人間風車

2011/05/31(火)
勉強会

去年あたりからゲーム業界以外の人と会う機会が増えた。
業界ごとにいろいろ
空気や作法や考え方が違っていておもしろい。
すごくざっくりした印象では、
IT関係の人(すでにこのくくりがざっくりしているが)は
勉強会が好きだなーと思った。
お互い、今何やっているかや
何がよかった、何につまずいている、
この先どうするつまり、などなど
具体的な事例を元に報告し合う。
会議室で話すこともあれば、
お酒の席で話すこともある。
講演会や勉強会という場も多い。

ゲーム業界の人とはなかなかこうはいかない。
ゲーム業界人がそういう努力をしないからではなく、
守秘義務があるので、
なかなか、やっていることを言えないからだ。
開始。
「今、なにやってるの?」
「Sの方?Nの方?」
「Nの方だけど、、、」
「どんなジャンル?」
「ちょっと言えないなー、、、」
終了。
なかなか腹を割ってはなせないw

勉強会がどのくらい有効なのか
まだよくわからない。
切磋琢磨して業界を盛り上げていきましょう!
という気概より、
時間を有効利用しましょう!
という面が強そうだなというのが今の感想。
他の会社さんでの失敗、苦労を知れば、
あるいは、成功事例を聞けば、
進まなくてもイイコースもわかるし、
進むべき(かどうか?だけど)コースも
事前にわかるので、
時間の節約になるというわけだ。

以前、
同じように勉強会が好きなんだなーと思ったのは
大学や研究所の人たちだ。
(AIを使ったゲームを作っていたので、
それ系の学会には多く呼んでいただいた)
こちらは、
互いの研究成果を報告しあい、
より深い、高次な知識を身につけようという
非情にアカデミックな雰囲気だった。

ゲームは総合格闘技だ!が持論だ。
いろいろなジャンルの文化を
取り込んでいける総合的な遊びだ。
科学、音楽、経済学、心理学、もちろん美術、
なんでも取り込める。
だから、
ゲーム業界以外の知識、以外の人の体験談、
などもきっと役に立つはずだ。
そういう人の話を聞ける「勉強会」があると
いいと思うんだけど。

市場、つまり買ってくれる人の心配より
作る人の人材面での心配をしたほうがいいのでは、、、
と思うからだ。



2011/05/26(木)
やっかいな問題2

今日現在の福島県の放射線モニターの結果はこれ
1つめ、2つめのグラフ(事故当初からの遷移)を合わせてみると
これからの減衰は、
とても小さいだろうことが予想される。
放射線物質は半減的な減り方をするので、
例えば、最初の量が100だったとすると
100→50→25→12.5→6.3→3.2→1.6→0.8→0.4→0.2→0.1...
というような感じの減り方となる。
最初の方は劇的に減るけど、
後半になっていくとどんどん「減り方」が減る。
そしてある程度のところで、
減ってないと言えるくらいの減り方になる。
現在の状況(例えば福島市で1.5μSv/h)は
そんなところにきていると思う。

1時間に1.5μSvということは、
単純に計算すると、年13mSv。
国や国際放射線防護委員会(ICRP)が
事故の後の復興期に許されるとする
放射線量、年20mSv以下ではあるが、
平常時はこのくらいにすべきという安全基準
年1mSv以下からは遙かに大きな数字だ。

年20mSv以下という安全基準が
子供にまで適応して良いかどうか
医学的な見解についてはよくわからない(おれは)
仮に医学的に、
年20mSvでも大丈夫と言われようと、
子供には、1原子分だって余計に、
放射性物質に触れさせたくない。
早く年1mSv(1時間当たり0.11μSv)に戻せ、
つまり、
(ほぼ)事故前の状態に戻せという
親心はとてもよくわかる。

そもそも、
数値と不安は関係ないのでは、とさえ思う。
科学的根拠と不安も関係ないのでは、とさえ思う。
(そのことに、おれなんかは、己の無力感を感じるんだけど)

では、どうすればいいのだろう?
汚染された土壌をはぎとって捨てる?
でも、汚染された土をどこに捨てる?
「天地返し」して、地中に埋める?
でも、地下水は汚染されない?
自然に放射性物質がなくなるのを待つ?
でも、いったい何年かかる?
そんな土地からは待避する?
でも、そう簡単に住み慣れたところから離れられる?

政府の尻を叩き続けることは必要だと思うが、
そう簡単な話ではなさそうだ。



2011/05/25(水)
状況と状態

いい加減、自分でもクドイと思うけど(笑)
これが今日(5月25日)までの
福島第一原発1号機の温度の遷移。
これを見ると、
順調に温度が下がってきていて、
ほぼ冷温(100度以下)になっているのがわかる。
(複数の温度センサーが同じ動きをしているので、
センサー異常ではないと考えられる)
ホッとするグラフだ。
もし、このとき、
水位計が燃料棒の半分くらいまでの水量を示していたら、
このグラフは、きっとこう解釈されただろう。
「水に浸された燃料棒が、順調に温度を下げている」
しかし、
実際の状態は
圧力容器にはほとんど水がなく、
燃料棒は溶け落ちてしまっている。

状態は違うけど状況は同じ。
もし、水位センサーの異常が発見されなかったら、
みんなグラフをみて安心していた。
かもしれない。
今のこの安定した温度状況が
今騒がれている「メルトダウン」状態。
(※これは単に、
不幸中の幸いであったことは忘れてはいけないし、
起こっていることはなおも深刻)

自分たちは何を見て安心すればいいのだろう。
今の状況だけでいい?
今の状態まで?
なかなか、ややこしい。



2011/05/24(火)
数値

現代はなんでも数値で判断する時代だ。
別に人間という生き物が、
本来的にそうなわ性質なわけじゃなくて、
きっと、ここ最近なんだろうな、こういうこと。

小さい頃から試験の点数という数字で
評価され、競わされ、一喜一憂する。
場合によっては人生の進路が決まってしまう。
あらゆる健康、病気の評価も数値だ。
お天気の確率なんてのも数値評価だ。
仕事はあらゆる面で数値で評価される。
銀行の残高だって、ある意味、数値のみだ。
うちらの商売にいたっては、
数字が「全て」といったところさえある。
よく知らないけど、
きっと学問の世界もそういうところはあるんだろう。
幸福度、住み良さなんてのも数値化されている。

数値による評価は、簡単で公平で科学的で
コンピュータや通信との相性もよく、
物事を客観的で相対的に判断するのに役立つ。
でも、
そのことが必ずしも幸せとはならないようだ。
それまで大丈夫だったのに、
「風邪気味だなー」と体温計の数字を見て、
急に具合が悪くなってしまうことがある。
ガンの再発確率の数値を見て、
余命を縮めてしまうという本末転倒なこともある。
例のメルトダウン事故も
もし、水位計の値を正さなかったら、
多くの人(おれも)が
「燃料棒は半ば水に浸かっていて順調に温度を下げている」
と今でも思っていただろう。

数値は事実の現れであって、
数値自身が事実ではない。
数値とのつきあいはむつかしい。



2011/05/17(火)
不安

不安はやっかいな感情だ。
でも、人が不安になるのは仕方がない。
だれだって不安になる。
いつだって、何かに、少しは不安なくらいだ。
不安をそのまま抱えていられる人などいない。
一刻も早く消えて欲しいと思う感情だ。

不安にははっきりとした対象がない。
恐怖とはそこが違う。
対象がはっきりしないことが、
消しにくい原因の一つでもある。

不安を消したいとき、たくさんの情報を集めたくなる。
ただ、どういうわけか、
不安に反する情報より、
不安をあおる情報に目がいく。
不安に反する情報は信じにくく、
不安をあおる情報は真実に見えてしまう。
情報の質は関係ない。

不安を消したいと思って
不安をあおる情報を集めると
ますます不安が大きくなる。
たくさん情報を集めたと思ったのに
ますます、情報が足りないと感じる。
喉が渇いて海の水を飲むように。
そして、いつしか
きっと、
だれかが情報を隠しているんだ。
きっと、
だれかがウソをついているんだ。
だから、足りないんだ。
だから、不安が消えないんだ。
そう思うようになる。

不安であるとき、判断も不安定になる。

人が不安がっている姿を見るのは苦しい。
でも、その不安を消してあげるのはむつかしい。
せめて、
不安をあおるようなことだけはしたくない。



2011/05/16(月)
メルトダウン

メルトダウン。
怖いイメージの言葉だ。
この怖いイメージが
世間では、少し暴走しているような気がする。

溶けた燃料棒が底に落ちると何が怖いのか。
2つある。
1つは、せっかく止めた核反応が再び再開する、
「再臨界」と呼ばれる現象。
これが起こると、
制御棒などのコントロールする仕組みがないので
反応が暴走して、最悪、爆発してしまう。
もう1つは、
容器の底を溶かして抜いてしまうこと。
さらに落下して格納容器、建屋の底をも溶かしてしまうこと。
こうなれば、圧力容器の汚染された空気が
外にだだ漏れになってしまう。

現状は、1の危険性は考えなくてもいいようだ。
(1号機は!)
圧力容器のいろいろなところにある温度計が示す値などから
そう推測できる。
2は△。
容器の底を抜いて落下した形跡はなく、
溶けた燃料棒は容器の底に溜まっているようだ。
ただし、穴はあいたようだ。
そのため、圧力容器に入れた水が
外の格納容器に漏れ出している。
格納容器の水も建屋の地下に漏れ出している。
(メルトダウンとは違う原因で)
果たして建屋の地下に漏れた水は
地下や海に漏れていないのか、、、
それは、わからない。

ということで、
メルトダウンが怖いのは事実だ。
それなのに、
なぜ、学者や東電や政府は騒がないのか!
これを危機意識不足、責任回避、隠蔽だ!
と指摘されるが、
おそらくこんな理由からだと思う。
ずいぶん前に、
圧力容器内の圧力が下がってしまったことから、
穴の箇所、穴の大きさはわからないまでも、
圧力容器が外と「つながってしまった」という
厳しい現実はすでに確認、公表されていること。
また、
底に溜まった燃料の温度は低いまま。
(不幸中の幸い?)
つまり、
メルトダウンが確認される前の状況の認識、
燃料棒の半分くらいまで水に浸っていて、
温度は低く安定している。
圧力容器かその配管のどっかで穴が空いていて、
外部に汚染が漏れている。
との違いは、
極論すれば、
水位と燃料棒の状態と場所だけである。
たぶん、そんな認識から騒いでいないのだと思う。
もちろん、そのせいで、
汚染の拡大の懸念が広まった、
水棺作戦はムリになり、
全体の復旧難易度は上がってしまったという違いはあり、
そのことは大きな問題だけど。

#素人の発言として理解してください



2011/05/09(月)
英断?

「浜岡原発止めろ」
「パチンコと自販機は止めろ」

首相や知事がこういう発言をすると心配になる。
問題が起こらないなら
原発を止めるのも、パチンコや自販機業界に
省エネを呼びかけるのもいいと思うし、
リーダーがリーダーシップを発揮して
決断してすることもいいと思うけど、
どうして浜岡だけ?どうしてパチンコだけ?
一時支払いなどについては英断しないの?
などなど、
どうもバランスが取れてないというか、
大局観がないというか、
言っちゃー悪いが、
単純すぎ、思いつき、狭い視野、人気取り
と思わずにいられない。
こうした考えとリーダーシップが合体するのは怖い。

それはそうと、
なんで震源域のど真ん中に原発を建てたんだろう、、、
原発の安全性は科学や技術の立場から語られる。
しかし、実際は、
科学や技術の立場だけでは建てられない。
経済、政治の力や事情がそこに加わる。
そのことが基本的な安全性を無力化してしまう。
個人的には、それが悔しい。



2011/05/06(金)
うぬぼれ力

明日、5月7日土曜日(9時30分~14時)、
ダ・ヴィンチ電子書籍アワード2011大賞受賞のことで
TBS「王様のブランチ」に出演予定です。
よかったら見てやってください。

クリエイターにとって大切なモノはなんだろう。
いっぱいありすぎる!
その中の1つに「うぬぼれ力」があるんじゃないかな。
自分の才能、自分の作ったモノにうぬぼれる力。
学校または学校を出てすぐまでは、
これは簡単なことだ。
授業の講評たって、そうは厳しいものじゃないし、
だいたい評価される機会自体が少ない。
だから、いくらだって自惚れられる。
いわゆる「根拠なきうぬぼれ」。
しかし、社会に出るとなかなかそーはいかない。
評価される機会は増えるし、
世の中の評価は厳しい。
自分を客観的に見る目もできてくると
自分でもうぬぼれ力を減らしてしまうし、
世間からは「うぬぼれるな」とまで言われるw
そんな中で「うぬぼれ力」を持続するのは大変だ。
「うぬぼれ力」を維持するためには、
相当がんばらないといけない。
スポーツ選手が本番が怖くて、
つい、練習しちゃうように。
そこまでして「うぬぼれ力」を
維持する必要があるのかというと、あるんだと思う。
自分の作ったモノを人に見せる、人に評価されるのは
いつまでたっても怖い。
経験を積めば積むほど、
その怖さは実際の「痛み」とともに増加していき、
発表前から、恐怖がリアルな存在となる。
そんなもんだから、
それに対する対処する、つまり避ける「技」も
知らず知らず身についてくる。
これがまずい。
この「技」が発揮されると、
あらかじめ、ある程度の評価が約束されたモノを
作りだしてしまう危険性がある。
これを入れれば満足してもらえるだろう。
この程度なら許されるだろう。
こういう見せ方なら印象がいいだろう。
なんていう考えが入ってしまう。
自分としては、この、
手が縮こまってしまう感覚をとても恐れている。
それを回避する方法は人によって様々なんだろうけど、
自分的には
「おれのアイデアは面白いんだ」
「この作品はいいデキなんだ」
とうぬぼれながら作ることが対処法だ。
ということで、
今日もうぬぼれながら作ってますが、
ベッドに入って振り返るうちに、すっかり「うぬぼれ力」が減り、
明日にはまた、
がんばってチャージしないといけないわけであります。





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