人間風車

2010/03/31(水)
500円

全体の値段があがっている感じがした。
以前は、有料の場合、
115円が主流だった気がしたけど、
230円、350円って値段が
ずいぶん増えてきた気がする。
そんな気がした。
この全体の価格アップが
購買にどのくらいの影響を与えてるのか
知りたいところ。

しかしまー、
この値上げ?底上げ?自然増?は、
健全なゲーム提供の場としては、
よい傾向だと思う。
115円という値段は
いくらコンパクトに作ろうと、
よっぽどラフに作るか、
ありモノを流用するかしないと
原価割れする価格だ。
230円、350円でも厳しいんじゃないかな。
この感じで行くと、
作る側、買う側の利害が一致する価格は、
500円前後ってところかなー
という線が見えてくる。

開店セールス(無料、115円)で
十分な客を集めたappleだけど、
コンテンツの質が高まっていかないと
客が離れていくのは必至。
ここらのタイミングで
値段があげつつ、質が高くしつつ作戦は
とてもいいんじゃないかと思う。

この作戦がappleが描いた絵なのか、
各々のソフトメーカーの競争原理から
自然発生的に生まれたものなのか、
つまり、集合知みたいなものなのか、
そのあたりも興味深い。

最初から質の高いモノを作って、
自然に客が増えるのを待つか、
ともかくわっと人を集めてから、
だんだんと質を高めていくか、
どちらの戦略が正しいのかわからない。
というか正解なんてないんだろう。
売り手、作り手の体質、性格、
それによってどちらが合うか
って話なんだろうな、きっと。

2010/03/26(金)
そっちに行っちゃうのかなぁー、おれ

「iPadって売れるかねー?」
まわりではよくそういう話が出る。
商売として成功するかどうかは、
ちっともわからないけど、
少なくとも、おれは買う。
ほしい。すごく惹かれる。
(もっともiPod、iPhoneのときも
同じように騒いでたのんですけど)
とくにゲームは、
iPadではじめて本格化、
コンシューマゲーム機のライバルと
なるんじゃないだろうかとか思ってる。

指でタッチする装置としては、
iPhoneの画面は狭すぎたのが、
まずそれが解消される。
さらに(こっちのほうが重要)
iPhoneが1人だけで楽しむ装置だったのに、
iPadならみんなで画面をのぞき込める。
複数人で対戦ができる。
対コンピュータだけじゃなく、
対友達で遊べる。
まわりからもよく見えるので、
みんなでワイワイ観戦できる。
これは、
今の携帯ゲーム機でもできない。

電子ゲームに限らず、
スポーツでも旅行でも飲みでも、
遊びの原点は、
みんなでワイワイ楽しむことだろうから、
このアドバンテージは大きい。
また、これによって、
ボードゲームの「資産」が
はじめて電子ゲームに活かされそうだという点も、
個人的には期待が大きい。

3G対応だから、
その場でコンテンツをゲットできるのも大きい。
そんなのは、
Wifi機能がある機種なら
どれでも同じと言われるかもしれないが、
日本のプアーなWifiの環境を考えると、
携帯電話のインフラを使えるのと使えないのは、
雲泥の差があると思う。
ふらっと買える機能は
とくに書籍、その中でも雑誌、新聞なんかに
有効だと思うんだけど、
日本は独自の電子書籍の組織を作って
「鎖国」するみたいなので、残念。

となると、
次はカジュアルなゲームかな。
どっしりとした、重厚で上質なゲーム市場は、
しばらくは
コンシューマゲーム機の独占場だろう。
しかし、いつもいつも、
そんな重厚な(=時間の取られる)ゲームを
やる時間なんて、
ふつうの大人にゃありゃしない。
さくっと遊べて、さくっと終われる
カジュアルなゲームこそ必要。
ゲームの内容の話だけじゃなく、
さくっと買える仕組み、
さくっと1クリックできるお値段、
そうしたシステムも同期していないといけない。
そのあたりで、
iPadはアドバンテージがありそうだ。

作り手としての魅力はさらに大きい。
iPhoneアプリの文化はまだ日が浅い。
iPhoneアプリは
こうあらねばならない的な話が出来るほど、
価値体系が固定していない。
まだ、経験が貯まっていなくて、
みんな試行錯誤している状態。
こういう時期のテンションというか熱気が
どーも好きでならない。
テレビの深夜番組が始まったとき、
PlayStationが出たときと、
同じような空気を感じる。
そういうニオイを探し続けて、
そっちにフラフラ行ってしまう、
自分の人生を総括すれば、
そんな人生なのだけど、
残念ながら、
今のコンシューマゲーム世界には、
そういうニオイが感じられない。
(おれには、って話ですけど)

お金の問題は頭が痛いが、
そっちに行っちゃうのかなー、おれ。。。


2010/03/24(水)
追記というか反芻というか

一昨日の『激震マスメディア』では、
旧メディア軍の大敗といった感があった。
要約すると、
・良質なモノさえ作っていれば客はもどってくる
・良質のモノを作るには体力、資質がいる
・伝えるための仕組みの問題ではなく、内容の問題
という主張は、
モノ=本、プロレス、野球、ゲーム、、、
体力=大手企業
とおきかえれば、
おもしろいほど、
どの世界でも同じ主張をしていることに気がつく。

旧メディアのこうした主張の裏には、
新規の仕組み(諸々のインターネット技術)では、
まだ旨みがない。
今の仕組みから得られているような収益が期待できない。
じり貧挽回のために、
今より収益の上がらない仕組みに
飛び込むことはあり得ない。
だから興味もないし、ライバル視もしていない。
という本音も見え隠れする。
言うまでもなく、近視的判断だ。

インターネットを介しての情報の授受は、
だれもが同じチャンスを持つ。
結果、玉石混合の大量の発言が発生する。
多種多様で膨大な量の発言は、
総体として、
ゆらゆらと動き続け、
1つにまとまることもなく、
かといって拡散するわけでもない
魚群のような振る舞いを見せる。
カオス的だが、
短絡的な極論がでれば、すぐにその反論が出、
議論が白熱しすぎれば、
沈静化の動きが出るように、
絶えず、動的平衡が生まれる。
集合知といってもいいし、
これこそが社会性だと言ってもいい。
逆にこうした集団の知性が働くためには、
一定量の情報が必要だ。
従来のマスコミが
少数精鋭で良質な情報のみを提供しよう
とする試みとは真逆の仕組みだ。

従来の職人気質的価値観に寄れば、
早く、たくさんは
粗製濫造→質的低下→客離れ
ということになる。
ゲーム世界で言えば、
アタリショック」という警告となる。
そうした考えには、
集団とは、
各々の個の合算や平均ではなく、
それとは全く別の1つの人格を見せる
という発想がない。


2010/03/23(火)
原則と対策は違うのだ~

昨日のNHKの番組『激震マスメディア』は、
周りでは大変注目浴びてて、
ツイッターで同時つぶやきが
そこら中で展開してた。
(といっても、世間的には視聴率3%程度と
SMAPの1/4にもみたない関心事だったもよう)

この番組の議題は、
旧マスメディアが今の時代、
どう変わっていかないといけないかということ。
それを旧マスメディア代表と
新メディア代表(IT評論家とかIT産業の人とか)が
討論するという構成だった。

旧マスメディア陣営は、
自分たちの現在の実情(業績不振)は
認めているものの、
良質な情報をちゃんと提供できていれば、
お客は戻ってくるはずと主張する。
また、ネット情報(企業)のような
弱小な体力では、
質の高い、公共性のあるニュースは、
作るのも伝えるのもムリであり、
ネット報道が、
不正確な情報を流布させてしまう危険性を指摘する。

彼らの言っていることは、
正論だなーと感じた。
しかし、それは、
マスコミの本来あるべき姿、原理原則を
主張したに過ぎない。
つまり、前提にすぎない。
問題は、
流通、販売を含む「システム」の問題のはずだ。
速度と手段と値段の問題でもあり、
取り扱うテーマの問題でもある。
新聞にしろ、テレビにしろ、
そこがユーザーのニーズと乖離しつつあるって
とこが問題なのだと思う。
この危機に対して、
「良質の情報さえ提供できれば、
向こうから来てくれる(もどって来てくれる)」
はずだから、
原理原則に戻るべき。
とするだけの旧メディア代表の発言は、
的が外れている気がした。

番組を観ていて、
同じようなことを
つい最近聞いたことがあるような気がしてきた。
プロレスも、野球も、ゲームも、
「あるべき姿にもどるべき」と
ずっと主張している。
それは正論だと思うけど、
それだけではダメなんじゃないかなと思う。
原点を見直すことと、
過去の成功例に巻き戻すこととは違うはずだ。

PS:
よくネットで得られる情報は基本タダなので、
そこがアドバンテージになっていると主張されるが、
それは違うと思う。
すでに我々はネット上で
「探す」「選ぶ」という時間的対価を
大量に支払っている。


2010/03/18(木)
反対!

「青少年の健全な育成」のために、
「青少年の健全な人格形成に対して有害」な
「不健全図書」を指定して排除する。
という動きは珍しくないが、
多くの人が指摘しているように、
今回の
東京都の青少年育成条例改正案は、
お粗末というか、怖いというか、ご乱心というか、
なんで今?というか、
なんでここまで「非実存的」ってことにこだわるのか、
不思議な提案である。
(レイティングの表示義務くらいで
すむ問題だと思うのですが、、、)

この改正案に対しては、
すでに多くの著名人(主にマンガ家、弁護士)が
反対の意思表明をしているので、
なし崩し的に消えていくんじゃないかと
楽観している。

こうした「規制」は、
別に漫画やアニメだけに影響があるわけではなく、
ゲームも対岸の火事として
見過ごすわけにはいかないはずの問題だ。
しかし、残念なことに、
著名なゲーム作家やゲーム会社が
表だって反対運動をしていないように思われる。
(たんに、情報不足なら、すんません)
なので、
一応、私は「バカじゃないの」と
反対の意思を表明しておきたいと思います。
そして、万が一、
十分な審議なく、
この改正案が進められるようなことがあれば、
反対行動もせんといかんかなと思ってます。

子供たちよ!
世の中は漫画やアニメに限らず、
多くの誘惑や間違いや暴力に満ちている。
それを正しく受け止める力、
それに耐える力を
小さいうちから身につけてください。
無菌培養の「弱い」子供にならないでください。
大人は、情報を排除するのではなく、
子供たちが、そういう情報に
ちゃんと向かい合えるような
手助けをしてあげましょう。


2010/03/11(木)
中抜き

「中抜き」とは中間業者をパスして、
生産者が直接消費者にモノなり情報なりを
売ることを言うらしい。
物流の世界では
もうすでに当たり前のシステムだけど、
そういうシステムが、
ようやく、
書籍や映像、音楽、その他
各種イベントなんかでも使えるようになってきた。

今では、どの分野も
作るまでは簡単だ。
音楽にしても映像にしても、
ツールが発達しているので、
昔ほど技術を必要としない。
しかし、
作ったことを告知する、
作ったモノを売る、
ってあたりのシステムは
素人が手を出すには難しかった。
それが、
ここんところの
ネット系コンテンツ(twitterやUstとかね)の
発達や普及で、
かなり容易になってきた。
素人が手を出しにくいという特権だけを
自分たちのアドバンテージとしてきた人たち
(流通や販売などの人たち)は、
これからは大変そうだ。

もっともネット上で
お金をいただくことのむつかしさは変わりがない。
もともとタダで始まった世界なので、
この世界でお金をいただくというのは、
モノや情報の質とは関係なく、
「習慣」としてむつかしい。
同じくタダから始まったテレビの世界で、
WowWow、スカパーなど有料チャンネルが
苦戦しているのと同じだ。

しかしまー、
それは買う人の判断なので、
まだ納得がいく、というかあきらめがつく。
流通や小売りの判断で、
買う、買わないが判断され、
買う人の判断までたどり着けない
無念さ(あえて、不健全さと言おう)に比べれば、
はるかにマシだ。

iPhoneやiPadは
ゲーム業界の黒船であると思うんだけど、
個々のゲームの値段や質からして、
あれでは商売(ライバル)にならないとする
ゲーム業界の人の意見もよく聞く。
ただ、それは「現状」の話に過ぎない。
問題は、
個々のゲームの問題(値段や質など)というより、
ゲームの作り手が「中抜き」できる仕組みが
できあがりつつあることだ。
まずは、ゲームより先に
書籍の世界が厳しい風を受けるはずなので、
それを見て
「中抜き」の危機感、
つまり自分たちが「抜かれてしまう」
危機感を感じる必要があるんじゃないかな。


2010/03/09(火)
倒産

シング、破産
ゲーム開発会社の倒産なんて
少しも珍しくないニュースだけど、
やはり、最近は数が多い気がする。

オリジナリティーのあるゲームを
出してた会社なので、
彼らの新作が見られなくなるのは
とても残念だ。
知り合いではないが、
同志がまた1人いなくなったような気持ちだ。

倒産というのは、
ある意味仕方がない。
どんなにがんばっても、
どんなにいい仕事してても、
きっと、
倒れるときは倒れるんだろう。

ただ、景気が冷えてくると
いいモノをつくればイイ
という職人的立場だけではのりきれない。
商品を作る以上、
1)自分たちのやりたいことと
2)市場の動向にあったモノ
1)2)の連立方程式を満たすモノを目指すのは宿命だ。
さらに、今のような冷えた市場では、
3)連立方程式を満たすモノを作るための環境作り
も考えないといけない。
従来の制作体勢でいいのか、
従来の流通システムでいいのか、
従来の値段体系でいいのか、
従来の営業、告知方法でいいのか、
そういう環境やシステムも
開発の一貫としてちゃんと考えないといけない。
1つ仕事が増えたわけだ。

ps:
生きている会社は、
ユーザーから厳しい意見をもらうのは仕方がない。
叱咤激励と受け止めるしかない。
しかし、死んだ会社に対して
つぶれて正解"的なコメントが投げかられるのは
端で見ているだけでも、悲しい。


2010/03/02(火)
ピーターとおおかみ

今回の津波警報がちょっとおおげさだったと
気象庁が謝罪したらしい。
むつかしいね。
小さく見積もって被害でも出た日にゃー、
責任問題になっちゃうだろうから、
どうしてもちょっと大きく見積もっちゃうんだろうな。
そもそも、正確な津波の高さ予測って
できそうにもないし。

今回の津波警報に限らず、
最近の台風や地震、寒波の予想はどれも
ちょっと過度な気がしてるのはオレだけかな。
すごく雪が積もるでしょう、
豪雨になって河川が氾濫するかもしれません、
大変な暴風に見舞われるでしょう、
とさんざん脅されたあげく、
全然大したことなかったという経験を
かなりしている、というか、
ずっとそんな感じという気がする。

これもそれも、
そもそも、
天災を正確に予測するのはむつかしい。
ならば、
過小に予測して被害が出るよりも
過大に評価して被害が出なかったほうが
うんとマシだということなんだろう。
さらにマスコミは
いいことも悪いことも
「大きい」ほうがよいことだと考えるメディアなので、
過剰に情報を増幅する。

たしかにその通りなので、
そういう「肩すかし」や「煽り」に対して
(自分を含めて)誰も文句は言わない。

ただし、
あまり「肩すかし」が連発すると
「狼が来たぞ~」というウソを連発して
村の人の信用を失ってしまったピーター少年の話
羊飼いと狼
のようになってしまうんじゃないかと危惧する。
(気象庁やマスコミはウソ言ってるんじゃないけど)
いつか、
予報を無視して痛い目に遭いそうだ。


2010/03/01(月)
ハウステンボス

先週は社員旅行でした。
長崎ば、行ってきました。
ハウステンボス」ば行って、
いろいろ考えさせられました。

オランダというネタで、
あの広さが持つと思ったのか。
オランダといったら、
風車とチューリップしか思いつかない。
パーク内では、それプラス、
エッシャーとチョコレートとチーズを
売りにしていたんで、
それらも特産品なのかな?
(エッシャーは人間だけど)
どのみち、
それらの「ネタ」であの広さは埋まらない。
それは計画のときから明白だったはず。
という意見が出てこなかったのかが、
まずは???

2つめはスキがありすぎ。
作業用のバンが、
オランダの街を走っていたり、
オランダのおみやげ店に
「有田焼セール」ののぼりが出てたり、
オランダのレストラン街に
ちゃんぽん専門店があったり、
そうでなくても薄いオランダ風味を
さらに打ち消してしまっている。

これじゃー、
破産するのは当たり前だろうと思った。
そして、改めて、
ネズミランドの偉大さを確認した。

ネタとボリュームのバランスはいいか?
ネタの世界観を徹底的に守っているのか?
ってあたりは、
自分たちの稼業でも
ちゃんと考えていかないといけないなと
反面教師的になってくれたので、
社員旅行のイベントと言うよりは、
社会見学のイベントとしてはよかった。
(「こうして私たちは失敗した」という
社会派テーマパークに変わるのはどうだろうか)

PS:
逆に「バイオパーク
は楽しかったな。
お勧め。
多くの動物と触れあえる
(文字通り、触れられる)のはうれしい。
ただし、ここへのアクセスが
路線バスしかない(しかも1時間以上かかる)
というのはいただけない。
そういう意味でここもツメが甘い。




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