないから。
なんて思っていたので、
さほど、注意を向けていなかったのでした。

それが、まさかのチューリングテスト合格!
つまり、あたくし、
それが人か人工知能か、
区別できなかったわけでして、
甘く見ててすみませんでした!
なのでした。

なんで区別できなかったのか。
ここんとこ、それを考えてたんですが、
情報の不足や不正確さを
人間(あたし)が補足してしまっていたため
じゃないかと思ってます。
自分には通じないコメントだけど、
2人の間では、自分に見えないところで、
何かしらやりとりがあって、
話が通じてるんじゃないか。
例えば、
「この間はどうも」なんていう
酢鶏さんのコメントは、
よく考えてみれば、
何も言っていないというか、
何に対しても使える、
汎用的メッセージなんですが、
酢鶏さんを人間と思い込んでいれば、
酢鶏さんと酢鶏さんの相手で、
最近、飯でも食べたのかなと
勝手にイメージを補足して
不自然さを消してしまっているわけです。

これは目から鱗でした。
あたかも人のように、と設計するには、
より正確に、より具体的に、
よりたくさんの情報を、より複雑に、
と考えがちだけど、
むしろ、
情報を極限まで減らして、
見る側にイメージの補正をさせてしまうのが
正解だという逆説的な結論を得たわけです。

実際、
この「酢鶏」さん、twitterにもいますが、
こちらのほうがさらに人間くさいのです。
twitterのほうがmixiより、
さらにコメント量が少ないのに!

俄然、
こうしたbot系への興味がわいてきてるなう。
そんなところです。


残念ながら、この驚きは、
最初から
酢鶏さんが人間じゃないとわかってて、
酢鶏さんのコメント読むのでは
味わえないのですね。


2009/11/26(木)
一点強化主義

事業仕分けと言うより事業削りだな。
テレビを見ててそう思った。

予算折衝がガラス張りになったのは、
とてもいいことだと思う。
自分たちの払ったお金(税金)が
どう使われるか、
誰だって興味ある。
そういう世の中の「ニーズ」に
民主党はうまく反応している。
っていう点は、評価されるべきだろう。
(っていうか、鈍感すぎた自民党)

事業仕分けは、
テレビでもさんざん取り上げられるので、
担当者の力の入り方も違う。
がんばってらっしゃる。
ただ、どうしても
予算を付けない!
というパフォーマンスのほうが
言われたとおり予算を通す
より、
ちゃんと仕事をしているように見える。
力強く見える。
有能に見える。
そう、見えすぎてしまう。
そう、意識しすぎてしまうため、
必要な予算まで削ってしまう、
そういう欠点もちらほら見えてる気がする。

どういうわけか、
イエスというよりノーというほうが
ちゃんと考えてる、
頭がいい、
意志が強い、
というように見えてしまうようだ。
(おれなんか、ちっともそうは思わないけど)
事業仕分けじゃなくても、
どの会議でも、
必ずノーしか言わない人、
欠点ばかりを指摘する人、
そういう人がいる。
たいがい、そういう人は、
発言の後、すごく誇らしげにしている。
きっと、
上のような立派な人間であるとアピールできたと
満足しているんだろう。

これは大間違いであって、
ノーとしか言えない人、
ネガティブなことしか言えない人というのは、
会議にとって
百害あって一利なしだ。
これは断言できる。
アイデアが育っていかない。
場も暗くなり、萎縮する。
自分的には
出されたアイデアにノーの場合は、
必ず
自分はこういうアイデアがいいと思う
という提案を
セットで言うように心がけている。

それはそうと事業仕分け。
これから先、
日本は何を「売り」にしていくか、
そこをちゃんと見定めてから
仕分けしないとダメじゃないかな。
もうお金がないわけなんだから、
全ての分野に平等にお金を回すことはムリだ。
となれば、
一点豪華主義でいくしかない。
豪華主義というと浪費っぽく聞こえるので、
一点強化主義のほうがいいか。

すべて質素倹約では、未来がない。
優秀な企業は、どんなに苦しくても
先行投資、研究開発を怠らないという。
未来(活路)はそこにしかないからだ。
守り一辺倒では、
今をしのげても、未来がない。
真綿で首を絞められるように、
ゆっくり衰弱していく。
だから、事業仕分けも、
削るところは削る、
でも、
これが未来の日本の「売り」になるはず
と思ったところには、
逆に予算を増額する
そういうメリハリをつけてほしいものだ。


2009/11/25(水)
宝くじの季節

毎年、
年末ジャンボ宝くじの季節になると、
今年こそは買ってみようかなと思う。
が、
たぶん、今年も買わない気がする。

そーいやー、
むかし、
よくプレゼントとして宝くじをあげてた。
が、総じて、
あまり喜ばれてなかった気がする(笑)

宝くじに当たりたい。
でも、
宝くじは当たらない。
買わないともっと当たらない。

宝くじの当選番号は、
各桁独立にランダムに選ばれるので、
たとえば、
11111と14293
の当たる確率はどちらも同じとなる。
が、
11111のほうが
断然当たらなそうに見えるから不思議だ。
(もっとも、縁起は良さそうだけど)

宝くじを買う気持ちとゲームを売る気持ちは
不思議に似た構造となる。

売れて欲しい。
でも、
そうそう売れるもんじゃない。
売って(くれ)ないともっと売れない。


2009/11/24(火)
日高敏隆さん

日高敏隆さんが亡くなられた。
もともとそっち(動物行動学)系に
興味があったこともあって、
ソロモンの指輪』をスタートに
とてもお世話になった。

動物行動学の先生なんだけど、
ともかく文章が旨い。
自分の本も訳の本も、どれも文章がイイ。
文章がちゃんとしている。
(意外とサイエンス系ダメなんですよね)
わかりやすい言葉と説明。
(意外とサイエンス系ダメなんですよね)
適切なボリューム。
(意外とサイエンス系ダメなんですよね)
興味深い「ネタ」
(これはサイエンス系もOK)

彼が自分で選んでいたかは知らないけど、
日高敏隆著とともに、
彼が訳した本もまた、どれも面白い。
クレジットに日高敏隆とあれば、
買ってまず間違いはない。
(実際に、人にはそう勧めている)

こどもたちの理数離れが
激しいという話をよく聞くけど、
それは科学や数学がつまらなかったり、
難しかったりするのではなく、
学校教育がそう見せてしまってるだけの話だ。
動物の相手をするのが好きなら、
星をながめるのが好きなら、
森を散歩するのが好きなら、
戦車の破壊力に興味があるなら、
「時間」に興味があるなら、
それだけで科学が好きな人だといえる。
その興味の萌芽を
学校教育がつみとってしまっているだけだ。
でも、
学校を卒業してからでも
芽はまた出るから心配無用!
適切な肥料(本)とさえめぐりあえば、
あっという間に芽が出るし、
すくすく育つ。

日高さんの本は、
最高に優れた肥料だった。
もう新しい肥料をもらえないと思うと寂しい。
恩返しは、
日高さんへというよりは、
日高さんのように、
(日高さんには及びようもないんだけど)
少しでも役に立つ肥料を作ることかなー。
と考えたりもした。
ちょうど、いままでは、
「得意な仕事」より
「好きな仕事」を選んできたけど、
「得意な仕事」がだれかの肥料になるなら、
それはそれで、自分もハッピーだな。
というように
思えるようになってきたところなので。


2009/11/19(木)
ダウンロードゲームの売り方

ネット販売の「相場」の問題。
例えば、「週刊トロ・ステーション」は

有料サービスは、30日800円。
6ヶ月で有料会員でいると4800円。
だいたい、
通常のパッケージ(のゲーム)と同じ値段となる。
これをユーザーが、
高いと感じるのか、ふつうと感じるのか、
注目しているところ。

有料サービスは、
大きく分けると、
1回で買い切りと
毎月課金の2通りがある。
どちらがお得か、手を出しやすいかは、
ゲーム、ゲームによって違うだろうし、
値段によっても違うだろう。
一括で買うか、ローンで買うか
というイメージとはやや違う。
1回買い切りはふつうの商品。
毎月課金は、
富山の薬売り方式といったところか。

1回買い切りは、
買ったゲームがおもしろいかどうか、
つまり、損するかどうか、
ばくちになる。
(今のパッケージ販売で、
常に感じている違和感だ)
一方、毎月課金は、
つまらなかったら、途中でもやめられるので、
買う際のリスクを抑えられるが、
長くプレイし続けると、
結局の所、
1回買い切りより、多くを支払うことになる。
なやましい。

アイテム課金などは、
その中間のうまいアイデアだが、
アイテムが、
ゲームデザイン自体に
強い、強すぎる影響を与えるので、
どんなゲームでもうまくいくとは限らない。
AppleStoreのゲームたちのように
うんと安くして買い切りという手もある。
が、これは、
作り手の体力を相当奪う。
ユーザーからお金をいただくのではなく、
スポンサーからお金をいただくという方法もある。
MIXIアプリなんかはこの方法だ。
これはこれで、
みんな幸せな方法だが、
今日日のような不況下では、
なかなかスポンサーがつかない
という問題がある。
そのほかにも、
一定期間無料、それ以降有料
機能限定でゲーム無料、フル機能は有料
各々、一括支払いまたは月額課金。
といった
バリエーションもある。

ゲームのダウンロード販売では、
ゲームの売り方、つまり、
お金のいただき方も多様になる。
さてさて、
どの方法が一番フィットするんだろう。
ダウンロード販売には、
どんな内容が適しているのか、
どのくらいのボリュームが適しているのか、
どのくらの値段が適しているのか、
とともに、
売り方もまた研究課題の一つだ。


2009/11/17(火)
ざらつき感

殺人死体遺棄容疑の市橋容疑者のファンコミュがある

こういうことを始めるバカはいる。
どこにでもいる。
犯罪に限らず、宗教、人種、人権、、、
どんなネタででもいる。
それは仕方がない。
しかし、のべ3000人以上が
このコミュに参加しているという
mixiの現状はやっぱり引くなー。
分母(加入者の総数)が大きいサイト故の
数字ではあるんだけど。

このくらいの人数になってくると、
群知能というか、集団心理とか、
そうした機能が発動し出す。
各々のメンバーの意志、意図とは違う
集団という「個人」の固有の意志や意図。
たいがいにして、
集団という第三の個人の心理は、
過激な方向に遷移する。
外からの圧力(常識や善意)によって、
さらにいびつな方向に移動する。
そういう負の力を
蓄えていかないといいんだけど。

良識あるみんなが、
彼らをちゃんとしかとしてられれば
いい問題なんだろうけど、
自分もそれができない!(笑)
なんだろ、このざらつき感は。

ネットの書き込み固有のざらつき感なのかな。
そういや、
心ないコメントやレビューを目にしたときも、
同じ「香り」を感じる。
人生の後半に突然出現した電子通信環境。
そういう新環境への
中年オヤジ(おれ)の不全反応が
こうした拒否感の源なのかな。


2009/11/13(金)
値段の相場

どの世界にも「値段の相場」というものがある。
ゲーム、昼ご飯、家、宿泊費、賭け、服、大根、、、
なんでも値段の相場がある。
じぶんたちは、
その相場に対して、
目の前のアイテムが高い、安い
という判断をする。
相場に対する高い、安いの感覚は
アイテムの質とか量とかより、
自分のアイテムに対するはまり度に依存するから、
自分の興味があるアイテムと、
そうでないアイテムとの相場では、
値段バランスがくるう。
たとえば、
ファッションに凝っている人は、
5万円の靴なんてのは常識の範囲内。
男性用だったらむしろ安いとさえ言える。
と考えるが、
ファッションなんて最低限の関心しかない
という人にとっては、
5万円の靴なんてありえないと感じる。

なので、相場は、
他のアイテムとの相対評価ではなく、
そのアイテム周りだけ、
そのアイテムを愛する人、必要とする人だけの
あいだで成り立っている
「幻想」とも言える。

原価計算ではなく、幻想であるから、
相場は人工的に作れる。
しかし、
価格が作り手が一方的に設定できるのに対して、
相場は、
それを使う人の総意、
つまり強い商業的淘汰圧によって、
調整されていく。

新しい分野では、
ユーザー間で共通した「幻想」を
持つに至れないので、
相場もできない。
その典型の一つが、
ダウンロードゲームの値段の相場だろう。
パッケージなら3800円でも安い!と感じるが、
ダウンロード販売のゲームだと
800円でも高い!と感じてしまう。
タダというの値段も存在しているので、
さらに相場ができにくい。

相場が生じるには、
ある程度ののべ経験数が必要
(ゲームだったら買われた本数の総計)が
必要だろうから、
まだまだ相場が出来るには、
時間がかかりそうだ。
それまでは、
本体制作だけでなく、値段設定にも、
作り手のああでもない、
こうでもないという試行錯誤がつづく。
今は、まさにそんなタイミングなんだと思う。


2009/11/11(水)
ブラックホール化する市場

「より高い利幅を見込めるタイトルに
より一層注力していく」
というコンセプトのもと、
ゲーム業界で、
そこら中で大型レイオフが起こってる。

ハイ・クオリティー系のゲームでは、
20、30億円では失敗し、
50、60億で成功する。
中途半端な制作費
=中途半端なクオリティーでは、
勝負にならない(ユーザーが満足しないので)、
やるなら巨額開発費、やらないならやらない。
ということになっているらしい。
(おれにすれば、20億が中途半端とは
全く想像できないんだけど)

そして、
最大の開発費=最小のリスク
じゃないといけないので、
必然的に、
最小のリスク
=タイトルを絞り込む
=売れてる作品のシリーズ物にする
=レイオフがおきる
となっていくわけだ。

こういう状況が
チキンレースに見えてしまうのは、
おれだけだろうか。
現状の市場の「濃度」を高めるだけで、
結局、
市場をブラックホール化してく
だけじゃないだろうか。
っていうか、
クオリティーって、
画像の質のことなの?
ボリュームのことなの?
と思ってしまうが、
そんなことを言っている自分も、
たしかに、
FPSなんかやってると、
高画質、高技術のほうが
臨場感があってよろしい。
(テレビだって、目が慣れていってしまうと
アナログよりデジタル、
デジタルでもハイビジョンのほうがいい
と思ってしまう)
なんて思ってしまってるわけだから、
むつかしいなー。

ともかく、うちは、
完全蚊帳の外であることだけは間違いない。
いやむしろ、
積極的に蚊帳の外でありたいと思う。


2009/11/10(火)
マーマレードの香り

昨日までず~~~っと、
失われた時を求めて
で記憶を呼び起こしたのは、
マーマレードの香りだと思っていた。
ほんとは、
マドレーヌだったんだ!

この小説を読んだとき(※途中で挫折)、
マーマレードってどんなんかわからずに、
(岐阜の田舎じゃ、
そんなハイカラなモノ売っていなかった)
ジャムと言えば、
ソントンの苺ジャムしか知らなかったので、
東京に出てきてはじめて知った次第。
それ以来、
ジャムの中でも、
マーマレードはちょっと別格扱い。
ちょっと文学の香りがする、
ハイソな位置づけにしていた。

臭覚というのは五感の中でも古い感覚器
つまり、
進化の早くから獲得した感覚なので、
脳の深い(=古い)所に直結している分、
そこから想起されることもまた、
他の感覚器からとは比較にならないくらい深い。
ニオイで有害無害を判断したり、
ニオイで気持ちが変わったり、
ニオイで異性のDNAの適応度を判断したり、
ニオイで古い記憶を呼び起こしたり、
ニオイで昏睡状態から醒めることもある。

とまー、
そういう科学的事実と
この小説のトーンが相まって、
自分の中でマーマレードは
ジャムというか食べ物の中でも、
別格扱いしてきたんだけど、
それがすべて誤解であったことが
昨日わかったわけです。
マドレーヌの香りだったのか、、、

マーマレードは、
降格しないといけないのか。
ただのフルーツ、
ただのジャムと同格に修正しないといけない。
イメージの修正、
これまたニオイがらみだと難しかったりする。


2009/11/09(月)
球場の広さ

今年の日本シリーズは、
どれもいい試合の連続だった。
注意点としてあがっていたのは、
東京ドームのホームランの出やすさだ。
札幌ドームに比べて
球場が狭いのでホームランがでやすい。
となると、
1発で試合がひっくり返る。
ホームラン打者が多い巨人が有利。
などなど。
実際、
セリーグの球場は一般的に狭くて、
ホームランが出安く、
結果としてピッチャーが育たない。
というような弊害があるらしい。

マウンドからホームまでの距離は18.44m、
塁と塁の間は27.43mと
厳密に決められている。
また、
ボールバットの材質(反発性)も、
ある程度の規定がある。
なのに、
球場の広さ、つまり、
スタンドまでの距離は
決まっていない。
また、
スタンドの壁の高さも決まっていない。
ファールグラウンドの広さも決まっていない。
マウンドの高さも決まっていない。
むかしっから、
このことが不思議でならない。
陸上グラウンドで、
距離は厳密だけど、
勾配は任意。
なんてグラウンドは聞いたことがない。

全ての球団が全ての球場を
同じ回数だけ使うなら、
不公平はないと言えるが、
年間試合の半分近くをホーム球場で行うから、
球場の大きさでずいぶんと記録が変わる。
東京ドームは狭い上に、
ドームを膨らませるため、
気圧を下げているので、
ホームランがでやすい。
巨人の選手のホームラン(の記録)が出やすい。
意図的な設計なのかどうかは知らないけど、
旧ヤンキースタジアムは、
ベーブルース(左打者)の
ホームランが出やすいように
ライトの距離が短かく設計した
というのは有名な話だ。

もっとも、
球場を狭くすることと
チームの勝率があがることは別問題だ。
バッターには天国でも、
ピッチャーには地獄だからだ。
点を取ることが簡単になるとともに、
点を取られることも簡単になる。
どう選手の戦力を構成していくかは、
かえってむつかしいかもしれない。
と考えると、
戦略性がでてきて、
かえっておもしろいのかも、
という話にもなってくる。


2009/11/04(水)
地産地消ゲー

テレビで紹介してた「美少女図鑑
というのはおもしろいなー。
各地方の美人図鑑。
モデルが地元。
ロケーションも地元。
撮影~配布スタッフも地元。
配布先も地元(限定)。
完全地産地消。

グローバル化、ワールドワイド化
ボーダレス化と
脊髄反射的にわめいてる世間に
逆行しりしてるあたり、
とてもシンパシー&興味がある。
しかも、
好評を得ているアタリがすばらしい。

大量生産、大量消費型社会は終わった。
と言われて久しいが、
企画開発の場では、
たくさん売れる、みんなに売れる
という価値観が
依然として大きな圧力となっている。
そして、
20世紀の事情そのままに、
大作化、シリーズ化、類似化が進み、
おなじものばっかりが棚に並び、
商品の彩りが失われていく。

ゲームでも「美少女図鑑」と
同じようなことが出来ないかな。
登場する人物も場所も地元。
地元でしか買えない。
できれば、作り手も地元。
そんなゲーム。

以前、直島に行ったとき、
この島を使った
アドベンチャーゲームとかあったら、
おもしろいなーと思った。
直島でしか手に入らないゲーム。
ご当地キティーちゃんみたいなゲーム。
そんなんができたらおもしろいかも。

ダウンロード販売なら、
少なくとも流通、販売の負荷はさげられる。
買ってきたゲームを
あげられるようなシステム
(2個セットとかになってるとか)
があれば、
「おみやげ」にもなるし、
観光とからめて、
ある神社の裏でしか買えない
ゲーム(パーツ)があるとかもいいかも。

誰でも簡単に好きなだけ手に入る。
という飽食感よりは、
なかなか手に入らないという
適度な飢餓感が
楽しいんじゃないかと思ったりする。




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