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Dr.森川の人間風車



#512: 金が信念



2003.01.06updated


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きんが しんねん とタイプしたらタイトルのように変換された。
そういう人間なのか>おれ。
それにしても、だらしのない正月だった。
三が日はほとんどベッドの上で過ごした。
初詣に行くこともなく、
年始に行くこともなく、コンビニすら行かず、
おせちを食べることもなく、
菓子パンとカップ麺と冷凍してあった餅で過ごす。
誰とも話さず、会わず、
テレビに飽きたら本を読み、本に飽きたら惰眠をとる。
(あ、なんか宮沢賢治の詩みたい)
太陽が頭の上を3回通るまでずっとそういう生活をしていた。
これが全く苦でも退屈でも寂しくもなかったのが、
自分でも怖かった。
自分はオヤジ化は進んでいないと言う自負があるが、
それを飛び越して「老人」が入ってることに愕然とした。
そんな中、
正月の新聞に河合隼雄さんが「コンピュータにおける検索は、
知っていることしか探し出せない窮屈な機能」と
論破しているのを読んで感動した。
なんというすばらしい洞察力。すごいじじいだ、全く。
検索する以上、キーワードを入力しなくてはいけない。
調べたいと思う以上
ある程度の予備の知識がすでにそこにあることになる。
コンピュータの検索は要点だけを抽出するので、
知りえることが予想できる範囲の解答しか得られない。
そうした予定調和の世界を窮屈といっているのだ。
(その後の、だから読書はいいというのは同感できなかったが)
アクシデントが起こらない探求はつまらないし、広がりがない。
これは男女の関係でもそうなんだろう。
男女に関係なく、
ステキな人っていうのは会うたびに軽いアクシデントがある。
予想外の答えや反応が返ってくる。
きっとそういうところに人は惹かれるんだろう。
そういう意味でコンピュータの中の世界や
ゲームの世界は飽きられる危険性がある。
そして同じくらい、挽回できるチャンスもある。
作った人のパーソナリティーが見えるコンテンツ。
それを今年の目標にしようと思った。
年末にみんなで遊んだ粘土細工当てゲーム「バルバロッサ
ゲーム性云々ってより、
それを媒体として浮かび上がる
各自のパーソナリティーを見るのが楽しいのである。
このあたりにめざすべき「遊び」があるんだろうなぁと思った。

ムームーの小物達#30 カエルの木箱







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