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![]() 2003.01.06updated old topics index |
きんが しんねん とタイプしたらタイトルのように変換された。 そういう人間なのか>おれ。 それにしても、だらしのない正月だった。 三が日はほとんどベッドの上で過ごした。 初詣に行くこともなく、 年始に行くこともなく、コンビニすら行かず、 おせちを食べることもなく、 菓子パンとカップ麺と冷凍してあった餅で過ごす。 誰とも話さず、会わず、 テレビに飽きたら本を読み、本に飽きたら惰眠をとる。 (あ、なんか宮沢賢治の詩みたい) 太陽が頭の上を3回通るまでずっとそういう生活をしていた。 これが全く苦でも退屈でも寂しくもなかったのが、 自分でも怖かった。 自分はオヤジ化は進んでいないと言う自負があるが、 それを飛び越して「老人」が入ってることに愕然とした。 そんな中、 正月の新聞に河合隼雄さんが「コンピュータにおける検索は、 知っていることしか探し出せない窮屈な機能」と 論破しているのを読んで感動した。 なんというすばらしい洞察力。すごいじじいだ、全く。 検索する以上、キーワードを入力しなくてはいけない。 調べたいと思う以上 ある程度の予備の知識がすでにそこにあることになる。 コンピュータの検索は要点だけを抽出するので、 知りえることが予想できる範囲の解答しか得られない。 そうした予定調和の世界を窮屈といっているのだ。 (その後の、だから読書はいいというのは同感できなかったが) アクシデントが起こらない探求はつまらないし、広がりがない。 これは男女の関係でもそうなんだろう。 男女に関係なく、 ステキな人っていうのは会うたびに軽いアクシデントがある。 予想外の答えや反応が返ってくる。 きっとそういうところに人は惹かれるんだろう。 そういう意味でコンピュータの中の世界や ゲームの世界は飽きられる危険性がある。 そして同じくらい、挽回できるチャンスもある。 作った人のパーソナリティーが見えるコンテンツ。 それを今年の目標にしようと思った。 年末にみんなで遊んだ粘土細工当てゲーム「バルバロッサ」 ゲーム性云々ってより、 それを媒体として浮かび上がる 各自のパーソナリティーを見るのが楽しいのである。 このあたりにめざすべき「遊び」があるんだろうなぁと思った。 ムームーの小物達#30 カエルの木箱 ![]() |
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