人間風車

2010/09/30(木)
3D

昨日は、任天堂カンファレンスがあって、
「ニンテンドー3DS」についての詳細の発表があった。
「つかみ」はメガネなしでの立体表現だろう。
賭けてもいいけど、
今売り出している、
メガネありのいわゆる3Dテレビは流行らない。
すきあらば、何か買いたいと思っている
物欲マスタ-(おれおれ)の食指が動かないのだから
大した物だ。

まず、メガネありがいけない。
テレビを見るのにわざわざ、
特別な装置をつけないとダメというのがいただけない。
テレビを見るときのテンションは、
映画館まで行って映画を観るぞー
というテンションとは相当違う。
着地寸前のテンションでは、
可能な限り、
ルーズなスタイルで見たい。
だいたい、メガネをかけてる者にとっては、
もう1つメガネをかけるなんて、
うっとうしてくてしようがないし、
家族全員分メガネが必要、
人の使ったメガネってちょっと不衛生な気もする。
しかも全員がメガネを掛けている姿は
たぶん相当異様!w
さらに、
テレビに対して正しい角度にいないと立体に見えない。
家族全員がテレビに向かって、
きちんと対座している姿も異様!w
さらにさらに、
擬似的に立体に「見る」という行為は、
脳と目をとても疲れさせる。
基本的に脳の錯覚を利用しているからだ。
そもそも、立体であることがそんなにうれしいか、
という根本的な問題もある。
とまー、そんな理由から、
メガネ付き、据え置き型装置の3D化は、
絶対に流行らないと思う。

3DSは、その多くの問題点をクリアしている。
さすが、昨日、今日思いついた
アイデアではないだけのことはある。
とは言っても、
立体映像自体、
ゲームの楽しさをがらりと変える仕組みかといえば、
そうではない気がする。
あくまでも「つかみ」のような気がする。
じゃー、メインはなにかといったら、
それは強化された通信機能だと思う。
それについては、明日また書くつもり。


2010/09/27(月)
岐阜と2020年のモバイルライフ

先週末、
「Idea contest-2020年のモバイルライフ アイデアコンテスト」
っていうのに参加してきました。
地元岐阜が、どういうわけだか
モバイルライフの未来を考えるというイベントで、
400以上のアイデアの中から、
2020年にふさわしいモバイルライフのアイデアを
選ぼうってプロジェクトだったわけです。
その審査員の1人をやらせてもらったんですけど、
いつもは企画書を見てもらう立場なもんで、
どうしても、
企画書を出す人の方への思い入れが強くなってしまう。
一字一句読み飛ばすまい、行間もよんであげよう×400以上
だったんで、けっこう大変だった。
でも、おもしろかったなー。

自分は、
2020年には、視覚、聴覚以外の感覚に訴える装置が
ほしいっていうアイデアがメインで選んだ。
スマートフォンになって、
モバイル装置の視覚に訴える部分の仕組みは
完成の域に達したと思うけど、
触覚、臭覚、味覚などは未踏の領域。
具体的にどういう装置ってのはおもいつかないけど、
そういう感覚までまきこんでいく方向に
行くんじゃないかな、行ってほしいな、
今の視覚に頼ったままだと、いくら、
とコミュニケーションの量だけ増えていっても、
ちっともコミュニケーションの温度が上がらないぞ。
と考えた。

さてさて、
岐阜とモバイルライフ、
この先どう進んでいくんだろうと
興味津々なところではあるけど、
芸術性、先進技術と言うよりは、
過疎先進、老齢化先進、不況先進
そういう「先進」と絡めて
モバイルライフを考えていけたら、
うんとリアルになっていくんじゃないかな。


2010/09/21(火)
薄い本

この間読んだ本は薄い本だったなー。
薄いとはページ数じゃなくて内容。
値段とページ数はバランスよかったけど、
値段と内容の濃さのバランスはよくなかった。

しかし、
薄いからといって悪かったわけじゃない。
薄めたから薄いと思ったのであって、
コアのネタはおもしろく、小さいけど濃いものだった。
もし、そのコアの部分だけ読めて、
それが、それなりの値段だったら、
きっといい印象を持ったと思う。
ただ、それが
(通常の)本1冊分にならないネタじゃなかったというだけ。
ただ、それを
(通常の)本1冊分にするために、
いろいろと付け足してしまったというだけ。
その付け足した部分がイマイチだったので、
結果として、
面白いコアのネタが希釈されてしまった感じだ。

そのネタだけじゃー、
本1冊分にならないから。
この理由からネタを付け足すのは
どうみても本末転倒だし、
付け足したネタは、
コアのネタほどの力を持っていないので、
足しても濃くはならない。

これ、他山の石だよなーと思った。
本に限らず音楽(アルバム)でもゲームでも
まず最初に「入れ物」の大きさありき。
というのは不思議というかヘンというか。
4曲入りのアルバムとか、
2500円のゲームとかあまりない。
その昔、お菓子が大袋でしか売られていなかった時代
そのまんまのシステムだ。

この問題は、
製造、物流、物販の諸事情として説明されることが多い。
たしかにそうかもしれない。
20ページの本だろうと100ページの本だろうと
製造、物流、物販のコストはそうは変わらない。
一方、売値は、ページ数相応になる。
100ページなら600円で売れるけど、
20ページなら150円でしか売れないだろうとか。
なので、
100ページの方が利益率が高くなるので、
どうしても値段が取りやすいボリュームが
まずありきになってしまう。
(もちろん、それ以外にもたくさん事情があるんだろうけど)
どのみち、
そこには、ユーザーの要求が不在である。
作り手、売り手の都合の話である。

ダウンロード販売を初めてとして、
物理的な仕組みはすでに用意が出来ている。
用意できていないのは、
それを採用しなくてはいけない人たちの頭だ。


2010/09/15(水)
スケープゴート

「スケープゴート」とは、
「身代わり」「生贄」の意味で、
不満や憎悪、責任を直接的原因となる
もの及び人に向けるのではなく、
他の対象に転嫁する事で、
それらの解消や収拾を図るといった場合の
その不満、憎悪、責任を転嫁された対象を指す。
(ウィッキペディアより抜粋)

中国の日本への過剰な対応とかを見ていると
あー、彼らにとっては日本がスケープゴートか。
戦争のこともあったし、
格好のスケープゴートだなー、たしかに。
と思う。

中国の経済は良好だが、
それ裏で、
貧富の格差、都市と農村の格差、環境汚染など、
内部にいっぱい不安や不満を抱えている。
そうした不安や不満に
正面向かって対処するのはしんどい。
そこでスケープゴートの登場だ。
不平、不満のはけ口をそっちに向ける。
今回の漁船拿捕に対する中国側の対応を見ていると、
露骨にそうした方針を感じる。

このスケープゴート作戦、
わかりやすいし、何にでも使えるので重宝だ。
今後も何かとこの作戦が発動されそうだ。
単発では、大きな問題は起こしそうにないが、
ボディーブローのように
ダメージとストレスが蓄積していきそうだ。


2010/09/06(月)
ソーシャルゲーム:コンシューマーゲーム

ソーシャルゲームとパチンコは
ニオイもシステムも似ているとよく言われる。
そして、ユーザーもかぶっていると言われる。
たしかにそんな気もするけど、
パチンコでは勝てば「ライターの芯」が手に入るけど
ソーシャルゲームでは何ももらえない。
優越感とかいった精神的なものだけ。
なので、
パチンコのユーザーとソーシャルゲームのユーザーが
かぶっているというのは、
なかなかイメージしにくい。
パチンコのユーザーが
他の台に座っている人に対して
優越感を得るためにプレイしているとは思えない。

パチンコとダブるかどうかは別にして、
優越感とかコレクション魂とかいったもののために
月数万も払えるというのも驚きだ。
そういう遊びというか商売が成り立つなんて
想像だにできなかった。
いわゆるアイテム課金だ。
パチンコほど財布軽量化効果はないにしても、
1月のお小遣いとしたら高額だ。
1DL350円のアプリを売るのに
四苦八苦している身としては
全く信じられない&うらやましい光景だ。

しかもそのネタとなるゲームが
ゲームとしてはとてもシンプル、
昔からある使い古されたネタ、
(場合によっては著作権侵害じゃーと
心配してしまうものもあるほど)
演出も何もない、
戦略性もない、
しかも、
むしろその方が喜ばれている、
そう聞くとさらに驚いてしまう。

さらに先に書いたように、
不特定多数のユーザーと
アイテムを盗み合うなんていう
コンシューマゲームの世界では
御法度な遊びまで提供されている。

制作サイドで言えば、
ソーシャルゲームはリリースしてからの
バージョンアップが命であり
コンシューマゲームは売り切り、
発売までに完璧を期すことが原則となる。
ここも大きく違う。
ユーザーとの気持ちのギャップは、
前者は逐次修正していけるが、
後者は作ってる段階の予想にかける他ない。

ソーシャルゲームのユーザーと
コンシューマゲームのユーザーは
そうはダブらないらしいが、
それでも自分たちが、
いかに固定的な価値観に縛られてるか、
そのあたりは謙虚に反省する必要はありそうだ。

よくソーシャルゲーム作りと
コンシューマゲーム作りは、
テレビ番組と映画制作のような違いであると言われる。
たしかに、そんな気がする。
ついでに
格闘技とプロレスのような違いも感じる。
その昔、
映画は花形商売だったが、
いつの間にか、斜陽化して
テレビにその座を奪われた。
そんな歴史も似ている気がする。


2010/09/03(金)
Ping

apple社
(「アップル社」と書くとイメージが違って感じるのは何故だろう)
がiTunesをバージョンアップさせて「Ping」という
サービスをはじめた。
ITunes上で聞いている音楽をネタに
他の人たちと交流しようというSNSだ。
これはこれで、
apple社が言うほど画期的とは思わないけど、
おもしろい機能だと思う。
が、しかし問題視されていることがある。
事実上の実名登録になることだ。
iTunes上でクレジット決済している人は、
事実上、Pingのアカウントも実名にしないといけない。
この実名は、Ping上だけに反映されるわけではなく、
iTunes上全てで反映されるので、
iPhoneアプリなんかのレビューなんかの名前も
実名になってしまう(過去に書いたものも!)
もちろん、
匿名性命の、
某巨大掲示板ではすこぶる評判が悪い(笑)

さーて、これはどうなんだろう。
匿名性の、特に投稿の、弊害は大きい。
それは確かだ。
が、しかし、だからといって全て実名で
っていうのはなにか違う気がする。
ネット上で実名をさらすリスクは、
かなり大きく感じる。
実際はどうかしらないけど、
事実とは関係なく、大きく感じる時点でアウトだ。
未だ、ネット上でのクレジット決済ですら、
慎重になっている人が多い日本、
実名オンリーのSNSってのは、
かなり厳しいんじゃないかな。

そう思うとtwitterはいいバランスになっている。
自分の仕事や趣味の役に立つと思えば、
自然に実名を出していくことになるが、
システムがそれを強要しているわけではない。
匿名でいる人もずいぶんいる。
それでなんら違和感もトラブルもない。
使う人が自主的に決められる。
ネット上っていのうのは、
主催者は最低限のルールだけを作って
それ以外のルールは、
使う人たちの体験の中で作られていく、
主催者はむしろ、それを後からフォローする。
そのくらいの感じの方が合っている気がする。


2010/09/01(水)
ガラパゴスワールド化

医者が足りない。
水が足りない。
資源が足りない。
若者が足りない。
金が足りない。

この先の日本は足りない地獄だ。
足りなければやりくりしないといけない。
幸いなことに日本人はやりくり上手。
必要以上のやりくり魂を発揮する民族。
そこが望みかな。

逆に日本人は、
リッチな環境の方がその活用が苦手。
昨今のゲームなんかを見ていると
はっきりそれがわかる。
今日日のハイスペックなゲームマシンは
アメリカ人(製)のほうがうまく使いこなしている。
リッチな環境をパワフルに使いこなしている。
ソフトもそうであれば、作り方もそう。
ハリウッド的というか、
たくさんのお金と人をパワフルに使いというのは、
彼らの方がうまい。

日本人のやりくり力にもっともマッチしていたマシンは
初代ファミコンだ。
これはやりくりなしには使いこなせないマシンであった。
故に欧米はなかなかイイソフトを出せず
日本メーカーの独擅場であった。
現在で言えば、
日本人のやりくり力は、
ガラケーのゲームの方に発揮されている感じだ。

ガラケーは、
国際化に乗り遅れた失敗例として語られることが多いけど、
(確かにそうだけど)
逆に、
ガラケーをワールドワイド化するくらいの気持ちがあれば
よかったんじゃないかな。
日本のアニメやポケモン(あえて分ける)が
日本のテイストのまま、
ワールドワイドで受け入れられていることを考えれば、
「日本ならでは」がワールドワイド化できない、
ということはないはずだ。
あちら(欧米)の土俵(価値観)の上で戦うより
自分の土俵で戦う方が明らかに有利だ。
ガラパゴスをやめてワールドワイド化するのではなく、
むしろ、
ガラパゴス化を推し進め、世界をガラパゴスワールドにしよう!

でも、まー
そういう戦略自体、
狩猟民族的っていうか欧米的な考えか!w




« 人間風車: 2010年8月 | | 人間風車: 2010年10月 »