人間風車

2010/11/30(火)
地域密着型リアリティー

ちょい驚いた。
近所の『莢』というお好み焼き屋が
ファミリーマートで売られてた
ただし、東京限定の商品。
そりゃそうだ。
『莢』はおいしいお好み焼き屋だけどメジャーではない。
東京いや、四谷ローカルな有名店。
そういうところの商品を出すのもすごいけど、
地域限定で出すというのがおもしろい。

よりたくさんの場所で、
より多くの人に、よりたくさん売る。
これが商売の鉄則みたいに言われているけど、
その逆を行く方法だ。
大量生産、大量消費という
20世紀型のビジネスじゃない、
なんか新しいというか、正しいというか、
逆に古いというか、
そういう感じがして興味を持った。

そのエリアそのエリア毎の
細かい要求、細かいリアリティーに合わせた
地域密着型の商品を作る。
もちろん、それでは「数」はでない。
数はでないけどちゃんと収支が合うようにする。
(全然内情はしらないけど)
これからって、なんか、
そういうことなんだろうなって漠然と感じる。
地域密着はなにも物理的なエリアとは限らない。
ニッチな嗜好性、性差、年齢などなど、いろいろ考えられる。
ユーザーとなる対象をうんと絞って
その代わり、ターゲットには、ちゃんと
「リアリティー」が感じてもらえる商品を提供する。
なんか、そういう商売。


2010/11/26(金)
「冷静」にさせちゃダメ

海上保安官、陸上勤務に配置換え
結局責任問題はグレーのまま、だれも責任を取らない。
彼のしたことの社会的意義と、
職務的責任をごっちゃにしてはいけないはずなのに、
こうしてフェードアウトしていく。
誰も責任を取らない、
代わりに誰も強大な権力を持たない。
ある意味、すごいっちゃーすごい安全システムだけど、
こうした価値感はワールドワイドではない。
外交があーなっちゃう原因の一つなんだろうな、きっと。

amazonの1クリックと楽天の
注文フォームには雲泥の差がある。
1クリックは、文字通り1回クリックしたら注文が確定してしまう。
もちろん、キャンセルはできるんだけど、
意外と「あきらめ」がついてしまう。
一方、楽天での買い物は、
(別に楽天だけじゃないけど)
1ステップ;注文者情報の入力
2ステップ:送付先の入力
3ステップ:支払い、配送方法の選択
4ステップ:確認
の4ステップある。
この何段階かのステップ数がよくない。
このステップを踏む間に、
「冷静」になって!注文をやめてしまうことがある。

iPhoneアプリでも同じような話がある。
iPhone上でアプリの情報を得て、
すぐにiPhone上でアプリを購入してもらう。
このチャンスを逃すと
アプリを買ってもらえる可能性が激減する。
一旦、iPhoneをはなれ、
あとで、PC上のitunes Storeで買う
なんてことはしてくれない。
(実際、iPhone上でのDLが全DL数の9割という話も聞く)
きっとその間に「冷静」になっちゃうんだろう。

買い物も恋愛も「冷静」になっちゃおしまいよ。
あ、ほしいと思ううちに「確定」してもらわないと。
ってあたりが、
ネットで商売する上で大きなポイントなんだろうな。


2010/11/18(木)
事業仕分けを仕分けしろ

事業仕分けの様子を見ていると
正直、腹が立つ。

まずは仕分け人。
一律なんでも削りゃーいいって思ってる無能ぶり。
「ちょっといけてるんじゃない」
とでも思ってるかのような態度。
自分たちの判断を相手が、
守る、守らないなんて興味がない
としか思えないような仕分け後の対応。
自分の選挙用のパフォーマンスでーす。
と思ってるとしか思えない。
完全に国民をバカにしている。

対象事業者。
言わせておけばいい。
どうせ、後でなんとでもなるんだから。
と完全に事業仕分け人をバカにしている。

マスコミ。
きっとちゃんとしたやりとりもあったろうし、
予算削減が、国益に大きな影響を与える
案件だってあるはずなのに、
仕分け人=大岡越前、事業者=悪徳商人
みたいな単純な構図で描きつつ、
野球の珍プレイ、好プレイ特集みたいに、
事業者のあほな答弁や、
仕分け人の熱い「演技」ばかり放映している。
完全に事業者をバカにしている。

まとめると、
仕分け人 → 国民をバカにしている?
事業者  → 仕分け人をバカにしている?
マスコミ → 事業者をバカにしている?

事業のムダをなくすのは大事なことと
本当に思うなら、
1年くらいの時間をかけて、
検討すべきであること、
決めたら必ず実行させる法的強制力が必要なこと、
こんなこと、当たり前だと思うんだけど、
そんなことは、
関係者の誰の「得」にもならないので、
提案さえされない。
茶番だー。

明日にでも総選挙やってくれー。


2010/11/16(火)
いっそ、やめさせたいと思う仕様

星飛雄馬が野球人生に悩んで、
禅寺で修業をしていたとき、
禅僧に
「打たれまい、打たれまいとするのではなく、
いっそ、打ってもらう」
というようなことを言われ
大リーグボール1号を発明?した。
という話は、
子供心にすごく感じるところがあった。
捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
に近い感覚かな。
それに似ているような気がしないでもない戦略。
「受験生ユーザーが試験が終わるまで、
自主的に自社のゲームのプレイを停止すれば、
再開後、豪華なイベント商品が贈呈されるサービス


ゲームを作っていると
何もかも忘れて遊び続けてもらえたら最高!
と思うと同時に、
勉強も運動も家族会議もお風呂も大事な時間だから、
ゲームばかりしてないでね
という気持ちにもなる。
そうした気持ちはゲームの仕組みにも組み込む。
例えば、
終了するきっかけ(ステージの変わり目の演出)などを
いっぱい提供する。
1つのイベントをなるべく短くする。
心置きなく終了できるように
セーブポイントをいっぱい提供する。
などなど。
しかし、どれも、
そー、積極的ではない。
隠れた親心みたいな提案だ。
それに対して、上の仕様は堂々としている。
「やらせたい、やらせたいと思うより
いっそ、やめさせたいと思う」
といったところか。
これはすばらしい。
完全にメインの遊びに組み込ませている。
社会との折り合いの付け方がうまい。
全てのゲームに組み込むべきである。
法律としてw
まー、そのくらい、やられたなーと思った。


2010/11/10(水)
意外とここがカギ

音楽CDがなぜ売れないのか?
という理由としてあげられるのは
以下のようなことが多い。

1)聞きたい音楽が無い
2)DLで音楽を購入するのが普通になった
3)違法コピーが誰でもできるような環境になった
4)携帯の支払がかさみ、音楽に回すお金がない
5)音楽CDの値段が高すぎる
6)中古市場が確立している

4)については、そうなのかなぁ?
(よく、いろんなところで犯人にされるけど)
という疑問が少しあるが、
あとはそうだろうねと思ったと同時に、
CDと言う言葉をゲームや映画、書籍などに替えても
成り立ってしまうあたりが怖い。

遠からず、
パッケージのゲームも同じ洗礼を受けると思う。
いや、もう受けつつあるか。
もちろん、だからといって
パッケージのゲームがなくなるわけじゃなく、
質の衰退も心配ないだろう。
ただし、供給者は減るだろうし、
お客も特別な人
(とってもゲームが好きで
ゲームなら対価をおしまないし、
喜んで店まで買いに来てくれる人)
に収束していく可能性が大である。

以前、SCEにいらした丸山さんが
インタビューで、
CDが売れないのは、
「曲が長すぎることが原因の1つ」
「ミュージシャンは長い曲を聴いてほしいと思っているけど、
(お客は)サビだけで十分と思ってる」
よって、
「1曲が長いCDを拒否し、短い着うたを求めている」
と分析されている。

CDは製造、物流、販売などの物理的コストの関係で、
値段をそうは下げられない。
となると、必要、不要どう思おうが、
値段に見合った「量」を詰め込まないといけない。
この「量」を
作り手側は「良心」「サービス」と考えるが、
受け手は「無用」「迷惑」と感じているのだ。
これまた、
ゲームでも本でも同じことが言える。

一方、
DTM技術、インターネットでの配信システムの発達で
だれでも作り手になれる時代になったが、
それについて丸山さんは、
「誰もが1作くらいは名曲が書ける」
「でもアルバム1枚作るとか、2枚目が書けるかどうかというのは、
かなりの専門的な指導とトレーニングが必要」
と指摘している。

電子化の流れの中でよく「中抜き」という言葉が使われ、
中抜きされる代表格として、
本の編集者があげられるが、
丸山さんが指摘されるように、これはたぶん間違いだろう。
ちゃんとしたプロデュース、ディレクション力+すぐれた発想力、
この合算じゃないと長続きはしないんだろう。

電子化、DL販売の発展は、
意外とここのところがカギを握っている気もする。


2010/11/08(月)
謝る安さ

中国のインターネット上には、
こうした日本非難の書き込みが相次いでいる。"
という報道。
中国側のそういう書き込み(サイト)の「質」も知らないまま
そういう言葉だけで反応してしまうのは怖い。
もし、海外の報道機関が
2ちゃんねるの書き込みを
「日本人の(総意の)書き込み」として紹介したら、
とてもおそろしいようにw。

近くには、いっぱい、
中国系の店員が働いている飲食店がある。
滑舌の悪い客(おれ)と
日本語に不慣れな店員(中国系の人)の間で
頼んだものと違うものが出てくる、
そういうミスはけっこう多い。
まー、しょうがないでしょ、それは。
全然、問題じゃない、そのこと自体は。
しかし、ミスがわかっても、
ほぼ100%謝らない、
見事に謝らない。
中には明らかに、
こちらが悪いという視線を送ってくる
という態度には閉口してしまう。

それはおそらく
謝るという行為の重大性の差なんだろうな
とふと思った。
日本人にとって謝るという行為は「安い」。
たぶん、世界一安い。
呼び止めるだけでも「すみません」と謝るくらいだし、
こちらに全く非はないと思っていても、
「こちらもXXXで申し訳なかったけど...」と
少し譲ることも
ちっとも苦じゃない。
狭い国でなかよく暮らすために身につけた
すばらしい作法だと思う。
「簡単に謝らない日本人になろう」なんて、
どっかのボスみたいなことは言わないで、
「もったいない」とともに世界に広がたい価値観である。

きっと、他の国の人は
謝ることは、そうは安くはないんだろう。
軽い気持ちで謝ってしまうことは、
プライドだけの問題じゃなく、
現実的な不利益にもつながるんだろう。
国によっては、
知らない人にほほえむことすら
卑下した行為になるってところもあるようだし。
だから、
よほどのミス(丼をおれの頭の上でひっくり返すとか)
でもしない限り、注文のミスくらいじゃー
かの店員たちは謝らないだろうな、今後もw


2010/11/04(木)
ゲーム多様性

ニコ動で小沢一郎の対談をやって、
それを民放がニュースで流していた件
いろんな意味で、
小さいけど大きな事件だと思った。
黙殺せずにニュースで扱っているあたりに、
民放にはニコ動がそんなに遠くない将来、
強力なライバルになることに
全然無自覚であることがわかる。

生物多様性が大事といわれている。
なぜ必要なのかというと、
今繁栄している種だけでは
次の環境を乗り越えられない可能性があるからである。
今の環境にフィットしていると言うことは、
逆に言うと
次の環境に対応していないとも言える。
逆に、
今の環境にフィットしてなくても
次の環境にはフィットしているかもしれない。
もちろん、
今の環境にも次の環境にもフィットしてる生き物、
どちらでもアウトな生き物もいるだろう。

いつ次の環境に変わるのか、
その環境が今以上にいいのか、悪いのか、
どう変わるのか
今のどの生き物が優位になり、
どの生き物が不利な立場になるのか、
誰にもわからない。
次の環境下で、
生命全体が死に絶えないためには、
次の環境に対して出来る限りの「用意」が必要だ。
それが「多様性」である。

この「多様性」は生物界だけの問題ではなく、
あらゆる分野で必要だと言える。
ゲームで言えば、
今、ヒットしているジャンルだけが生き延び
他のジャンルが死に絶えてしまうことは
とても危険だ。
世の中の環境(嗜好)が変わったとき、
それに対応できなくなるからだ。

ただ、そうは心配いらないのかも知れない。
ゲームでも八百屋でも「多様性」を失うことはない。
「多様」でありたいとう根源的な
文化的、経済的欲求や需要は消えない。
「多様」でなければ生き残れないヤツらがいる。
そのくらい環境は厳しいからだ。
ただし、
多様性が生まれるフィールドが変わるんだろう。
例えば、
ゲームで言えば、
コンシューマゲーム業界が多様性を失なっても、
スマートフォンやガラケーなどの世界で「多様性」が生まれる。
彼らは、「多様性」という戦略でしか
コンシューマゲーム界という巨人と闘えないからである。
(現在のiPhoneアプリとコンシューマゲームの
ゲーム種の幅を見てみれば一目瞭然)

環境(=ゲーム市場)が安定しているうちは、
彼らが、巨人に勝つすべはない。
ゆっくりと環境が変化していった場合でも、
巨人に変化のための時間猶予があるので、
巨人の勝ちかもしれない。
しかし、環境が急激に変化した場合、
たぶん、巨人はかなりヤバイだろう。
巨体故、対応のスピードが遅いからだ。
恐竜の滅亡とほ乳類の誕生の関係に似ているかもしれない。
恐竜のように絶滅はしないかもしれないけど、
生き残れる「恐竜」はかなり減るはずだ。


2010/11/01(月)
購買欲の漏れ

この間、
ブライアン・フェリーおじさんが
久しぶりの新譜を出したのを知って
iTunes Storeに行ったらなかった。
CDでは発売されているけど、
iTunes Storeでは売っていなかった。
と思ったとたん、購買魂がぐーんとダウン。

欲しいと思ったらすぐ欲しい。
そーじゃなければ、もういらない
と思っちゃうだ、怖いねー>おれ
と自分のことなのに、驚いた。
コンテンツ自身の魅力の問題じゃなくて、
その入手方法の問題で、購買欲が落ちてしまう。
これは怖い。
(もっとも、そういう「困難」を超えられる
強いコンテンツを作るべきと言う声も聞こえてきそうだけど)

iPhoneアプリも今では、
iPhoneからダイレクトにダウンロードされるのが
メインだそうだ。
(一説に90%)
一旦、PCのiTunes Storeでダウンロードして、
iPhoneにインストールするという手順ですら、
すでに、めんどくさいのだ。
「けしからん!」とおじさん的に
批判することも出来るかもしれないが、
そういう時代なのだ、そういう流れなのだと
甘受するべきことと思っている。
(自分も叱られる対象だし)

たしかに、
デジタルコンテンツ、ネットショップの最大の利点は
・何時でもどこででも手に入る
だから、
例え、同じ家の中であろうと
PCの所まで行かなくてはいけないというのは、
「不自由」であり「不完全」である。
「不自由」や「不完全」の大きさが問題なのではなく、
存在すること自体が問題なのだ。

こうした背景には、
コンテンツの情報の入手もまた、
ネット上からダイレクトに手に入れるようになったことも
大きいだろう。
雑誌やテレビで知って、気に入って、PCで検索して、、、
という流れはすでにまどろっこしい。
と同時に、あてにされている情報が、
作り手側の「これ、買ってください」的宣伝情報ではなく、
ユーザー間の「これ、面白い」的口コミ情報に
なってきていることも関係しているだろう。
これは、
情報の信憑性の問題でもあるだろうけど、
膨大にあるコンテンツから欲しいものを見つけ出す作業は
現在の所、
信用できる人の感性フィルターが
一番効率的で、精度が高いということもある。

友達や有名人の
「これイイかも」情報のリンク先が
ダイレクトに商品購入ページになっている。
そのくらいダイレクトじゃないと
「ほしい」と「買う」の間に、
作業が1つ入ること毎に、
購買欲は漏れしていってしまう。
そういう時代なのだ。




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