人間風車

2011/02/25(金)
ホントに好きか

勧められて、
吉田豪さんのインタビュー集「人間コク宝」を
読んでいるんですけど、おもしろいですね。
インタビューの対象の濃いキャラクターもおもしろいんだけど、
なにより、
吉田豪さんがこの人たちをホントに好きなんだ
ってあたりがよ~く伝わってくる。
その「愛のまなざし」が、気持ちいいし、楽しい。

そーゆーのって、出ちゃうんですよね。
「お仕事」でやっているか、ホントは嫌いなのか、
いくら技術で隠そうとしてもどっかに出ちゃう。
そして、ホントに好きかどーかが、
おもしろさに直接影響しちゃう。
怖いですねー。

ホントにそれがやりたいのか?
ホントにそれが好きなのか?
それなりに好き程度じゃダメ。
仕事だからなんて論外。
そういうのって、
すぐに仕事の「迫力」として出ちゃうから。
仕事を受けるとき、
いつもそのことを考えるようにしている。
現状、正直いって、
全ての案件が「絶対やりたい」という案件じゃないけど、
(気が乗らないっては0だけど)
早く
全ての案件が「絶対やりたい」ものだけにしないといけない。
そーじゃないと、お客さんに失礼。
とは思ってます、はい。

2011/02/17(木)
独自性と統一性

人のマネをしない。
それはゲーム作りに限らず、
どの世界でも当たり前の話だと思う。
が、
独自性と統一性、そのバランス、
このあたりは悩ましい問題だ。
世界観やストーリーやゲームシステムは
オリジナルであってほしいが、
例えば、
FPSゲー(主人公視点の撃ちもの)で、
移動する、方向を転換する、撃つ、弾をチャージする
などの操作性は、
ゲーム毎に違うとけっこう、うざい。
手が覚えてしまっているからだ。
(まー、どんだけやってるの!という話でもあるが)
そのため(か)、アメリカ産のそうしたゲームでは
ほとんど、同じ操作性、ボタンへ割り当てがされている。
これはとても助かる。

こうした操作の統一性は日本のゲームの方が遅れている。
(気のせいかな?)
ゲームシステムの独自性と操作の統一性は、
細かいところでバッティングするので、
やっかいな問題ではあるが、
しかし、
車の運転やPCの基本操作やキー配列が
メーカー毎に違っていたら、
どんなに不便だったろうか、
そんなんだったら普及しただろうかと考えると、
操作の統一性はかなり重要なテーマだ。

ちなみに、最近、
シリーズで出てるゲームは
ほとんど新しい要素が追加されていない。
(※あたしがやってるようなゲームについての話)
完全な続編+マイナーチェンジと技術的な向上のみ。
それでいいのか!
と作り手側の自分が反応する反面、
それで十分満足しているユーザーとしての自分もいる。
こういう現象って、
新規の顧客を期待せず、
すでにいる顧客をガッチリ掴むことを目的としている
(実際に成功している)
そんな姿勢の現れなのかな。
そうした戦略は、確実に今の利益を出すだろうけど、
未来はあるんだろうか。
ちょっと心配でもある。

2011/02/15(火)
やっぱりBSだよね

最近まわりで、
「やっぱりBSだよね」という声が多い。
面白い番組、新しい番組はBS発が多いという意味だ。
(個人的には、NHK教育もいけてると思うけど)
同様なことが、
DL(ダウンロード)販売のゲームでもあるよね、
という声もちらほら聞かれる。
DLゲームには、
変わったゲーム、1ネタ勝負のゲーム、
でおもしろいものが結構多い。

パッケージのゲームは、
作る方も買う方もリスクが大きい。
よく言われるように
他の商品に比べて値段が高い。
そんな(遊ぶ)時間がない。
そもそもゲームに飽きた。
などなどが原因だと思うけど、
ともかく海の物とも山の物ともわからぬ
ゲームを作るのも、買うのも、
リスクがかなり大きいわけで
とくに「新しい」なんてのは、リスクの温床、
むしろ悪い要素として査定されることさえある。
(新しいだけじゃダメというのは正論だけどね)
なので、
新しい面白さなんてのは、
パッケージ化されるというのは
今後、もっと減っていくだろう。

DL系のゲームでは、
そのアタリのリスクが少し緩和されるが、
売り上げの規模などを考えると
全然喜べる環境じゃないし、
携帯ゲーム圏に近寄ることになり、
それはそれで厳しい。
もっとも、
ソーシャルゲーと言われるようなコンテンツは、
ゲームを「ネタ」として
コミュニケーションを楽しむ遊びだから、
外見がゲームに見えても、
小さいゲームとは全く違う遊びで
全然客の奪い合いにはならないのかもしれない。
(実際、現状、
ガラ携の客とゲーム機の客はほとんどかぶらないらしい)

パッケージゲームが映画としたら
DLゲームはVシネマw
ソーシャルゲームはテレビ番組。
そういう感じなのかな。

2011/02/10(木)
あやうい信頼関係

グルーポンの「スカスカおせち」事件で
消費者庁がうごくらしい
ま、あれはひどい話だから
しょーがないといえば、しょうーがないけど、
動く理由が、
1)チョウザメの卵「キャビア」として、
  ランプフィッシュの卵が使用されていた
2)「通常価格」と呼べる販売実績が確認できなかった
ってあたりはちょっと気になる。
1)なんて、回転寿司なんかはどーなるの?
2)なんて、服のセールスなんかはどーなるの?
どちらも景品表示法違反じゃないの?
世間が騒いだから動いたの?
ってあたりが気になる。

こういう事件があると、
通販がいかに
あやうい信頼関係の上に成り立っているかがわかる。
直接その場でやりとりするわけじゃないから、
どちらかが真剣にだまそうとしたら、
簡単に詐欺が成功してしまう。
きっと、通販が苦手という人は、
そのあたりのリスクに敏感な人なんだろう。
逆に、自分のようなヘビーユーザーは、
そのあたりの感覚がマヒしていると言えるかも知れない。
詐欺までいかなくても、
写真と質や量が違う!
なんてことはいくらでも経験している。

でも、便利だからなー。
もー、通販ナシなんて考えられない。
老人化社会や過疎化社会には最適かつ、
絶対必須のシステムとさえいえる。
未然に防ぐことは出来ないにしても、
事故が起こったら、
それをしきっているサイト(があるならの話だけど)が、
代償してくれる、すべき
くらいのルールは作って欲しいな。
(某楽天とかもね)


2011/02/07(月)
相撲とプロレス

おかげさまで、
ダ・ヴィンチ電子書籍アワード
のコミック・絵本部門に
弊社のアプリ
「ヌカカの結婚」「テロメアの帽子」「カルシノの贈り物」が
3つともノミネートされました。

読者賞の投票」もありますので、
もしよろしければ、清き一票のご投票を
よろしくお願いいたします。

以上、宣伝でした。

相撲の八百長問題はやっかいな問題ですね。
いい年こいたプロレス・ファンなら
一度は通過している儀礼なんですけどね、
その喪失感、それを超えた上での楽しみを
知っている身としては、
なんとか相撲界も観客もがんばってほしいもんです。
小さい頃からプロレスが好きだった輩は、
プロレスはずっとガチだと思って見始めるわけです。
四の字固めを裏返すと今度は相手が痛くなるとか、
相手がトップロープに登っている間、
なんで、ちょうどいい位置で倒れているとか、
トーナメント決勝は必ず1位2位が
最終試合で決着が付く点数差になっているかとか、
コーナーポストに頭をぶつけると
なんで出血するか、しかも傷口がヨコとか!
そんなこと疑問に思わないわけです。

が、しかし、
周りからの「助言」や「証拠」で、
だんだんと???が増えてくる。
相手の技を受けてやるというのは、
ガチな試合の中にある、
ある種の強さの表現だ!と思おうとする。
しかし、やがて、
勝敗まで???と思えてくると
さすがに、
ガチじゃないんじゃないかと
いや、ガチばかりじゃないんじゃないかと
思えてくる。
そのとき、
今までのファン度(信じている量)に応じた
だまされた感、がっかり感、夢から覚めた感、
そういう強い喪失感を味わうことになる。
(相撲は現在、ココ)

しかし、それを超えたところで、
だとしても、
あの迫力、体、技術はフェイクじゃない。
ホントに鍛え上げている。
ホントに力一杯戦っている。
仮に最後の勝敗が決まっていようと
ガチに行くところはガチに行っている。
その迫力、パワーをわかりやすく伝えるために、
少々、演出されているにすぎない。
勝敗のみが重要視されるスポーツとは違う。
勝負の風味を残しつつ、
プロの技術と演出やストーリーが加わるからこそ、
いつでもおもしろいのだ。

そう思えてくる瞬間、ある意味、
プロレスを許すという気持ちになる。
と同時に、
今まで以上に楽しく観られるようになる。
レスラーをリスペクトする気持ちは少しも減らない。
(今、自分はココ)
ただ、そう思える観客は少数派だと思う。
たいがいは、
喪失感→脱退で
プロレスファンでいられなくなる。

日本のプロレス界は、
アメリカのWWEという団体のように
開き直ってショーアップもできず、
あくまで「真剣勝負」と言い続ける。
しかし、すでにたいがいのお客は、
そうじゃないと気がついている。
サッカー(筋書きナシ)にも歌舞伎(筋書きアリ)にもなれない、
中途な位置にあるプロレスが
21世紀に活躍するのは相当むつかしそうだ。

相撲もまた同じ「興業」として、
同じ難しさに遭遇したのだろう。
相撲がWWEのようにショーアップしていくのは
むつかしいと思うので、
「星のやりとり」を厳禁して、
ガチの世界に戻るしかないのだろう。
しかし、
一旦失った信頼を取り戻すには、
その何倍、何十倍もの時間がかかるから、
長いこと興行的には苦戦するだろう。
でもがんばってほしい。
なんとか乗り越えて欲しい。
おれの相撲ファン魂は
少々の「星のやりとり」ではビクともしない。

2011/02/03(木)
なんちゃってボランティア

最初に誤っておきます。
不謹慎なことを言います。

除雪作業って1回やってみたい。
(毎日は、たぶん、イヤだけど)

そんな不謹慎なヤツって、
オレだけじゃないと思うので、
そういう人間を集めて
除雪ボランティア団を作ればいいと思うんだけど。
まー、
交通機関もズタズタみたいだから、
ボランティアを輸送したり、
寝るとこや食事をフォローするだけで
かえって仕事を増やしてしまいそうなので、
難しい問題ではあるけど。

例のタイガーマスク支援のときもそうだけど、
一時のブームでは意味がない、
興味本位でけしからん、
という意見がよく出る。
たしかに一過性のブームで終わってしまうのは寂しいが、
それでも現実に
プレゼントされるランドセルが増えたわけだから、
それはそれで良しと
しないといけないのではないだろうか。

ボランティア活動には、
崇高な精神をもってのぞまないといけない。
として
ボランティアの敷居をあげてしまうより、
例え、
なんちゃってボランティアと言われようと
一過性のブームであろうと、
実を取るという意味では、
1つでも、1かきでも、
実際に手助けができればいいんじゃないかというのは
Eかげんすぎるかな。


2011/02/01(火)
タダ

それにしても今回のサッカーはすごかったなー。
にわかサッカーファンだけど、
もー、興奮のしっぱなし。
こんな幸せな気持ちにしてくれて、どーもありがとう。
しかも、この幸せがタダなんて!
旅行や映画やレストランで、
このレベルの幸せを得ようと思ったら、
いったい幾らかかるんだろう。
そりゃ-、それなりの額になるでしょ。
それがタダ。
こういうと経済学者は、
スポンサーの商品に「料金」が加算されているので
タダではないというが、
ともかく、肌感覚で言えば、タダである。

テレビというメディアは、
実質タダで始まっているので、
有料テレビはどこも苦戦しているという。
タダから有料への転換は難しいらしい。
サッカーがあんだけすごくても
有料となったらどーなんだろうか。
みんな観るんだろうか。

タダだったものでも
お金を取れるようになった例もある。
水やお茶だ。
商品として出始めた頃は、
日本人は、水やお茶はタダ
(水道代がかかるから0円ではないにしろ)
と思っているから、誰も買わない。
と言われていた。
が、今ではこーである。

タダではじまっちゃったから、
タダが主流だからお金はとれない
と諦める必要はない。
さらに、
使ってもらう人から
直接お金をもらう以外の方法も
あるんじゃないか。
そのあたりもコンテンツの開発と同時に
ちゃんと向き合っていかないといけない問題だ。
と思う今日この頃でした。




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