人間風車

2012/02/27(月)
操作系の快感

どーも、
ハードボタンと画面タッチ両方があるっていうのは、
すっきりしない。
作っていても、遊んでいても。
あ、携帯用ゲーム機の話ですけどね。
タッチのみ、あるいは、ハードボタンのみのほうが
直感的でよかったなー。

画面タッチののみのスマートフォンではさらに、
タッチとフリック両方があるっていうのは、
すっきりしないとさえ、思えてきた。
フリックだけのほうが直感的でよいなー、と。

そのうちに、
右へのフリックと左へのフリック
両方があるっていうのは、、、
なんてこと言い出すのかな>おれ。

GリーやMバゲーのガラ系ゲームが流行った理由は
いっぱいあるだろうけど、
そのうちの1つは操作が簡単、
同じ場所(ボタンの"5")をクリックするだけ、
ということがあるだろう。
何も考えず、同じ場所をタッチすること。
その快感。
ある意味、エアパッキングをつぶすときのような快感。
そういう快感があったのかもしれない。
(全くやっていないので、完全に想像)

単純操作は「簡単」か「単調」かの論争以前に、
どの操作がそのデバイスで最も気持ちよいか、
そこを考えないとダメなんだろうな。
ゲーム機は十字キーと1つのボタン、
スマートフォンはフリック操作、
ガラ携は1つのボタンをクリック、
個人的にはそれが一番生理的に気持ちいい。



2012/02/21(火)
コックになるな、レストランオーナーになれ

最近、わたし的TLによく登場してたことば
「コックになるな、レストランオーナーになれ」
このことだったのかー。
東京iPhoneアプリ勉強会

なるほど、スマートフォンアプリは、
アプリ自体から制作コスト、作る組織まで
規模が小さい場合が多い。
そんな環境だと
作る人、売る人(、お金を出す人)みたいに
分業化できない。
作るだけの人(コック)じゃダメなわけで、
店先に立って勧誘することから
お勘定までやる人(オーナー)にならないといけない。
そういうとこまで視野を及ばせて
はじめて「お仕事」として成立する。
そんな話と理解した。

それにしても
スマホ関係者というか
IT(この言葉嫌いなんだなー)関係者は勉強会が好きだ。
情報をシェアすることが
お互いの技術力アップと生産のスピードをはやめ、
コストとリスクを小さくする。
そのあたりをシビアに考えてる人が多いのかな?
かたや、
お互いに孤立して、独自に進化しようとする
職人的なコンシューマゲーム世界。
(実はあまり知らないので、そうイメージしているだけ)

どっちがいいとかそんな話じゃないと思うけど、
せっかちな性分の自分としては、
そこの部分の思想はスマホ世界の人に近い。



2012/02/13(月)
金の浪費と時間の浪費

最近ブイブイ言わしている
いわゆるソーシャルゲーム系について、
気がついたら高額な支払いをしていた的な
被害というか非難というか
そういう話をよく聞く。

具体的な会社とかゲームについては、
よく知らないのでノーコメント。
ただ、
止められなくして、高額の支払いをさせる。
そうなるようなゲームシステムを考えるってのは、
さすがにやりたいと思わない。
健全な額で遊んでもらって満足してもらえるのが
いいに決まっている。

じゃー、
お金は奪わないけど、時間を奪うのはどうなのか?
奪うっていう言い方はちょっと過激だけど、
遊ぶのに時間をいっぱい使わすことはどうなのか?
ってなると、
このあたりは微妙、というか難しい問題だ。

ゲームを作る以上、
「はまったー」「つい、やっちゃう」
そう言われると正直うれしいし、
そう言われるゲームを作りたいとも思う。
それを「時間を奪った」というかどうかは微妙だ。
何を楽しんだって、時間を使うわけだから、
「奪った」ってことではない気もする。
でも、やっぱり
少し、後ろめたさを感じてしまうのは何故だろう。

使った時間が役に立たないから?
何か知識を得るわけでもない。
深い感動を得るわけでもない。
健康にも役立たない。
お金儲けにもならない。
それゆえ、浪費したと感じるのかな?
だったら、
おいしいケーキを食べに行ったり
Dランドに行ったり
コントを観るのも時間の浪費?

うーん、意外とむつかしい。
お金を使いすぎた!と思わないものにするとともに
時間を使いすぎた!と思われないようなものにする工夫も
それでいて、
少なくとも一定時間は「はまれる」ものにする
その連立方程式を解かないといけないわけだ。



2012/02/07(火)
公園近くのどうぶつたち

近くの公園の入り口で、
木彫りのどうぶつを作っている路上生活者の人がいる。
去年はじめくらいからかな。
だんだんと数が増えてきて、大きな作品も増えてきた。
(着実に技術もアップしている)

それを見てたら、ふと考えてしまった。

この方を支援するために、
これらの作品を売るお手伝いをしたいと思ったとする。
(実際には思ってないですよ。
自分にはそんな力はないし、だいたい、
余計なお世話だと思ってるので)
このどうぶつたち、なかなか味わい深い風情ではある。
しかし、
いわゆる「商品」「芸術品」と言われるレベルかと言うと
正直、そうは思えない。
(おれの目が未熟なだけかもしれないけど)
となると、
この方の人生なりの「物語り」を足すことで
「商品」「芸術品」にしないといけない。
というか、
作戦として、そうしたくなる。

で、ふと考えてしまった。
それは正しい「作戦」なのかと。

たしかに、物語を足すことで
どうぶつたちが売れるかもしれない。
そして、その結果、
路上生活をやめることができるかもしれない。
しかし、
その瞬間、物語りも消えてしまう。
その後は、
どうぶつ自身の力だけで勝負して行かなくてはならなくなる。
それはかなり厳しい気がする。
つまり、そういう作戦は、
瞬間的なパワーや助けにはなっても、
継続的なパワーや助けにはならないんじゃないだろうか。
継続的な力の源は、やはり、どうぶつ自身の力だ。

この思いが、復興支援とダブる。
被災地域の人がモノを作って,売る。
その仕組みを支援する。
これはすばらしいと思う。
ただ、
その場合も、
復興後も継続できる仕事になってなくてはいけない。
「被災した」という物語が消えたあとも、
ちゃんと続く仕事でなくてはならない。



2012/02/01(水)
ゲームの時間

CESAがソーシャルゲームについてのアンケートをまとめた。

ソーシャルゲームを「ほとんど毎日」遊ぶは60.7%、
1日当たりの平均プレイ時間は、
平日で43.1分、休日で65.9分。
1日のプレイ時間が意外と短い。
1日何回立ち上げるかのデータがほしかったところだが、
1日5回立ち上げるとすると、
1回10分程度ということになる。
アンケートでも、
ソーシャルゲームの利点として、
「短時間で楽しめる」が53.9%となっている。
こういうユーザーには
「やり込み度満点!総プレイ時間100時間!」
といったボリューム感は
全く刺さらないのがわかる。

そういえば、自分的にも
最近よくゲームをやっている気がする。
特に、何にも使えない時間、
電車に揺られている時間7分とか、
ラーメンが出てくるのを待つ時間2分とか、
(退屈な会議中とかも)
そういう時間にプレイしている。
おのずと、
さっとはじめられて、
さっと追われるゲームが中心となるし、
いつも持ち歩いてて、
さっと取り出せるデバイス用のゲームになる。
ということで、
自分的にはiPhoneでのゲームということになる。
(仕事が絡んでいる事情もある)

iPhoneが出る前は、
かなりゲームをやらなくなっていた。
きっとゲームに飽きたんだと思っていたが、
それが今はこうなんだから、
ゲームに飽きてたんじゃなく、
ゲームをがっつり遊ぶ時間がなくなった。
言い換えれば、
自分のライフスタイルに合うゲームがなかった。
だから遠のいてしまった。
そういうことなんだろう。

「ゲーム離れ」なんて言葉がよく聞かれるけど、
きっとその中の何割かの人は、
オレと同じ事情によるんじゃないかな。
つまり、オレと同じく「戻ってくる」w





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