人間風車

2012/03/21(水)
リアル脱出ゲー

リアル脱出ゲーというものに行ってきた。
(今回は脱出じゃなくて捜査だったけど)
今回はよみうりランドが舞台。
よみうりランド全体がプレイフィールドとなる。
もちろん貸し切りではなく、
ふつうのお客さんもいる中でのプレイ。

場内に隠された記号やNPC
(明らかにおかしい浮き世離れした格好のお客)の
情報を頼りに、
誘拐された園長を探すというもの。
ナゾは数も多いし、そこそこ難易度も高い。
しかも、情報が、
広いフィールドに散らばっているので、
1人ではプレイ不可能(制限時間内にクリアできない)。
6~8人くらいのグループが妥当だそうだ。

これはおもしろい。
いま大人気なのがとてもよくわかる。

脱出ゲーというのは
ビデオゲームでも数多く存在する。
そこで使われているネタと
リアル脱出ゲーで使われているネタは
非情に似ている。
でも、プレイ感は全然違う。
ありきたりの言葉になるけど「リアル」なのだ。

リアルな場所(寒いし、人多いし、広いし)と
リアルなアイテム(たかが紙なのに!)。
メモ機能もアイテムボックスもマッピング機能もない。
渡された紙袋やポケットに「捜査資料」を詰め込んで移動する。
この「不便さ」がリアル。
移動も自分の足が頼り。
ルーラのような魔法もなければ、リンク機能もない。
広い遊園地の中をせっせとあるかないといけない。
怪しいと思う度とそこへ行くまでの体力と時間、
そのせめぎ合いがリアル。
仲間とのナゾを解いているときの混迷具合もリアル。
ミスリード、思い込み、天才的ひらめき、
各々の立場関係、コミュニケーション能力
などがリアル。

どのリアルさもビデオゲームでは表現しにくい。
つい、写実的映像演出なんかで補おうとするけど、
結果はわかりきっている。

きっと、リアル脱出ゲーの子供版があったら、
ビデオゲームを禁止している親でも
やらせるんじゃないかな。
歩き回り、考える。人と協力する。
体も脳も「健康」になる。

体や脳の「健康」や「栄養」にならない娯楽は
(ホントはそれ自体はアリだと思うんだけど)
これからはちょっと厳しいんだろうな。



2012/03/13(火)
等身大のお手伝い

気仙沼のマップ作りの手伝いが
あらかた終わって、
この週末、最期のチェックに行ってきた。
たぶんOK。
でも、正直、
充実感とか満足感みたいなものはない。
むしろ無力感の方が強い。
もちろん、
仕事自体はちゃんとやったつもりなので、
仕事の質としての悔いはない。
ただ、
がれきの山や潮にひたった土地や
土台だけの敷地、仮設住宅、壊れた車、
線路のない駅、うちあがった船など、
1年後の今の光景を目の前にすると、
自分の手伝ったことの
あまりの小ささに無力感を感じないではいられない。

自分は大した者ではないので、大したことはできない。
できることをするだけ。
そういう自覚は、
ちゃんと持って始めたつもりなんだけどね-。
それでも、
こんな些細なお手伝いしかできない自分には
腹が立ったり、情けなく思ったりしてしまう。
いや、これが
「等身大のお手伝い」であり、
(まだ復興は終わったわけでもないので)
その継続が大切なんだと頭ではわかってるけど。

という、
始めたときには予想もしなかった気持ちで
帰りの電車に乗っていたことを
日記にはちゃんと書いておこう。



2012/03/09(金)
輝いてた過去が近くにありすぎる

あさってで震災1年である。
実はこれからがホントの復興だ。
自分やみんなの記憶から消えないようにしないといけない。
完全な復興までにはまだまだ長い月日が必要。
と思っている。
ただ、
自分は、縁あって、気仙沼のお手伝いをしているが、
明後日からは
気仙沼を被災地としてではなく、
楽しく元気な水産の街、
おいしい観光地として見ていこうと思っている。
今はちょっと壊れちゃってるけど、
日に日によくなっていく、
絶対に元通り以上になるおさかなの街。
水産業という「仕事」のお手伝いは
自分には手に余るので、
観光客として、
これまで以上に多く足を運ぼうと思っている。

最近、プロレスが人気がなくなって、
格闘技の人気が出だした頃の記事やDVDをよく見る。
もともと、
その変わり目が一番プロレス、格闘技もよく観戦した時期なので、
懐かしく振り返りつつ、いろいろ考察。

最近、あるプロレス雑誌にこう書かれていた。
「(プロレスは、まだ)輝いてた過去が近くにありすぎる」
プロレスは斜陽だと言われているが、
ほんのちょっと前までよかった時代がある。
その体験がまだリアルな記憶としてあるため、
ちょっと辛抱していれば、
また、あの輝かしい時代が戻るんじゃないのか。
成功してた時代のやり方にもどれば、
また、うまく行くんじゃないかと思ってしまう。
結果、思い切った方向転換ができず、
事態はじわじわと悪化していく。
いわゆる、
ゆで蛙」になってしまう。
というわけだ。
輝いてた過去が近いほど、その傾向はある。

「プロレス」を「コンシューマゲーム」
「格闘技」を「モバイル系ゲーム(ムリあるな、この言い方)」と
置き換えれば、
おもしろいほど同じ事態が当てはまる気がする。





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