人間風車

2010/05/28(金)
ただ4倍になっただけ

今日はiPad発売の日。
早くも2台目を購入してしまった。
iPodも5台持ってるしで、
ちょっと何か還元してほしいくらい、
アップル社には貢献していることになる。
というか、
この惹きつける感じはどこから来るんだろう。
完全に「必要性」とかのレベルじゃない。

iPadはiPhoneを4倍に拡大しただけのもの。
単純に言うとそう言える。
大きな機能的な拡張はない。
作法も同じ。
単に大きくしただけ。
しかし、
そのことがこんなにスゴイことなのか、
と実感させられるマシンである。
この驚きは、触ってみて初めて味わえる。
文章や写真で
「4倍の大きさの画面」
と説明されても
なにがいいんだかピンと来ない。
(よって、ここでも説明しない)

ただ大きいだけ。
ただ小さいだけ。
ただ多いだけ。
ただきれいなだけ。
ただ早いだけ。
そういう一見、
内容に貢献しないような
プリミティブな要素が
ときに内容以上の力を持つことがある
ってあたりは、
目から鱗っていうか、
ちゃんと考えないといけないポイントなんだなー
と再確認した。

にしても、
2台はいらないと思うけどね。



2010/05/27(木)
基礎、自由、越境、行動

昨日、SONY CSL
open houseにおじゃましてきた。
2年に一度の研究発表会+懇親会のような催しだ。
総勢30人程度の小さな研究所の発表会を、
その何十倍もの人が聞きに来るってあたりだけでも、
この研究所の実力がわかる。

越境し(=分野を超えた)、行動する科学、技術の研究を
コンセプトに
・世界と未来とSONYに貢献する応用可能な科学、技術
・本当に自分が興味があること
であれば何を研究しても良いらしく、
実際に、
バリエーションに富んだ発表会だった。

「越境」とか「行動」というコンセプトは
具体的には
脳外科医、建築家、マンガ家みたいな
2足のわらじを履く研究者が在籍していたり、
実際にテーマ現場に行って実経験すること
などに現れる。
研究所の机の前だけでモノを考えない、
広い視野をもってリアルに研究に望むべきという
考えからなんだろう。

発表内容に感心しながら同時に、
ああ、こういう仕事をしたいなーと
切実に思ったけど、
ゲーム業界でそういうことをしている
という話は聞いたことがない。
(ない、じゃなく知らないだけの話ですが)
ゲーム業界に限らず、
日本では基礎研究の分野が
どんどん衰退しているらしい。
これはこの先、ボディーブローのように
「効いていくる」はずだ。

お客の幅を広げることも大事だけど、
作り手の幅を広げることも大事なはずだ。
商品であることを前提に
アイデアを考えると言うことは
ビジネスの厳しさを知るにはいいことだが、
発想力を伸ばすには逆効果だ。
CSLの研究姿勢のようなところから
大化けするアイデアが生まれそうだ。

2010/05/24(月)
グレーゾーン

世の中きっちりシロクロつけたいところだが、
必ずグレーのゾーンがある。
この歳になってきて、
ようやくそう納得できるようになってきたし、
その存在意義もわかってきたような気がする。

世の中窮屈になるより、曖昧になる方がましである。
それどころかかなり安全である。
建前は世の中をシロクロ2値にわけたがるが、
本音はその間もあるよねということを実感させる。
シロクロつけてグレーゾーンを排除することは、
すなわち、
本音を排除し合う社会であるということだ。

二値化の嵐は、
社会正義の世界だけじゃなく、
商品の価値、趣味のありかた、
食べ物の味、環境問題、あらゆる世界に吹く。
二値化は、
被害者、加害者という安易な対立構造を設定して、
被害者(と想定している人)を守る、
被害者の主張が正義、正論とする
安易な「オチ」を用意する。
どんな業種のどんな会議でも建前で話し出したら、
もー、終わりである。
たとえば、
動物は人に飼われている、
人と関わりなく自然に暮らしている
の2パターンではなく、
人の社会の中で、人(の生活)と関わりながら、
それでいてどこにも所属しないものもいる。
そういう曖昧な存在を許さない社会ってのは、
窮屈であり、恐怖であったりもする。

なんてことを
私の敬愛する藤原新也氏が、
ブログ
のなかでおれの100万倍ちゃんと語ってらっしゃる。



2010/05/20(木)
作品

オンデマンドという概念は電子モノの特権である。
その特権そのままのTシャツサイトがこれ「clubT
作り手は、デザインするだけ。
買い注文が入ってから制作。
なので、在庫リスクなし。
なので、だれでも参加でき、
品揃えが豊富になるし、
なんたって、デザインに冒険が出来る。
買い手はすぐに手に入らないってとこと
探すのがすでに大変ってとこが
ちょっとあれかなーという気がするけど、
少なくとも、
作り手が「中抜き」で買い手に見てもらえる。
という仕組みはすばらしい。

この間、
週刊こどもニュースの取材を
受けたときも話したんだけど、
今までの出版の流れだと
本は、買い手の判断にたどり着くために
編集者、出版社の判断、取り次ぎの判断、小売店の判断
といういくつもの関門があった。
その途中のどっか1カ所でNOがでれば、
買い手のところまでたどり着くことはない。
そういう厳しい関門を通り抜けられて
はじめて「商品」と言える。
という考え方もあるかもしれないけど、
上の関門の多くは、
おもしろいとかいうより売れる、
しかも、
大量に売れることが評価の基準になっている。
なので、いくらおもしろいものでも、
大量に売れることが見込まれない本は
関門を通り抜けられない。
電子書籍では、
そうした悩ましい仕組みを一気に解決してくれて、
作り手はダイレクトに買い手の判断を仰ぐことができる。
(そして、売れても、売れなくても納得する)
このことが作り手としてはうれしい。
ということを話した。
(オンエアーされなかったけど)

この困った事情や明るい?新しい?未来は、
本に限ったことではない。
ほぼ日さんのことばを借りれば
作品」ってあたりが
世に出せるっていう仕組みこそ、
今的だなーと思う。
うちのゲームや本が「作品」と言ってもらえるかは???だけど、
少なくとも自分の視線は、
そっちに向いていることは確かだ。
この視線は明らかに
現在のゲーム業界と合わないのが困ったところだ。

ゲームもプロトタイプをユーザーに試してもらって、
その上で買ってもいいという人の数が
ある数以上になったら、
本制作に取りかかるなんて
オンデマンド的な仕組みがあればおもしろいのになー。


2010/05/17(月)
文化多様性

どういうわけだか、
最近、よく
「生物多様性」という言葉を目にする。
DNAの交配、突然変異→自然淘汰という
単純な仕組みでの「進化」では、
ベースの集団(母集団)の
バリエーションの豊かさがキモとなる。
未来に起こる大変な出来事に対して、
どのタイプ(種)が生き残れるかは、
事前にはわからないので、
いろいろなタイプの生き物を用意して、
どれかが生き残りますようにという
戦略しかとれない。
故に多様性が必要となる。
また、
似たようなDNA同士を交配させたりしても
バリエーションが生まれないので、
新しいタイプを生み出すためにも、
多様性が必要となる。

多様化は、将来のリスクへの保険であり、
現在への貢献度は低いことが多い。
現時点で、何のためにいるのかわからない生き物。
他者への貢献もしてない感じの生き物。
それどころか世界に対して害である生き物。
そういう生き物ですら、
未来のための宝となることがある。

これは生物界にのみ必要な話ではない。
将来、どのタイプが生き残るのか、
どのタイプが成長するのか、
予測不可能な業界全てにおいて
この原理は成り立つ。
多様性を失うこと、それは未来を失うことだ。
文化多様性、商品多様性も必須だ。

不況になると、
明日のことより今日のことが大切になる。
明日の多様性より、
今日売れる物を作りたくなる。
新作よりシリーズ物のリリースが多くなる。
リスク回避の心理は、
作り手だけじゃなく買い手にも働くから、
売り上げの上位もシリーズ物が並ぶ。
そうした現象が見えだしてきたら
多様化の危機の証だ。

クリエイティブの世界では
なんども
多様化→単一化→失敗→多様化→......
という循環を繰り返してきている気がする。
今はどのフェーズか。

2010/05/14(金)
田舎の静かな死

今度の日曜日(16日)8時5分~35分
週刊こどもニュース」 に
弊社が出ます。
電子書籍作っちゃったとか、そんな感じで出る予定。
よかっったら見てやって下さい。

母が急遽、手術することになって、
その準備や手続きのため
岐阜の田舎に帰省中なう、です。
もうかれこれ1週間になるんですけど、
それにしても
ここんところ、全く歩いていない。
実家はすごい田舎なので、
周りにはまったく公共交通機関がない。
一番近いコンビニは2km先。
もっとも近い本屋はさらに1.5km先。
移動は全て車になる。
なのでちっとも歩かない。
東京にいるときは、
1日だいたい5000歩は歩いているんだけど、
今はどうだろう。数百歩レベル?

周りは老人だらけ。
若い人は仕事を求め外に出て行ってしまっている。
老人たちは、
交通機関もなく、足腰が弱ってることもあって、
ずっと韓国ドラマ鑑賞@自宅なんだそうだ。
だから、
この1週間、地元の人と誰も会っていない。
(まー病院行ったりとかで忙しくしてるのもあるんだけど)
このため、
病院以外の場所はさっぱり人がいない。
売り上げが上がらないから店がなくなる。
税収が上がらないから、福祉も行き届かない。
の悪循環。
日本の老齢化社会の未来図を見ている感じがする。

昔よく遊んだ川は、
さほど水がきたなくなったって感じはしないんだけど、
魚はもうすっかりいなくなったんだそうだ。
森や田畑が減ったわけでもないのに、
鳥も少なくなり、カエルもいなくなり、
近くの用水にはメダカやサリガニもいない。
都会の自然は、森が切られたり、
海が埋め立てられたり、
激しい「死」の様相を見せるけど、
田舎の「死」は静かに進行している、
そんな感じがした。

2010/05/11(火)
iPad=電子書籍デバイス?

昨日、たまたまテレビを観てたら
電子書籍の特集をしていた。
あ、そうか今日はiPadの予約開始日か!
と思ったが、
なんだかiPad=電子書籍デバイスみたいな
イメージになっちゃってるのかと思った。
別にいいも、悪いもないんだけど。

一人のコメンテーターが、
電子書籍という黒船に対して、
日本の出版界が旧体質で保守的で
対応がおそいと嘆いていた。
と、同時にこの人、
コミックや雑誌などではなく
文学という書籍の主役が
電子化されなければいけないとも力説していた。
文学が主役ってあたりの考え方も
そうとう保守的って言うか旧体質だなーと
おれなんかは思うんですけどね。
言うまでもなく、
メインもサブもない。
コミックも文学も同じステージに並んでいるはずだ。
海外向け輸出アイテムとして
日本のアニメとマンガはかなり優秀なわけだから、
これらが日本の電子書籍の主役であるべきだとすら思う。

iPadを実際に触ってみると
マンガが一番相性が良いんじゃないかと感じる。
携帯電話、PC、携帯ゲーム機などで
マンガの電子化は
現時点でもすっかりおなじみなんだけど、
昭和の人間としては
小さなコマ、ページ全体を見渡せない
ってとこがネックになって
なかなか読む気にならなかった。
その辺の問題がiPadですっかりクリアされる。
週刊マンガが電子化@iPadされたら、
間違いなく定期購読してしまう。
プッシュで配信してくれたらヤバイ。
読みたいマンガだけ売ってくれたらさらにヤバイ。
読まなかったら代金を返してくれるか、
次回割引してくれたらちょーヤバイ。
単行本分溜まったら、
自動的に単行本アプリにしてくれたら、
一生ついていく。

と、結局、自分も
iPad=電子書籍デバイスとして語っているところが
iPadすげーぞと思うところ。



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